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このところの猛暑で郵便配達中は500mlのペットボトルを最低でも4本は空にする。半分はスポーツドリンクだ。それでも、とめどなく噴出す汗。

殺人的な夏のひかりに「ああ、おれは、このまま、太陽に焼かれて蒸発してしまうかもしれない」と本気で思う。

そんなときに、場違いにも、詩の言葉が降ってきたりする。

ぼくは、半ば、失いかけの意識で、ガラケーのメールで「詩のアイディア」として家のパソコンに送る。もっと、気の利いた方法があるのだろうが、思いつかない。

家に帰って、パソコンを開くころには、8割がたできている。もちろん、書き直しってのも、ゴマンとあるけれど。

うえの本は産経新聞朝刊に掲載される朝の詩が20周年を迎えたときに、新川和江の想い入れのある作品を集めたものだ。2003年発刊だから、13年になるのかあ。

光栄にも、ぼくの詩も選ばれ、帯の紹介文に採用された。

当初、「米原あたりで」という詩を新川和江が選んでくれて、当然、それが掲載されるはずだった。郵送されてきた文章にも、はっきりと掲載詩「米原あたりで」と明示されてある。

ところが、出版の幻冬舎から「米原あたりで」ではなく「父」に変更してくれないかと電話があって、びっくりした。担当者は、新川先生は「米原あたりで」とおっしゃられているのですが、当編集部で検討した結果、「父」という作品にいたく感動いたしまして・・・・・・新川先生を説得しますので、ご了解くださいというものだった。

そして、結果的に「父」が採用された。

では、まぼろしの「米原あたりで」とはどんな詩だったのだろう?

 

        米原あたりで

 

夜になって

大雪が降って

米原あたりで

列車は停まり

 

背中をまるめて

タバコを吸って

君を想えば

車窓のむこうで

 

風と

雪は

 

星のように

光のように

愛のように

かなしみのように

 

「父」とおなじく『新選組になればよかった』に収録されている。