無論、映画における学生運動と、映画公開当時の日本の学生運動は別物だが、ユーミンは、さすが天才で、うまくリンクさせた名曲を作り上げた。

2009年の夏、ユーミンのコンサートに行ったとき、MCでユーミンの口から

「いちご白書をもう一度」という言葉が、確かに聞こえて、ユーミンがこの曲を歌ってくれるのではないかと胸をワクワクさせ、会場も、同じ想いでざわついていた。

それを遮るようにユーミンは「そうじゃないんです」と前置きして「その『いちご白書をもう一度』のアンサーソングを作ったので、聴いてください」といった。

しかし、ぼくは、あくまで個人的にだが、そのアンサーソングがどんな内容の歌だったか、どんなメロディーだったか、まるで憶えていない。曲名すら忘れている。

ぼくはアコースティックギターなら、すこしだけ弾ける。しかし、かなりの偏りがあって、ひたすら、南こうせつ、伊勢正三、松山千春を練習してきた。

この間、テレビを観ていて、昔の映像だが、ばんばひろふみが「いちご白書をもう一度」をかみしめるように歌っていた。ギターを鳴らしていた。

それに感化されて、「いちご白書をもう一度」を練習するようになった。いや、練習するほど、むずかしいコードは使われていない。ただ、情感を込めて歌うことが、重要だなと思った。ひとりさみしく、しかし、ある熱く激しい情感を以て、弾き語ることが、学生運動とは無縁だったぼくの近頃の習慣となっている。

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フォークグループのかぐや姫が解散した1975年、ぼくは中学生だった。

TVから布施明が歌うシクラメンのかほりが流れてきたとき、感動で胸が止まりそうになった。全身に鳥肌が立った。

シクラメン」って何だろう?「かおり」でも「かをり」でもなく「かほり」というの何だかとっても新鮮だった。

サビの部分で、布施明がギターをかき鳴らし、髪を振り乱して歌うのもかっこよかった。何よりも、歌詞が、メロディーが、あらたなニューミュージックの時代の到来を予感させるものだった。

余談になるが、作詞家の阿久悠が著書で「この歌の詞は、本来は自分が書くべきものだった」と先を越されたことを、酷く悔いていた。

で、間もなく、小椋佳が日本のミュージックシーンを席巻することになる。

しおさいの詩」をはじめ、「揺れるまなざし」俺たちの旅「モク拾いは海へ」は好きだが、まだ、世に出ていなかった頃の作品はより純文学的である。

さて、この春頃だったかTVの「徹子の部屋」に小椋佳がでていて、自分は今以て音符が書けないと告白していた。まず、詩を書いて鼻歌でメロディーをつけ、自分で歌っているところを、カセットテープ(当時)に録音し音符をおこしてくれる「採譜屋」に渡すのだという。そうすると、鼻歌が音符になって戻ってくるということで、驚いた。鼻歌でも作曲になるんだと。それも、りっぱな。(今では、そういうアプリもあるみたいだが)。

サザンの桑田佳祐も音符が読めくて原坊が、音符にしていたとか、井上陽水も音符は苦手だと、若い頃、耳にしたことがある。

徹子の部屋」でも種をばらしているのだが、布施明に提供した「シクラメンのかほり」と自分が歌う「シクラメンのかほり」は、ちょっと違う。

歌うアーティストが違うから、多少、歌い方などで、違ったように感じる・・・ということでもない。聴き比べて、明らかに違うことが分かる。

小椋佳からすれば、故意に区別化したのではなく、「シクラメンのかほり」は数パターンできていて、どれを布施明に提供したのかわからなくなって、偶然そうなってしまったと告白している。

音譜が読めなくても(書けなくても)、偉大な楽曲は生まれることは、素敵なことだ。

まあ、才能があるからできることだろうけれど。

 

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             寝顔

  眠れない夜は
  傍らの きみの寝顔を
  見ていよう

  スヤスヤと
  ちいさな寝息を
  たてている
  きみの寝顔を

  カーテンの
  隙間から
  朝の光が降り注ぐまで
  ぼくは 飽くことなく
  寝顔を見ていよう

 

 

精神状態も最悪にあった、おとといの朝。産経新聞に載せてもらった詩。

その日も、早朝の5時過ぎからテレビをつけていて、在阪テレビ局の「す・またん」という

番組を観ていた。番組の冒頭に朝刊全紙の一面ニュースを解説してくれるので、産経新聞

カメラが寄ったとき、朝の詩をチェックするのだが、たまたまその日、ぼくの作品だった。

産経さんに関しては、ひと月に2篇書くのだが、載せてもらえるなら、もうひとつの「雨を聴く」

という作品だろうと、勝手に思い込んでいた。そちらのほうがドラマ性があるし、作品としての

完成度も高いと思ってたからだ。それに、季節的なものも加えると「雨を聴く」かなっと。

でも、実際は「寝顔」が採用された。新川和江の思惑もあったのだろう。先生には感謝している。

読んでくださった感想等を見てみると「傍らのきみ」を「こども」と解釈して読んでいてくれて

「ほっこり感」を味わってくださったようだ。

思ったよりも、評価が高かった。

そのようなこともあり、頓服を飲んでも改善しなかった精神状態の悪化は、お昼前には、収まってくれていた。

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ふとした瞬間、どうしても「あの歌」が聴きたいと思うことがある。

突発的にである。
まず、アマゾンや楽天などでCDを探してみるが、見つからない。
古いLPなので、編集されて、タイトルも変えられてBEST版的
なCDに生まれ変わってる可能性もある。調べていくと「オールタイムベスト」

というCDが出ていて「こんなに遠くまで来てしまった」
に収録されていたローリング・ストーンズは来なかった』は収録さ
れているけれど『一瞬の夏』は、他のどのCDにも存在しない。
聴けないとわかれば、なお聴きたくなってくる。
西島三重子・・・・・といえば、「ああ、『池上線』の」と、
たいていの場合、
そのような返事が返ってくる。たしかに、彼女の代表曲のひとつ
でもあるし彼女を世に送り出した楽曲でもあるだろう。

J-POP界も、まだまだ混沌としていた時代で、演歌歌手と間違われたこともある。

世間的には、それほど彼女の曲は、ぼくが思うよりも認知度が低かったかもしれない。

西島三重子「池上線」という固定観念は、簡単には融解しない時代だった。
しかし、アルバムの中にこそ、真の名曲があることを、
ファンは知っている。
今、どうしても西島三重子の世界に浸りたい。幸いにもLPは持っていたので、
意を決して押し入れの奥から引っ張り出した。3時間かかった。
レコードプレーヤーにアンプを繋げた。超アナログの世界。
「こんなに遠くまで来てしまった」は西島三重子がワーナー
イオニアからテイチクというレコード会社に移籍して第一弾の
「青春の痛み」が詰まった珠玉のアルバム。なかでも前述した
ローリング・ストーンズは来なかった」「一瞬の夏」
は若さと生きることの本質に迫った作品で、胸に突き刺さるものがある。

LPレコードのキズはひどかったけれど
ぼくの生き方に影響を与えてくれた、1984年制作の忘れられない一枚である。

因みに、当時のぼくの胸を突き抜けた各曲のフレーズをご紹介しておく。

『絶対にあいつら来るわけないさ すねたようにジンを飲んでたっけ

ちぎった前売り券 川に捨てたわね

Rolling Stonesは来なかった』

                                                      「ローリング・ストーンズは来なかった」

『恋人よ眩しくきらめいて 一瞬にすぎてゆく夏

死ぬつもりで目を閉じれば もう生きることが始まっている』「一瞬の夏」

                                    (両作共に作詞・門谷憲二 / 作曲・西島三重子)

ブルマァク ブリキ 電動リモコン歩行 ゴジラ 当時物_1
          ブリキの怪獣
            

  今でもブリキの怪獣は
  電池さえ入れ替えれば
  ちゃんと動くのだ
  こどもの時 百貨店で
  ごねまくって
  泣き叫んで安月給の
  父に買ってもらった
  銭湯が十五円の時代
  二千円の買い物は
  痛手だっただろう
  ブリキの怪獣は
  亡き父への郷愁を
  代弁するように切ない
  雄叫びをあげている

今朝の産経新聞「朝の詩」(新川和江・選)に掲載された。

また、レトロな詩を書いちゃった!

今の若い子が、どのような言葉を使うのか、好むのとかは、結構、研究しているつもり。

ただ、寄り添うことはあっても、媚びることはない。

分からないなら、分からないでいいし、知らないなら、知らないでいい。

かといって、じじばば狙いで書くということもない。

ただ、自分が書きたいと思ったものを書いている。

無論、新聞なので、使えない言葉も、書けない事案もいっぱいある。

父とは、この世で、たった26年間の付き合いだったことに、今更ながら、驚きを禁じ得ない。

父には、零戦パイロットや幽霊となって、酒飲みの赤ら顔の親父、あるいはサイパンで戦った兵士として、ぼくの作品によく登場してもらった。もちろん、ぼくが、そういう父親のキャラを作り上げるのだが、よく当たった。

しかし、この「ブリキの怪獣」の父親は実像に近い。

競馬場帰りに、阪神百貨店に寄る。馬券が当たれば、大食堂でご馳走してくれたし、ちょっとしたおもちゃは買ってくれた。

あるとき、おもちゃ売り場にブルマァクというメーカーからブリキ製のリモコンでのしのしと歩く怪獣が販売された。バラゴンもあったのだけれど、ゴジラがほしくてたまらなかった。

下世話な話だけど、状態が良ければ、マニアや業者の間では50万円以上で取引されている。

さて、先ほど「父親のキャラを作り上げた」と、さも自分の創造力の手柄のように書いたけれど、それは、違う。父親自体が、常にそのようなものを、醸し出してくれていたからだ。なんの取り柄もなさそうな息子にと父親が、ぼくに、与えてくれていたのだ。

 

 

                                            

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この映画の原題は「THE POST」である。

ところが邦題は「ペンタゴン・ペーパーズ~最高機密文書~」。というように制作サイドの意図と興行サイドの思惑は、常に一致しているとは限らない。この作品がそうだというわけではない。まあ、この議論は別の機会に譲るとする。

まず、監督がスピルバーグで、主演がメリル・ストリープトム・ハンクスと聞けば

「これは、観なければ」という一種の使命感に駆られる。

まだ、公開中なので詳しくは記事化出来ない。

ペンタゴン・ペーパーズ」と呼ばれる文章は、正式には「ベトナムにおける政策決定の歴史~1945年から1968年~」というニクソン大統領の時にまとめられた政府の膨大なページ数の非公開文書である。

アメリカによるインドシナ半島への介入、共産主義の拡散防止、ベトナム民族自決権の否定などが読み取れる。

そのためのベトナム戦争への参戦、敗戦が色濃くなっても、多くのアメリカの若者をベトナムに送り続け、多くの血が流れた。

しかし、この映画の主題は、あくまで、「報道はどうあるべきか」である。

最初に機密文書を入手し報道したNYタイムズ紙は裁判所から業務停止命令を喰らってる。

その機密文書をワシントンポストも入手した。

情報源が同じことから、報道した場合、罪はより重くなる。

刑務所送りになっても、会社が潰れても、機密文書を報道すべきがどうか・・・・。

朝刊の印刷の締め切りが刻々迫ってくる。ワシントンポストのトップの判断は?

映画の中盤あたりから、緊迫感が劇場を支配する。メリル・ストリープトム・ハンクスも上手いんだなあ、魅せるんだなあ。

そして、裁判所はどのような判決を下すのか。

まあ、いかにもアメリカンムービー的な結末ではあるが。

お薦めの映画だが、ある程度、時代背景を勉強してから観た方が、絶対にいいよ。

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気がつくと、新年度が始まっている。

TVの画面で、入社式に臨む若者の、希望に満ちた初々しい姿が映し出され、自分にも

こういうときがあったんだなあと、感傷的になってしまった。

今では、サイレントマジョリティにもノイジーマイノリティにも属することなく、反骨精神剥き出しの人生を送っている。

本当に日々の流れは速くて、一週間が一日のように感じる。この一ヶ月は今月中の復職を目指して、日常生活に適応できるように、主治医の指示通り、リハビリに励んできた。その一環で、妻と映画鑑賞をしてきた。無論、主治医の許可は出ている。

「ウィストン・チャーチルヒトラーから世界を救った男~」。

おい!日本の配給会社。『ヒトラーから世界を救った男』なんて、嘘書くんじゃないよ!ぼくが根っからのドイツ軍オタクであることを差し引いても、この嘘はひどいなあ・・・と訝る。誇大広告だよ。まあ、世界はおろか、ヨーロッパさえ救えたとは言えないのではないか。

でも、映画そのものは、よかった。首相就任からダンケルクの戦いまでの4週間を描いているだけなのだが、主演のゲイリー・オールドマンの熱演が光りまくっている。

ヒトラーと和平するのか、徹底抗戦か・・・リーダーとしての苦悩や決断の難しさをチャーチルになりきって、演じている。

歴史的には、このつづきが拙ブログでも、ご紹介したクリストファー・ノーラン監督の「ダンケルク」ということになる。もう、DVDもレンタルされているので、時間軸は逆になるが、「ダンケルク」を観てから劇場に足を運ばれることをお薦めする。

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さて、もうひとつの見所は今作でメイクアップ・ヘアスタイリング部門でオスカーを手にした辻一弘氏の神業ともいえる、特殊メイク技術の精巧さ。

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写真左が、普段のゲイリー・オールドマン。いうまでもないが、写真右が辻一弘氏の特殊メイクで変身したチャーチル役のゲイリー・オールドマン

ゲイリー・オールドマンにこの映画のオファーがあったとき、彼はMr.TSUJIがメイクを担当しなければ自分は、この役を断らざるを得ないと明言したそうだ。

このとき、辻一弘は、映画の世界から距離を置いていたが、名優・ゲイリー・オールドマンからの熱烈なリクエストでハリウッドに復帰した。

それだけでも、なんだかいい話。

淀川長治水野晴郎にも、観てほしかったなあ。