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ひさかたの ひかりのどけき 春の日に

               静心なく 花の散るらむ

 

これは平安時代歌人紀友則の代表作で「古今和歌集」に収められている。

教科書でも、よく見かける和歌である。

 

だれでもそうだが、何か作品を作ろうとするとき、なんらかのきっかけはあるものだ。

詩を書き始めて、なにか賞でも狙おうかと、あながち冗談ではなく、考え始めた頃、不意にこの和歌を思い出した。意味は良くわからないけれど(パソコンもなかったし)、とても、美しい歌だなあと刺激を受け、「春のひかり」という詩を書いて、詩人会議の新人賞に応募した。もちろん、内容も、コンセプトもまったく違うものだ。一番ではなかったが、上位の賞を受賞して、上京し日本青年館での表彰式に臨んだ。

この頃から、ぼくの作品はフェアーにいうが「賞金荒し」の異名をとるように、詩の文学賞で、快進撃を続けていくことになる。

しかし、ぼくの創作のルーツは、誰が何といってもやなせ・たかし氏がほんとうに責任編集をやっていた、サンリオの「詩とメルヘン」であることに相違はない。

東君平さんが病に倒れて、やなせ・たかし氏が病院にお見舞いに行った。

やなせ・たかし氏が部屋をたずねたとき、君平さんはベッドで横になり、眠っていたという。しばらくして、君平さんが目を醒まし「ああ、やなせくん、来てくれていたのか。いまね、天国の下見をしてきたところなんだよ」といたずらっぽく笑ったという。

君平さんが天国に召されてから、ずいぶんと時が経ったころ、そのときの様子をやなせ・たかし氏から電話で耳にした。なんの脈絡もなく「寂光」という言葉が、浮かんだ。いそいで、原稿用紙に書いて「詩とメルヘン」に応募した。もちろん、君平さんのことは一行も出てこない。やなせ・たかし氏は「さみしい光」のほうがいいのでは?とアドバイスしてくれたが、ぼくは「寂光」で押し通した。それでも「寂光」はそのままの形で入選し掲載された。「いくら 月の輝く夜でも 病院へと向うぼくの足取りは重かった・・・・・・・」という一節ではじまるこの詩は、好評を得た。

しかし、ぼくは、どうして「寂光」・・・・「じゃっこう」というタイトルにあんなにこだわったのか。寂光土の寂光でもないし、やなせ・たかし氏の「さみしい光」で掲載されたほうが、より多くの読者の共感を得たかもしれない。

でも、君平さんに捧げた作品だもの。タイトルには、ついこだわってしまう。

つぎは、やなせ・たかし氏に捧げる作品を書かねばならなくなった。