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人間だれもが「死ぬこと」がこわい。

それは「死」が未知の世界だからに、他ならない。

死んでしまったら、どうなるのか?「無」に帰すのか?

しかし、怪我や病気で生死の境を彷徨った人々が異口同音に語る事実がある。

幽体離脱、暗いトンネル、まぶしい光、なつかしい人との再会。

この一連の流れを「臨死体験」と呼ぶ。死の床から生還した人々の多くが語る、この不思議な現象は、心霊体験なのか、脳内体験なのか

臨死体験」に取り憑かれて、20数年の長期にわたり、ジャーナリストの立場から,あるいはノンフィクション作家の立場から執念の取材活動に忙しいのは、ロッキード事件が発覚するきっかけとなった『田中金脈問題』を「週刊文春」でスッパ抜いて、頭角を現した「知の巨人」の異名を持つ立花隆(たちばな・たかし)である。

23年前、立花隆はNHKと組んで「臨死体験」という番組を作った。

しかし、放映された内容が、あまりに立花隆の本意と乖離(かいり)していて、取材した重要なエピソードやフィルムが、多岐にわたり欠落していたために、上下巻のぶあつい「臨死体験」という本を書き上げた。

NHKと和解でもしたのか。ついこの間「NHKスペシャル」で臨死体験の取材を精力的に取材し続ける現在の、立花隆の姿を追っていた。

現在に至っては、臨死体験」のほとんどの部分を脳科学で説明できるという。擬似体験もできるという。科学の分野では「心」「意識」=「脳」なのである。

しかし、脳が、歌を歌ったり、人を好きになったり、怒ったり、笑ったり、詩を書いたりするだろうか。

科学で説明できたり、再現できるからといって、「臨死体験」そのものを否定することはできない。

幽体離脱は、ぼくも手術の最中に経験している。脳の錯覚ではない。

山口百恵も著書「蒼い時」に自身が体験した幽体離脱のエピソードを記している。

臨死はあくまで。死に臨むのであって、死後の世界のことではない

それは、もはや、宗教の分野である。