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ぼくが、当ブログでよく登場させる産経新聞・朝の詩は先に述べたとおり、選者が

交代したので、あまり、魅力を感じることができず、妙な言い方だが「様子見的投稿」だけは続けている。けっして、媚びるのではないが、この選者は、どういう作風に興味を示すのだろうと、ぼく自身も手探りの状態で詩を書いている。これは、掲載されなくても、未発表作品が、どんどんとストックされていくメリットがあるからに、他ならない。月3篇は選者交代前と同じく、続けている。

さて、本格的な詩の文学賞のシーズンは夏頃から、翌冬くらいまでに集中している。

今の文学賞は、そのほとんどが、地方自治体に委ねているのが実情だ。いや、委ねているというよりも、地方自治体が、主催者そのものになっている。

賞金は少額だが、詩人会議新人賞くらいかな、自前でやっているのは。メジャーなところでいうと。もう、なくなったが、北陸中日新聞日本海文学大賞もあったが。

事実として伝えると、ぼくは、運が良くて、名のある詩の文学賞は15年くらいの間に、ほとんど、受賞することができた。地方自治体の主催もあったから、100万を超える賞金を税金でいただいたことになる。

詩集の賞は応募しない。審査基準が極めて曖昧だからだ。

中原中也賞とかあるけど、詩集に与えられる賞で、作品のバランスか、あるいは本としての装丁か、デザイン的なものか、はたまた出版社なんかも関係してくるのかなあなんて思っちゃう。

で、長い詩作の歴史の中で、ひとつだけ応募していない文学賞がある。

それが、写真の白鳥省吾賞だ。これも、宮城県栗原市が主催している。賞金は20万円。テーマも長年不変で「人間愛」「自然愛」。明確なテーマだから、書こうとしても、書いたとしても、納得できなくて、ポストに落とせない。

これまでにも、他の賞で、さまざまなテーマという制約があった。「日本海」であったり「母」であったり、ユニークなところでは「蟹」とか「水仙」とか。

今年も、夏に入った頃から、ぼんやりと考えてはいた。

「ムーンライト・セレナーデ」などと仮のタイトルをつけ、ぼくと車椅子のきみが、もしも、いつか、どこかのお金持ちのように、月旅行に行ったなら、ぼくらは、月のクレーターの醜さに絶望し、月から見える地球に感涙し、宇宙船が故障し、宇宙の塵と成り果てても、ぼくときみの意識は永遠の地球への郷愁感を持って、彷徨い続けるだろう、みたいなことを考えて文章にしたけれど、こりゃだめだ!という気になって削除した。

10月31日、白鳥省吾賞の応募作受付締め切り日。消印は今日まで有効。ぼくは、どうにもこうにもからだがだるくて、うたたねをしていた。そのとき、ぼんやりとだが、春の始まりの日の、ある光景が不意に浮かんだ。寝ぼけた頭で話を組み立てていく。

からだに力が漲ってきた。これこそ「人間愛」ではないかと。ぼくは飛び起きて時計を見た。夕方6時。ぼくは、あわててパソコンに向かって規定の原稿用紙2枚分の作品を完成させた。近くの郵便局の本局まで、バイクを飛ばした。

夜の11時。今なら31日の消印を押してもらえる。

心臓のドキドキが止まらない。

ギリギリセーフだ。ぼくは、大きく深呼吸をして、夜間勤務の郵便課の職員の前に、

立ってニヤリと笑ってみせた。

「今日の消印まで有効なので、よろしく」。といって封筒を差し出した。