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あるとき、精神科医に「こころのありかは?」と尋ねると、その女性医師は「脳」だと答えた。それは、脳そのもののことだと。

たしかに、抗うつ薬精神安定剤などを服用すると、脳のさまざまな物質に働きかけて、症状が改善するのも事実だ。

しかし、脳みそが、恋をするのか、文学を書くのか、音楽を生み出すのか?

もちろん、ぼくは、「信じられない」と答えた。

女性医師は「気持ちは分かるけど、それが事実」と言ってのけた。

悔しくなって、悲しさも相まって、では「いのちはどこにあるのか?」と詰め寄ると、さすがに精神科医は「心臓」とは答えなかった。

5分以上沈黙したけど、女性医師は答えられなかった。

いのちを救うのも医者の仕事、いのちと対峙するのは文学の役割、いのちそのものを自分なりに悟りたいなら、それは宗教の領域だ。

そういう、答えのない問答がしばらく続いて「とにかく、あなたは文学をやっていきなさい」という女性医師の言葉で、曖昧に、尻切れトンボの状態で、時間切れとなった。

つい、この間のメンタルクリニックの受診日での出来事だ。

 

「いのちか・・・・・」ぼくは今、10回ほど独り言のように呟いた。 

終わることのない怖さも、どこかで感じ取ってはいるけれど。

 

    命のかたち

 

ぼくという

人間の時間が

終わりを告げて

 

その先 何に

生まれ変わっても

ぼくは ぼくで

ありますように

 

魚になっても

星になっても

草花になっても

風になっても

 

命のかたちが

何度変わっても

どうか

ぼくは ぼくで

ありつづけますように

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気分転換に、映画を観に行ってきた。

キャラメルポップコーンを頬張りながら、映画を観るというのは、最高に贅沢な時間だ。ぼくにとっては。

さて、何を観ようか?

さすがに令和の時代に入って「貞子」はないだろうと思った。

で、選んだのは「コンフィデンスマンJP」。

去年の今頃、フジテレビの月9ドラマとして放映されていて、古沢良太

脚本がよく出来ていて、ファンになった。

人気ドラマの映画化というのには、ほんとうに、いつもガッカリさせられるが、とてつもなく痛快な映画だったということだけはご報告しておく。

「コンフィデンス」というのは「信用」などの意味で、そこに「マン」がつくと

一転して「詐欺師」という意味になる。「JP」は日本版。

長澤まさみ扮する主人公の天才的詐欺師・ダー子を中心に、壮大な欺し欺されの物語が

展開する。果たして、最後に笑うのは誰か。チラッと「ルパン三世」を彷彿させるが

ダー子一味も、悪党の金持ちしか狙わない。

後付けになるが、この映画のダー子ってキャラは、長澤まさみしか演じられないだろうと思えてしまう。観て損はない映画。

ああ、これで、頭がスッキリしたあ!!!!!

 

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最近、詩の発表が続いている。

しかし、ネタ切れしたわけではないのご安心を。むしろ、書きたいことは、いっぱいあって、頭の中で整理するのに困っている。

現時点では、ありがたくも、詩の発表のリクエストが思いの外多くあって、それならば拙作を書かせていただこうという気持ちで、そちらを優先している。

ところで、ぼくの詩には、父がよく登場する。零戦パイロットとして、密林のジャングル・スナイパーとして、一杯飲み屋の酒臭い赤ら顔のおやじとして、競馬に自分の人生を重ね合わせる人生敗北寸前の男として・・・・・・・。とにかく、よくでてくる。

以前にも書いたが、父とは、この世では26年間の付き合いだった。

それが長いか短いかは分からないが、父の生き様は、実に多くの創作のタネを残してくれた。

毎日、酔っ払って帰ってくる。給料を落として帰ってくる。職を転々と変えていく。

それでも、愛すべき父だった。散髪代をごまかして、怪獣映画を観せてくれた。

酒臭い息を吐きながら、競馬場こそは人生の縮図だ、と小学生のぼくに言ってのけた。  

まあ、エピソードをひとつひとつ挙げていくとキリがない。

そういう父への、甘酸っぱい郷愁感が、今なお残っている。

 

 

        真夜中のノック

 

 

かつて 一度だけ

死んだ親父が ぼくを

訪ねてきてくれたことがある

 

眠れない夜 暗闇に”コンコン!”と

ノックの音がして 目をこらしてみると

親父がポツンと 宙に浮いていた

 

「ハイライトが 切れてしまった」と

ぼくに 訴えたあと

暗闇に まぎれてしまった

 

ほんの一瞬の再会だった

 

今でも 眠れない夜

息をひそめていると

それが 窓をたたく風の音だと

わかっていても 親父が

また 訪ねてきてくれたのかと

切なさが 胸にこみあげてくる

 

       

 

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最近、連日のように、痛ましい交通事故のニュースが流れている。

その犠牲者のほとんどが、何の罪もない幼いこどもたちだったりする。

不意に摘み取られてしまう、天使のようないのち。

ごめんね。

ぼくが、できることは、細々と詩を書き続けることだけ。

無力感にからだが震える。

 

 

      花が枯れている

 

花が枯れている

 

交差点角の

大きく 窪んだ

ガードレールの下

 

みっつの女の子だったと

きいている

 

母親の帰りを待って

無邪気に

三輪車で

遊んでいたと

 

くまのぬいぐるみと

スナック菓子が

供えてあって

 

でも

花が枯れている

 

かたわらを

女子高生たちが

にぎやかに

通り過ぎる

 

その明るく

透きとおった

笑い声は

遠い 蒼空に

こだまする

 

 

    

 

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ちょっとメルヘンチック過ぎたかな?

でも、いいじゃない、令和だもの。

 

    五月

 

日も暮れて

風も止んだ

 

泳ぎ疲れた

こいのぼりたち

 

今すぐ  

解き放ってあげるから

 

さあ

帰っておいき

 

この星空へでも

 

どこへでも

 

 

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どんなものにだって、寿命はある。

とりわけ、人間の寿命なんて、100年あったとしても、宇宙の時の流れからすれば、瞬間にさえならないだろう。

しかし、だからといって、おろそかにはしない。

愛しすぎて、哀しすぎて、愚かだけど、やっぱり愛しい。

ぼくらは、しがみついている。

人間である、この日この時に。

 

 

      人間の時

 

人間の時を終えて

一匹の灰色の蛾に

生まれ変わった

夢を見た

 

だが 運悪く

張り巡らされた

蜘蛛の巣にひっかかり

縞模様の大きな蜘蛛に

息の根を止められた

 

妙に現実感のある夢で

全身に冷や汗を いっぱい

かいてしまった

 

その朝 女ともだちに

大真面目に

夢の出来事を話すと

「おもしろい人ね」

といって

髪をゆらして笑った

 

その美しい横顔を

見つめていると

不思議な安堵感に

ぼくは 包まれて

今 人間の時を

しみじみと かみしめている

 

 

 

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菊池貞三は朝日新聞の記者出身の詩人である。

郵便局が国営時代、「郵政」という冊子の文芸コーナーで詩の選を担当されていた。詩を書く人なら誰もが知ってるような詩人でさえ、「郵政」ではいち投稿者にしか過ぎず、掲載枠が2作品だけだったので、相当、クオリティの高い作品が要求された。

ぼくは、ここで「詩とメルヘン」とも「産経新聞朝の詩」とも違う彩りを持った作品が存在することを知った。

「詩とメルヘン」のやなせ・たかしは、多少下手でも、光る言葉がひとつでもあればイラストで補ってあげようという太っ腹なサービス精神があったし、「産経新聞朝の詩」の新川和江は、素人の広場だから質よりも、新聞という媒体を鑑みたバランスを大切にされていた。

しかし、菊池貞三はガチンコで作品を選んでくる。だから、小手先のテクニックなど通じるはずもなかった。

それでも、いつしか、毎号毎号、ぼくの作品を取り上げてくれるようになった。

掲載してくれても、選評でかなり厳しく文章、表現の欠点などを指摘された。

あるとき、不条理文学の要素を取り入れれば、新たな魅力が引き出せるのでは、と菊池貞三からアドバイスを受けた。

ぼくも、なるほど、新境地が開けるかもしれないと思った。

フランツ・カフカ張りの不条理を描いた作品も出来たし、何かが少し歪んでいる程度の

作品も世に送り出した。

菊池貞三には、こわいイメージがあるが、1999年郵政文学賞の佳作、そして、2000年文学大賞を受賞して野田聖子より郵政大臣の賞状を手にしたとき、電話だったが

菊池貞三は、我が事のように喜んでくれた。

直後に郵政が民営化されて、会社組織は、見事に破壊され、職員のこころも人間性を失った。

民営化の嵐が、吹き荒れた。恐ろしい暴風雨が吹き荒れた。

いつの間にやら「郵政」も廃刊されていて、うすっぺらな、お子様ランチの冊子「ゆうせい」が取って代わった。

菊池貞三の死がご家族から報された。ぼくは、ただただ掌を合わせた。

今回の「公園」は不条理とまではいかないが、アドバイスをされた前後、ぼく自身も何かを模索していた時期に書いたものである。

 

       

     公 園

 

陽が傾きはじめた 近所の公園で

ちいさな女の子が

ひとりきりで

ブランコをこいでいる

 

ごっこをしていた

何人かの少年が

ふざけ合いながら にぎやかに

公園を出ていく

 

おしゃべりに夢中だった

若い母親たちは 思い出したかのように

それぞれに子供の名を呼んで

あわただしく公園をあとにする

 

女の子だけがブランコをこいでいる

 

もう陽が沈んでしまうというのに

この子の母親はどうしたのだろうかと

あたりを見わたして

もう一度 視線を戻したとき

 

女の子の姿はなく

ただ ブランコだけが

風のない公園にゆれていた