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実のところ、こころの調子が良くなくて、4日から10日間の「自宅療養必要」の診断書がでている。たしかに、数日前から、その前兆のようなものはあった。愛車に乗ろうとすると、急に足元がすくむような恐怖で一歩も動けなくなったり、空が視界に入ることに抵抗を感じたり、おかしいとは、思っていたのだけれど。3日には、頭と胴体が、まるで、離れているような感覚に捉われ、自分のからだが、自分のものだと実感できなかった。あとは、もう、激烈な気分障害にさいなまれた。もう、30年以上、おつきあいしている持病なのに、いざ、症状がでると持病に対して、正確な判断ができなくなって「なんなんだ、この感覚は」ということになり、いきつけのクリニックに診てもらう。

もちろん、これらの症状を、今なら、ひとつひとつ医学的に自ら説明することはできるが、症状が出てしまうと、そんな余裕など吹き飛んでしまう。

女性ドクターはいう。「詩を書いていきなさい。この病気は、〇〇さんのように芸術分野で活躍している人にとっては、必ずプラスに働きますよ」って。以前も書いたが、そのように、おだてつづけられ、詩を書いてきた。それの、くりかえしだ。

診察を終えて、自宅にもどると郵便受けに上の詩の文学コンクールの応募要項のチラシの入った封筒が投函されていた。6月頃から、別の文学賞への応募の誘いの郵便がひっきりなしに届いていて、その時までに、原稿用紙2枚程度ものを2作を仕上げていた。

チラシの蟹と水仙の文学コンクールは、10年近く前に応募して、大賞は逃したが、次賞の奨励賞を受賞した。1等賞好きのぼくは、満足ではなかったが、選考委員長が詩人の荒川洋治だったので、まっ、2番でもいいかという気持ちになった。

授賞式は福井県越前町で行われた。ひとりで電車に乗ることが困難なので、妻にも付き添ってもらった。会場のすぐそばは日本海。灰色の日本海は大荒れだった。空に、今にも落っこちそうな重たい雲が、どこまでもつづいていた。授賞式には似つかわしくない風景だったが、ぼくの精神風土と重なり合っていて、とても印象深く感じられた。

こころの症状も、軽くなったあたりから、ぼくの頭の中は、無意識に、この文学賞に向けての物語を紡ぎだしている。

病気休暇の満了日以降、実際に、文章化したいと思っている。