我が家は、長年、産経新聞と契約している。
論調がどうのとかという問題ではない(まあ、たしかにぼくは、保守的ではあるが)。
この新聞には、上のように、タイトルロゴの左に「朝の詩」といって、毎日毎日、読者の投稿詩(はがきで投稿)が掲載される。もちろん、投稿すれば掲載されるという広き門ではない。聞いた話だが、20年間、毎月投稿し続けても、ただの一度も掲載されないということは、そうめずらしいことではない。選者は詩人の新川和江。産経の文化部から、新川和江のもとに、毎月、どっさりと、はがきの束が届く。題材は自由で、特段、「朝」にこだわる必要はないが、やはり朝刊紙。一日の始まりに暗くめげそうな詩は見たくない。これは、必ず外される。しかし、いのちの終わりを唄っていても、そこにかすかな希望や光明が描かれていると、採用になったりする。
この朝の詩は30数年間、天皇が崩御されたときも、阪神淡路大震災、東日本大震災が起こったときも、国内外のおおきな事件、事故、世界のどこかで戦争が勃発したときも、休むことなく日常的に掲載されている。
「ちょっとなあ~」と腕を組んでしまう詩は少なくないが、しかし、掲載される詩は、どこか、光るものがある(と信じていたい)。
ぼくと朝の詩のお付き合いがはじまったのが、20年前。
サンリオ詩とメルヘンの影響で、詩を書き始め、常連でもあったが、結婚があり、仕事があり、忙しさにかまけて、いつしか、ぼくは、詩作をさぼるようになっていた。
ぼくとて、ずーっと、書きつづけて来たというわけではないのだ。断続的に、何年間もぽっかりと空白の時期がある。
あるとき、妻が「産経に投稿してみたら?」といった。
ぼくは、めんどうくさそうに「ああ、あれね~、でも、レベルがね・・・・・」といいかけたとき妻は「この詩読んでみて」と新聞を、ぼくの顔に押し付けたのである。
「たしかに、いい詩だね」と妻には答えたし、実際、無名の読者の詩が、ぼくのこころを動かしたのも事実である。
妻は「でしょ?」と笑って「くやしかったら、投稿して、入選してみなさいよ!」とバシーン!とぼくの、お尻を引っぱたいたのだ。
ぼくのなかで、何かスイッチが入った(ような気がした)。
10分くらいで、さらさらと「なつみに」という詩を書きあげた。
妻が「これは、いい詩!」とOKを出すまで、なんども書き直して、3時間くらいかかってしまった。はがきに清書して、ポストに入れた。
「レベルが・・・・どうのこうの」といってしまったものの、実際、入選できるかどうかは、自分でも、自信がなかった。こんな、短詩を書くのも、はじめてだったし。
でもすぐに「なつみに」は新川和江の目に留まり、新聞に掲載され、一度目の月間賞を受賞した。それからは、ほぼ、毎月、投稿するたびに、ぼくの作品を拾ってもらい、活字化され、そのたびに200万の産経新聞読者のもとに届けられた。
もちろん、朝の詩を読むひとは、そのうちの数パーセントくらいかもしれない。
しかし、新聞という媒体は、実におもしろい。意外なひとが読んでいたりする。
まず、新川和江との距離をグッと縮めてくれた。詩集出版のオファーもいくつかあったのも新聞掲載のおかげ。新聞だから、さまざまな年代、職業のひとに、ぼくの詩を広めることができた。親戚中や、友人諸兄、局の連中がびっくらこいだ。
ラジオで朗読されたり、シャンソン歌手が曲をつけたいとか、いろんな経験をさせてもらった。地域の連合会長や地元選出の議員などの耳にも入るところとなり、政令指定都市なのだが「おらが村のヒーロー」的存在に祭り上げられたこともある。自慢ではなく、新聞という媒体の影響力を語ってる。ぼくは、すでに詩の文学賞でてっぺんを獲っていたし、賞金を数十万円もらっていても、このような環境の変化は一度もなかった。新聞、おそるべし。朝の詩20周年記念には新川和江の編集で過去20年のBEST版的な「父、母~わたしを守ってくれるもの~」という本が幻冬舎から刊行され、ぼくの「父」という作品を載せてもらっている。
30周年のときは、何人かの常連投稿者の特集記事が組まれ、ぼくのことも記事化していただいた。見出しに「詩作のために、公務員に転職!」(笑)、「詩集、やなせ・たかし氏絶賛!」とか、あることないこと、活字化された。そもそも、当時、公務員だった郵便局員に転職したのは、広告代理店の人間関係に疲れ果てていたためで、詩作とは無関係だし。記者の思い込みというか、ちゃんと、伝わっていないというか。けっして、公務員が楽なわけないのにさ。失礼だよ、公務員のひとに。
「詩は、創作ですよ」と、インタビューに答えた記事も、ぼくの本意とはかけはなれて載っしまった。
案の定、新聞社に、抗議の電話やはがきが殺到した。
「〇〇さん(ぼくのこと)は、いままで、わたしたちを騙していたのですか!」って(笑)。
そうじゃないってば、だれも、騙していないって。
ただ、100パーセント本当の話を書くのだったら、それは単なるリポートだから。
まあ、いやはや、いろんなことを書かれた。
ぼくにとっての朝の詩は「なつみに」からはじまり、現在に至るまで活字化された詩は産経新聞だけでも、ゆうに100篇はかるく超えているだろう。
新聞社のデーターベースにも正確な数字は残っていない。
すべては「なつみに」からはじまった・・・・。
「なつみに」
なつみ おまえは
この世に
たったひと声の
小さな産ごえをのこし
旅立っていって
しまっただろ
だから とうさんが
ひとつ ひとつ
手にとるように
おしえてあげような
風や 鳥や 雲や
川や 花や・・・・・・
なつみ おまえが
見つめようとして
見つめられなかったものを
ふれようとして
ふれられなかったものを