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この映画の原題は「THE POST」である。

ところが邦題は「ペンタゴン・ペーパーズ~最高機密文書~」。というように制作サイドの意図と興行サイドの思惑は、常に一致しているとは限らない。この作品がそうだというわけではない。まあ、この議論は別の機会に譲るとする。

まず、監督がスピルバーグで、主演がメリル・ストリープトム・ハンクスと聞けば

「これは、観なければ」という一種の使命感に駆られる。

まだ、公開中なので詳しくは記事化出来ない。

ペンタゴン・ペーパーズ」と呼ばれる文章は、正式には「ベトナムにおける政策決定の歴史~1945年から1968年~」というニクソン大統領の時にまとめられた政府の膨大なページ数の非公開文書である。

アメリカによるインドシナ半島への介入、共産主義の拡散防止、ベトナム民族自決権の否定などが読み取れる。

そのためのベトナム戦争への参戦、敗戦が色濃くなっても、多くのアメリカの若者をベトナムに送り続け、多くの血が流れた。

しかし、この映画の主題は、あくまで、「報道はどうあるべきか」である。

最初に機密文書を入手し報道したNYタイムズ紙は裁判所から業務停止命令を喰らってる。

その機密文書をワシントンポストも入手した。

情報源が同じことから、報道した場合、罪はより重くなる。

刑務所送りになっても、会社が潰れても、機密文書を報道すべきがどうか・・・・。

朝刊の印刷の締め切りが刻々迫ってくる。ワシントンポストのトップの判断は?

映画の中盤あたりから、緊迫感が劇場を支配する。メリル・ストリープトム・ハンクスも上手いんだなあ、魅せるんだなあ。

そして、裁判所はどのような判決を下すのか。

まあ、いかにもアメリカンムービー的な結末ではあるが。

お薦めの映画だが、ある程度、時代背景を勉強してから観た方が、絶対にいいよ。

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気がつくと、新年度が始まっている。

TVの画面で、入社式に臨む若者の、希望に満ちた初々しい姿が映し出され、自分にも

こういうときがあったんだなあと、感傷的になってしまった。

今では、サイレントマジョリティにもノイジーマイノリティにも属することなく、反骨精神剥き出しの人生を送っている。

本当に日々の流れは速くて、一週間が一日のように感じる。この一ヶ月は今月中の復職を目指して、日常生活に適応できるように、主治医の指示通り、リハビリに励んできた。その一環で、妻と映画鑑賞をしてきた。無論、主治医の許可は出ている。

「ウィストン・チャーチルヒトラーから世界を救った男~」。

おい!日本の配給会社。『ヒトラーから世界を救った男』なんて、嘘書くんじゃないよ!ぼくが根っからのドイツ軍オタクであることを差し引いても、この嘘はひどいなあ・・・と訝る。誇大広告だよ。まあ、世界はおろか、ヨーロッパさえ救えたとは言えないのではないか。

でも、映画そのものは、よかった。首相就任からダンケルクの戦いまでの4週間を描いているだけなのだが、主演のゲイリー・オールドマンの熱演が光りまくっている。

ヒトラーと和平するのか、徹底抗戦か・・・リーダーとしての苦悩や決断の難しさをチャーチルになりきって、演じている。

歴史的には、このつづきが拙ブログでも、ご紹介したクリストファー・ノーラン監督の「ダンケルク」ということになる。もう、DVDもレンタルされているので、時間軸は逆になるが、「ダンケルク」を観てから劇場に足を運ばれることをお薦めする。

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さて、もうひとつの見所は今作でメイクアップ・ヘアスタイリング部門でオスカーを手にした辻一弘氏の神業ともいえる、特殊メイク技術の精巧さ。

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写真左が、普段のゲイリー・オールドマン。いうまでもないが、写真右が辻一弘氏の特殊メイクで変身したチャーチル役のゲイリー・オールドマン

ゲイリー・オールドマンにこの映画のオファーがあったとき、彼はMr.TSUJIがメイクを担当しなければ自分は、この役を断らざるを得ないと明言したそうだ。

このとき、辻一弘は、映画の世界から距離を置いていたが、名優・ゲイリー・オールドマンからの熱烈なリクエストでハリウッドに復帰した。

それだけでも、なんだかいい話。

淀川長治水野晴郎にも、観てほしかったなあ。 

             

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             北の空
       

  バッテリーが上がり
  車を降りて ふたり
  公衆電話を求めて
  凍てつく道を歩いた

  祝福も花束もない
  行き当たりばったりの
  車での新婚旅行中の
  アクシデント

  北の空は 重い鉛色で
  体の震えは限界で
  でも 君は呟いた
  あたし 幸せだからと

 

3月に入った途端、近畿地方春一番が吹いた。春一番と呼ぶには、いささか荒っぽい暴風雨って感じだったけれど。雷なんかも鳴っていたし。

昨日かおとといも、列島は局地的な春の嵐が吹き荒れたようだ。

来週になると20℃を超える日が続くらしい。しかし、まだ、寒暖の差が激しくて体調が完璧とはいかない。

そんなある日、ローカルな通信社ではあるが信頼のおけるプレスから、取材の申し出があった。エリアは限られるが、ぼくに関する記事を発信してくれるらしい。

平たくいうと、こんな身近なところに30年以上も詩を書いているひとがいますよ・・・

ってことを周知してくれる。

主治医からは許可が出ている。取材は2時間に及んだ。

「普通の言葉と、詩の違いは何ですか?」と訊いてくる。

「かなしいことをかなしいとは、だれでも書けますよね。しいていえば、かなしいことをかなしいといわないでかなしさを伝えることではないでしょうか」とぼくは、えらく

最もらしいことをいってしまった。

ぼくだって作品に、ストレートに「かなしい」ことを「かなしい」と書くことは何度もある。

取材が終わって、写真を何枚も撮られた。詩集を持たされて「もっと、笑ってください」とリクエストされた。告白するが、ぼくは、「笑い顔」が最も苦手なのだ。

自分の笑い顔など見たくもないのだ。ぼくほど、笑顔が似合わない人間もめずらしいかもしれない。

なんとか、ぎこちない笑顔を作ってOKが出た。

その翌日には、産経新聞朝の詩に拙作が掲載された。

昭和を書いた。かなり、ぎゅうぎゅうに言葉を詰め込んだ。

公衆電話を書いた。

でなければ、話が成立しない。

公衆電話なんて、見たこともないというひともいるだろう。

それはそれでいい。

どうせ、最先端のスマホだって、おそかれはやかれ、過去の産物になる。

古めかしいセンスのない代物になる。

時代が、すべてを淘汰していく。

 


【TVCM】D-room「朝」篇

 

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ダイワハウス D-room

 

「リッチでもないのにリッチな世界など分かりません。ハッピーでもないのに

ハッピーな世界など描けません。夢がないのに夢を売ることなどは、とても・・・

嘘をついてもバレるものです」という有名な遺書を残して37歳という若さで、

この世を去ったのは「CM界の黒澤明と呼ばれた杉山登志だ。

ぼくが業界に首を突っ込んだときには「伝説」になっていた。

杉山がTVCMで手掛けた作品を観て、特に資生堂のCMは芸術的だったし、何か、こっちまで胸がドキドキするような物語があった。「図書館の端っこの席で美少年が、離れた席のひとりのおとなの女性だけを見つめている。女性はそのことに気づきながら、少年の心を弄ぶようにおとなの女っぽさを振りまいている」。このCMが彼の遺作じゃなかったかなあ。たった15秒、30秒の中にドラマがある。

www.youtube.com

TVを観るとき、業界にいた頃の癖が抜けきれず、番組よりも合間のCMを真剣に観てしまう。近年、ぼくが好印象を受けているのはダイワハウスかな。D-room「サボテンを育てる男」シリーズは、ほほえましい。上野樹里中村倫也の好演によるものだが、「好きな人と、こういう部屋に住みたい」「こういう朝をふたりで迎えたい」と本気で思わせる。今のところ、ぼくの中ではNo.1のCMだ。

所詮、CM自体が虚構の世界だ。CMどころか、あたりを見渡せば、人生は虚構に満ち溢れている。だから、杉山登志さん、あなたは死ぬ必要がなかった。

ピュア過ぎたんだろうね。でも、死んだら負けだよ。

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                  命のゼンマイ

 

 

ぼくの背中に

命のゼンマイを

捲いたのは

だれですか

 

かみさまですか

ほとけさまですか

 

ひとによって

長かったり

短すぎたりするのは

なぜですか

 

ぼくの

ゼンマイは

きっちりと

最後まで

捲き込んで

くれましたか

 

 

ぼくらは、生まれた瞬間から「死」を宿命づけられている。

ぼくは、そのあたりまえのことに20歳の時、気づき、不安神経症を発症した。

作家、宮本輝は「星々の悲しみ」で『人間は死ぬことを思い知るために、生まれてきたのだ。』と書いている。

古くから、世界中の多くの作家が、医学や宗教とは違う立場で、違う視点で「死」と対峙し、乗り越えようと画策するが、皆、答えを見いだせないまま淘汰されていった。

しかし、彼らに共通するのは「死には意味がある」と確信しているところである。

それが、希望的観測かどうか、いつか、ぼくらはその答えを知るだろう。

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                                  春の星

 

とうさん

もう

春ですよ

 

だけど

逝くのですか

 

十六になったばかりの

妹のかほりは

ぼくの腕の中で

こわれてしまいそうです

 

とうさん

今 何を想っていますか

かあさんのこと?

仕事のこと?

それとも・・・・・・

 

とうさん

ほんとうに

逝ってしまうのですか

いい想い出ばかり

ぼくたち家族に残して

 

そんなの

ずるいですよ

 

とうさん

それから

それから

 

 

暦の上では、りっぱな春。

だけど、底冷えの日々。

体調は一進一退というところか。

4月頃の復職を目指しているところだが・・・。

すんなりと復職できればいいが、会社とひと悶着あるかも。

無論、ぼくは、法廷闘争も辞さない。

ぼくのように、心にも体にも疾患を抱えるものが、会社組織で

生きていくためには、理論武装と豊富な人脈が必要だ。

 

 

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 フランス・アングレームで現地時間先月25日~28日に開催された

「漫画におけるカンヌ」とも言われる

『第45回アングレーム国際漫画フェスティバル』

(Festival International de la Bande Dessinee)で、日本の漫画家

楳図かずおの『わたしは真悟』(『Je suis Shingo』)が、

「遺産賞」(PRIX DUPATRIMOINE)を受賞した。

ぼくは、大拍手を送りたい。

ぼくは、少年期からの楳図かずおファン。しかも『わたしは真悟』は

青春のバイブル。

わたしは真悟』は1982年から86 年まで、『週刊ビッグコミックスピリッツ

小学館)に連載され、人気を博した。悟(さとる)と真鈴(まりん)という

少年・少女から、パソコンを通じて言葉を教え込まれた産業ロボットが意識を

もちはじめ暴走、世界をつなぐネットワークを通じ、その力を爆発させてゆく…。

2020 年代へと向かう今の世界を予見し、さらにその先の未来を透視する

記念碑的作品である。

この賞は、アングレーム国際漫画フェスティバルで、遺産として永久に

残すべき作品と認められた漫画に与えられるもの。(オリコンニュース一部抜粋)。
1995年『14歳』完成後、腱鞘炎を主な理由として休筆中だったので、

楳図かずおにとっても青天の霹靂だったろうし、長年のファンとしても

彼の過去の作品群を読み返して、ひとり涙したいセンチメンタルな気分だ。