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ずいぶんと昔のはなしになる。ぼくが、広告代理店での人間関係に疲れて、当時、まだ、公務員だった郵便局の試験を受けたころのことだった。

ありふれた夜に、ぼく宛の一本の電話があった。美しい声の、若い女性だった。そのころ、商業誌でさえ、詩の作者の住所・氏名(本名)が載っていた時代だったし、電話帳にもこちらからNTTに記載不要の手続きをしない限り、電話番号が堂々と載っていたプライバシーなど、だれにでも漏れ伝わって、よく、いたずら電話とはいわないが、名前を名乗らないで詩の感想だけ述べて、ガチャンと電話が一方的に切れてしまうようなことが数知れずあって、閉口していた。

しかし、そのときの女性は某ラジオ局のDJのNさんであることを名乗り、ぼくの詩を自分の番組で朗読するという形で使いたいというのだ。ぼくの詩のファンで、自分はしばらく、番組から離れるが「番組のいちばんのメモリーとして、あなたの詩を朗読させてください」という殺し文句で、ぼくは、浮かれ気分で、あっさり、快諾してしまった。それから、約1時間くらい取材があって、どんなとき詩の案が浮かぶのかと問われて、「仕事中です」と答えると、やはり、その笑い方もゲラゲラというのではなく、とても上品なクスッというような感じだった。

朗読の候補として「雨」と「命のかたち」があるといわれた。

自分で決めてもいいかと問われ、当然イエスと答えた。

Nさんは「じゃあ、『雨』で」といわれたが、正直、ぼくは「命のかたち」を公共の電波に乗せて欲しかったのだ。

ぼくには、ぼくなりの想いがあって「命のかたち」のほうが、より、ぼくらしさを強調できると計算していた。

Nさんは「わたしも『命のかたち』は大好きです。でも、放送が6月の梅雨の季節になるので」とおっしゃられて、ぼくもこころから納得した。

放送当日は、親戚を呼んでラジオに耳を傾けっぱなしの、まるで、玉音放送を聴くような面持ちだった。Nさんは情感を込め『雨』という作品を朗読してくださった。

Nさんの朗読の力で、稚拙なぼくの作品が至極絵画的な浪漫溢れる作品へと生まれ変わった。

いろんなひとから「ラジオ聴いて、びっくりしたよ」と声をかけられた。

学生時代以降、ラジオという媒体に縁がなく、Nさんと名乗る、電話の若い女性のDJも、ぼくの不明で、実際には、アイドル的人気のある聴視率の稼げる著名なDJだったが、ぼくは、なにひとつ知らなかった。

数年後、処女詩集をNさんに郵送で献本させていただいた。期待をしていたわけではないが、Nさんからの返事は来なかった。むろん、献本だから、こちらから一方的に本を送り付けている。しかし、電話でお話したときのNさんの印象からすれば、なんらかの反応があってもいいのではないかと、こころのどこかで思っていた。

次の詩集に取り掛かっていたころ、一通の封書が届いた。

Nさんからだった。きれいな便箋に、ただひと言「ありがとうございました」と達筆な文字で書かれてあった。

ぼくには、すごく、違和感があった。不自然に感じた。なにかが、おかしいと。

最近になって、知りえたことだが、ぼくの詩を朗読してくれた、某ラジオ局の番組が終了して、Nさんはご結婚されたらしい。

そして、ダウン症の赤ちゃんを授かったという。

「気の毒に」とか「かわいそうに」とか思うのは、かえって、母親にもお子さんにも失礼である。かといって、「おめでとう!」と薔薇の花束をかかえて祝福に駆けつけられる状況でもないかもしれない。

現実は厳しい。

便箋のひと言は、Nさんの、そのときの精一杯の想いを伝えていたのであろう。