(救出されるK・Kさん)
(墜落現場。バラバラになった機体、翼にJALという文字が読み取れる)
「墜落の夏」という言葉が頭をよぎる。
日航ジャンボ機123便が御巣鷹山に墜落してから、29年、つまり、30回目の夏が訪れた。
日航ジャンボ機123便は羽田発ー伊丹着の航空機だ。
お盆休みで、乗客も定員一杯だった。
お盆の帰省客だけでなく、歌手の坂本九や、名もなき企業戦士も搭乗していた。
ぼくと仕事上のお付き合いがあったRKB毎日放送のAさんも搭乗していた。
今も羽田→伊丹便は、ぼくの住宅の真上がその航路になるらしく、太陽を背に受けた航空機が通過する際、機体の影で、一瞬、家中が真っ暗になることがある。
あの日も、今年の夏のように暑かった。ぼくはコピーライターの卵で、会社は、お盆休みの初日で、家でゴロリと横になっていた。阪神タイガースが優勝し、結婚の前の年だったから、よく憶えている。
羽田から伊丹なら1時間もあれば到着するが、数時間経っても到着せず、TVでは大騒ぎになっていた。ぼくも、TVに釘付けになっていた。
大捜索の中、乗員乗客524人のうち、4人の生存が奇跡的に確認された。
少女、母娘、CA。皆、女性ばかりだ。
520人が死亡。ほとんど、人の形をとどめていなかった。
手だけとか、顎だけとか・・・・・・。
航空事故史上、最大最悪の大惨事となった。
余談だが、この墜落事故は、のちに映画化された。「クライマーズ・ハイ」と「沈まぬ太陽」だ。
「クライマーズ・ハイ」は新聞記者の目から大惨事を見つめたもので、新聞社同士のトクダネの奪い合いなどが描かれているが、緊迫感はある。
「沈まぬ太陽」は加害者としての日本航空を描いており、体育館に数百の柩がずらりと整然と並べられたシーンは胸に迫るものがあった。
ぼくは、あの大惨事の日から飛行機恐怖症となった。
あんなに重い鉄の塊が空を飛ぶこと自体、おかしいのだと思うようになった。
だから、新婚旅行も、詩、エッセイの授賞式も、みんな電車。
御巣鷹山の墜落事故で犠牲になられた、すべての方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。