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 ぼくにも、エッセイを書いていた時期があった。

エッセイといえども、丸々、事実を連ねるわけではない。

多くの作り事もあるし、演出もある。

そこに、読者に届けたい、ほんの少しの「ほんとう」を入れる。

エッセイを書き始めて、さまざなな御褒美を

もらったが、実のところ、自分が書いているのはエッセイと

呼べるものかどうなのかという思いは、今以て存在はするけれど。

紹介させていただくのは、ある地方の某新聞社が募集していて、てっぺんの賞をいただいた。

今でいう「不適切発言」ととれる部分があるが、それこそが被害者側の正直な想いなので、綺麗事なしに、原文のまま転載する。

付け加えると、その部分こそが、選考時、いちばん高く評価された箇所でもあった。

 

             「冬水仙

 

今、ぼくが病院のベッドで夢に見るのは、あの遠い日々のことだ。

ぼくは、つらい現実から逃れるために、冬の数週間を、北陸の母方の叔母の家で過ごしたことがある。

二階の部屋の窓を開けると、冷凍光線のような冷たい風が吹き付けてきて、慣れてくると、ぼくの眼前に、日本海が広がって、荒々しい岩肌に水仙が咲き群れているのがわかる。

潮のかおりと相まって、真っ白な水仙の甘く香ばしい匂いが鼻をついた。凛としていて、なんて美しい花なのだろうかと思った。

その数週間、ぼくは、つらい現実を忘れることができた。

 

当時ぼくは、高校の二年生で、クラスの連中から、執拗かつ陰湿ないじめを受けていた。休み時間になると、連中の気分次第で、腹を殴られ背中を蹴られたりした。パシリもやらされた。

理由は、今以って、わからない。

庇ってくれる友達はいなかったし、担任は見て見ぬふりをしたし、抵抗できる腕力なんてなかったし、両親だけが、ぼくの味方で、両親は学校に怒鳴り込んで、校長を呼び出し激怒したが、学校は無力で、当初は何も変わることはなかった。

両親は緊急避難的に、ぼくに、学校を休ませ、北陸の叔母の家で数週間住まわせた。

そして、両親の弁護士やマスコミも巻き込んだ、学校への猛抗議で学校の失態は表面化し「事件」になった。おかげで、事態は急速に沈静化し、新学年は陽気で気の優しい連中に囲まれて、安全に過ごすことができた。ぼくに、暴力をふるった連中は皆、退学になった。一部の生徒は警察に逮捕された。

その出来事が遠い過去になった今でも、ぼくは、あの時、ぼくをサンドバッグのように扱った連中を、だれひとりとして、許してはいない。

連中が例外なく、不幸な人生を送っていて欲しいと、心から願う・・・。

 

昨夜は、ぼくの誕生日で、病院の看護師たちが、西棟のはじっこの角のフロアーで、ささやかなパーティーを開いてくれた。ちいさな蝋燭の炎が揺れていた。

病室に戻って、目を閉じると、日本海と岩肌に咲き群れる水仙の花が浮かんだ。あの花のように、凛として生きたかったが、できなかった。

つらかったけど、なつかしい北陸での時間。

いじめから、体を張って救ってくれた、今は亡き父と母への限りない郷愁の念。

もう、取り戻せない、失われた時間。

指からこぼれ落ちてゆく、残された生の時間。

祈っても、叫んでも留まってくれない、ぼくがぼくである時間。

生への渇望が胸に突き上げてきた瞬間、ぼくの瞳から、堰を切ったように、どっと涙があふれだした。