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きのう、雨の大阪で「君と歩いた青春」コンサートが催された。

毎年、大阪城ホールで、ことしで8回目になる。

伊勢正三を中心にイルカ、大田裕美、尾崎亜美杉田二郎がレギュラー。

盛り立て役の南こうせつは、今回は他のイベントに(森山良子の方かな~?)。

スペシャルゲストに小椋佳とチューリップのボーカル姫野達也

もちろん、メインゲストは小椋佳だ。

サプライズで天才ギタリストの押尾コータローの登場があった。

ぼくとて、皆出席とはいかないが、毎年、この日を楽しみにしている。

でもね、歌う歌が、ほぼ固定されてしまったような印象は否めない。

ソロであったり、コラボであったり、編曲を変えてなんてこともあったり、趣向は凝らしてはいるが。まあ、好きな歌ばかりだから、何度でも聴けるけどね。

伊勢正三・「海岸通」「なごり雪」「22才の別れ」「置手紙」「海風」「雨の物語」「ささやかなこの人生」。

イルカ・「なごり雪」「まあるいいのち」「雨の物語」。

大田裕美・「木綿のハンカチーフ」「九月の雨」「君と歩いた青春」

尾崎亜美・「オリビアを聴きながら」「天使のウィンク」。

杉田二郎・「戦争を知らない子供たち」他。

ぼくの記憶では、レギュラー陣はこんな感じ。でも、もっと、歌ったかも知れない。

押尾コータローナッシュビルチューニングのギターで伊勢正三と「22才の別れ」。

姫野達也・「銀の指輪」「千鳥橋渋滞」(曲名に自信がない)「心の旅」。ほんとうは御大の財津和夫が来てほしかったが・・・・・。

そして

小椋佳・「シクラメンのかほり」「しおさいの詩」「ゆれるまなざし」「白い一日」「少しはわたしに愛をください」「歓送の歌」「愛燦燦」

まわりの観客は、ぼくよりもひとまわり以上歳を重ねている。みんな、それぞれの「あの頃」に帰っているような、やさしい表情をしていた。

とりわけ、小椋佳のステージは印象深かった。

やっぱり、このひとの日本語は「美しい」。再認識した。

しおさいの詩」では不覚にも、涙がこぼれてしまった。

青春の痛みというか、なんというか・・・・・・。

やや、マンネリ化・・・・・これはタイトルが「君と歩いた青春」だから、おのずと歌う曲も決まってくるのだが、年に一度のおおきなイベントだもの、許せちゃう。

その日は、たとえ、つかの間であっても、「あの頃」に帰れるのだから。

 

 

 

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この間の土曜日、NHKの歌番組「SONGS」で、吉田拓郎が初出演。

コンサートのリハーサル風景と、インタビューの構成。

70歳にして、第一線で頑張ってくれている拓郎に大拍手を送りたい。

ぼくが、拓郎を知ったのは、小学生の時で「結婚しようよ」が、ラジオのどのベストテン番組でも一位を獲得し、拓郎旋風を巻き起こしていた頃だ。しかし、ぼくは、正直、あまり、いい歌だとは思わなかった。まだ、歌謡曲アイドル寄りの歌を支持していたし、南沙織のファンだった。しかし「旅の宿」は、さすがに、ぼくの郷愁感をくすぐって、B面は「夏休み」で、ますます、拓郎に注目せざるを得なくなった。

拓郎で名曲は?と問われれば、多すぎるのだけど、やっぱり「ある雨の日の情景」かな。

拓郎は、多くの歌手に楽曲を提供している。とりわけ森進一の「襟裳岬」は大ヒットし、あの頃から、シンガーソングライターに曲を書いてもらって・・・・という流れが確立された気がする。「襟裳岬」の作詞は故・岡本おさみだけど、最初は「襟裳の秋は何もない秋です」だったらしい。それを拓郎が「春の方がいいんじゃない?」と変更したらしい。あの詩は流れから言えば、たしかに「秋」が正しいのだけれど「春」に変えたことで、襟裳岬がよりうらさびしい場所だというイメージができた。

小学校のとき、ラジオのベストテン番組で拓郎が「結婚しようよ」で一位を独占していたから、ファンだった南沙織の「ともだち」は二位止まりだった。

でも、のちに拓郎自身も南沙織の大ファンであることを知り、ムッシュかまやつと、彼女のために「シンシア」という名曲を作ってくれたことがうれしかった。

吉田拓郎、70歳。まだまだ、若い!

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デトロイトといえば、すぐに自動車を想起してしまうが、そのデトロイト美術館が今、そのままの形で、大阪市立美術館に引っ越してきている。

日本未公開の作品も15点あるというので、ぼくは、8月に観にいっている。ポスターはゴッホだが、ぼくの好きな印象派のモネやルノワールの作品、それに、なんといってもピカソ。しかし、館内は美術オタクで、超満員で、のんびり、美術鑑賞をいたしましょうというレベルのものではなかった。だから、モネの作品の前で、何十分も立ち尽くし・・・・・・ということはなかった。

とはいえ、時間はかかったが、すべての作品を鑑賞することは可能だった。

そのときは、自分の創作活動に劇的な刺激を与えてくれるものはなかった。

しかしながら、よくよく考えてみると、ここに展示されている作品を描いた、超有名な画家たちは、すべて、もうだれひとりとして、この世には存在しないのだ。

あたりまえの気づきが、ぼくの創作意欲をそそった。

その日の、アイデアノートには、そのような印象を書き記している。

グッズコーナーでは、ぼくは、ポストカードを買った。このデトロイトに出展されていない作品のポストカードも数多くあった。たとえば、ピカソでいえば、「ゲルニカ」などは、ポストカードで手に入れることはできる。

ぼくは気に入ったものを20枚ほど買った。気に入ってるから、実際にはがきとして使うなら、よほど、大切な人に限られてくる。

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これも、ピカソの作品である。息子のパウルを描いている。「青の時代」の若き日のピカソが一番好きだけど、この絵も好きなので、コレクションにしたいと思っている。

(ポストカードが購入できるだけで、デトロイト美術館には展示されていません)

構図をデフォルメした一般の人が知るピカソの作品からは、縁遠い、とても具象的な作品である。

夏の一日、鑑賞した作品たちは、いつの日か、ぼくに、とびっきりのいい作品を書かせてくれる。詩か、エッセイか、何かで・・・・・。

そう、信じている。

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連日の炎天下の酷暑は、熱中症に罹患することもなく乗り越えたが、8月の末になって、持病の精神疾患の悪化で病気休暇を取っている。

すこし、改善の兆しがあり、医師の許可を取り、ほんとうに久々に更新している。

長らくの休みを取ることになり、会社や同僚に申し訳ないと思う。

しかし、主治医は「申し訳ない」と思わなくていいと言い切る。

「いいですか、〇〇さんが休んだところで、会社は潰れないし、業務に特別な支障はでない(なるほど)。会社だって、いまさら、〇〇さんに頑張ってもらおうなんて、期待していない(なんとなく納得)。〇〇さんに期待するのは、だれにも真似できない詩世界であり、人間の物語を発表し続けることです」。たしかに、そんなふうにおだてられ続け、ぼくは書いてきたし、幾度も多額の賞金を手に入れた。

主治医は、会社を軽んじているのではない。名医なのである。

お付き合いをして8年になる。

二十歳の頃、発症したパニック障害と患者目線でいっしょに闘い続けてくれた医師が他県に転勤して、現在、お世話になっている主治医と出会うまで、何十というクリニックを訪ねた。そして、知りえたことは、世の中、こんなにも「ヤブ医者」が多いということだった。プライドだけ、人一倍高い、おっそろしい「ヤブ医者」が蔓延している。

30年以上も、患者歴があると、自然と専門用語やくすりの種類など覚えてしまうものだ。ぼくも初対面の医師と話すときは、気をつかっているのだが、うっかり、専門用語を使ってしまった。「SSRI、アンビバレンス、マイナートランキライザーという用語に、その若い医師は過敏に反応した。烈火の如く、顔を真っ赤にして、患者のぼくに対して、怒り狂ったのである。

ぼくは、医師に向って「ぼくは、あんたが鼻たれ小僧のときから、こっちは苦しんでいるんだよ!」と怒鳴った。

ぼくのこころが折れたのはいうまでもない。後日、友人の弁護士が代理人として医師をたずねた。「裁判を起こして、莫大な精神的慰謝料をいただくことになる」と伝えた。医師はこどものように泣き崩れ、裁判を起こすことなく、示談は成立した。

精神科医は、診察室に「ハイル・ヒットラー!」と右手を上げて入ってくるような患者も救おうと手を尽くすのが当たり前だ。それを受け入れなれない精神科医は、いますぐ、廃業していただきたい。

精神科医は、注射やメスの変わりに、言葉を使う。

言葉で救う。(むろん、くすりの力も借りる)。しかし、最終的にひとのたましいを救うのは、言葉である。

言葉を使いこなせない精神科医が、多すぎる。

 カウンセラーに求めるのも、選択肢のひとつだが、どれほどの技量があるのか疑問だ。

いずれにしても、良好な信頼関係が成立していなければ、よい結果は望めない。

 

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水道水が,生ぬるい。シャワーも、お湯を浴びているようだ。

エアコンはつけっぱなしなのに、寝苦しい夜がつづく。

昼間、吸収した熱を放出できないでいるのだ。

太陽が、こわい。

少し長めに取った夏季休暇もきょうで終わる。

お盆は、それなりに行事があって、忙しかった。

映画はシン・ゴジラ「X-MENアポカリプス」を観た。

シン・ゴジラ」は、まったく、甘さのない映画で、あくまで政府VSゴジラ(自然災害、原発、深読みすれば、おとなりの赤い大国ともとれる)。

ストーリーもよくできていて、機会があれば観ていただきたい映画だ。

「X-MENアポカリプス」は、話がX-MENの誕生秘話かつ完結編。

ストーム役は、いつもどおり、ハル・ベリーでやってほしかった。

そうそう、この夏季休暇の、いちばんの目的は原稿を書くこと。

ぼくは、原稿を書くとき、TVをつけっぱなしにする。TVを観ながら書く。

オリンピックくらいしか観るものがなくて、あたりまえの金とまさかの金、くやしい銀と殊勲の銀、歓喜の銅といった悲喜こもごものメダル獲得があることに、興味をもった。

それに、東京ではパラリンピックを先にやって、完璧にTV中継すればいいなと思った。

原稿は原稿用紙2枚と3枚のドラマを書いた。

あと一篇。今日中に書けるかなあ・・・・・・・。

暑さで、なーあんにも、案が浮かばないんだけど・・・・・・・・。

 

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このところの猛暑で郵便配達中は500mlのペットボトルを最低でも4本は空にする。半分はスポーツドリンクだ。それでも、とめどなく噴出す汗。

殺人的な夏のひかりに「ああ、おれは、このまま、太陽に焼かれて蒸発してしまうかもしれない」と本気で思う。

そんなときに、場違いにも、詩の言葉が降ってきたりする。

ぼくは、半ば、失いかけの意識で、ガラケーのメールで「詩のアイディア」として家のパソコンに送る。もっと、気の利いた方法があるのだろうが、思いつかない。

家に帰って、パソコンを開くころには、8割がたできている。もちろん、書き直しってのも、ゴマンとあるけれど。

うえの本は産経新聞朝刊に掲載される朝の詩が20周年を迎えたときに、新川和江の想い入れのある作品を集めたものだ。2003年発刊だから、13年になるのかあ。

光栄にも、ぼくの詩も選ばれ、帯の紹介文に採用された。

当初、「米原あたりで」という詩を新川和江が選んでくれて、当然、それが掲載されるはずだった。郵送されてきた文章にも、はっきりと掲載詩「米原あたりで」と明示されてある。

ところが、出版の幻冬舎から「米原あたりで」ではなく「父」に変更してくれないかと電話があって、びっくりした。担当者は、新川先生は「米原あたりで」とおっしゃられているのですが、当編集部で検討した結果、「父」という作品にいたく感動いたしまして・・・・・・新川先生を説得しますので、ご了解くださいというものだった。

そして、結果的に「父」が採用された。

では、まぼろしの「米原あたりで」とはどんな詩だったのだろう?

 

        米原あたりで

 

夜になって

大雪が降って

米原あたりで

列車は停まり

 

背中をまるめて

タバコを吸って

君を想えば

車窓のむこうで

 

風と

雪は

 

星のように

光のように

愛のように

かなしみのように

 

「父」とおなじく『新選組になればよかった』に収録されている。

 

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                                      俳人・尾崎放哉・おざきほうさい)

 

「咳をしても一人」

 

あまりにも有名な放哉の俳句である。

このひとはこの俳句を残すために、この世に生まれてきたのではないかと信じてしまえるほど、この句は凄い。

この短いセンテンスから、リアリティのある部屋の空間、空気の透明感、救いようのない静寂感がとり肌が立つほどに伝わってくる。

ぼくは、高校のとき、この句を授業で知って、椅子から落っこちそうになったほどだ。

放哉は五・七・五の定形型の俳句ではなく、自由律と呼ばれる文字数などの捉われない俳句を好んで書いた。種田山頭火などもおなじである。

この句もまた、ぼくの創作の原点のひとつである。