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唐突だが、「水晶体再建術」というオペを行った。左右両眼共である。

まあ、平たくいうと白内障のオペなのだが、これはきつかった。

さかのぼること、4,5年前から、眼に違和感を覚えるようになった。うすっぺらなすりガラスを介して、景色が見える、あるいは、ぼんやりとしか映らない。それでも、車の運転には支障はなかったし、毎年の健康診断でも視力は両眼共1・0を保持していた。

しかしながら、気にはなっていて、2年前の冬に近くの眼科クリニックを訪れた。

視力以外は、はじめて体験するような検査ばっかりでとまどった。要するに、眼球に直接、検査機器をくっつけたりされたので、拒否反応はあった。で白内障が進行していることが判明し、総合病院の眼科に紹介状を書かれて、オペを行う方向で話は進んだ。

白内障の進行を遅らせる点眼薬も存在するが、高齢者ならまだしも、ぼくのような年齢では、いずれにしても、オペはおそかれはやかれ、行うべきだと主治医の勧めもあり、決心した次第である。眼科医というのは、圧倒的に女医が多い。やはり、女性のほうが指先が繊細なのかなあと思ったりもする。主治医が、中森明菜の若い頃そっくりで、執刀も担当してくれるということで、そのことが、オペに拒否感を覚えるぼくの背中を押したことも否めない。もちろん、ぼく自身が、こころの病を抱えていることも、パニックを起こしやすい精神状態も話してあり、そこのところは、精神科医と、頻繁に連絡を取り合ってくれたようで、可愛い声で「安心してください」と諭された。

しかし、入院説明会の時、オペの内容を聞いて、「このまま、どこかへ逃げだしてしまいたい」恐怖を覚えた。後悔した。他の患者さんは、かなり、ご高齢の方ばかりでちゃんと説明を聞いていないような気がした。白く濁った水晶体を取り出して、人工のレンズをいれる。オペは20分もかからないという話ではあったが、ぼくには点眼麻酔だけで、眼球にメスを入れる、そして、その状態を把握しながらオペが進むということが、どうしても受け入れることができなかった。こんなのアリかという気持ちだった。

説明会の部屋に、目玉のおやじのポスターが貼ってあったのが妙に印象に残ってる。

片眼のオペで、3泊4日の入院。一週間空けて、また3泊4日の入院。

ネットなどを調べると「日帰り手術」を謳っているクリニックも多い。しかし、ぼくの体験から、それはありえないだろうと思う。オペそのものは20分で終えても、あとのケアが大変であるからだ。3日間の金具の眼帯。入浴禁止、特に洗顔、洗髪は主治医の許可が出るまで禁止。3時間に1回4種類の点眼薬の投与。これも、種類ごとに5分ずつ開ける。

よほど、理解のある会社の事務の仕事オンリーというひとなら、あるいは、そういう選択肢もあるかもしれない。

新しくできた総合病院なので、設備も最先端のものらしい。

保健で受けられる単焦点レンズでは、手術後は近くのものが、ぼんやりとしか見えなくなり、中遠はよく見えるようになる。保健外だが、多焦点レンズというオプションもあって、微妙な眼の筋肉の動き、調整も可能で、極めてナチュラルな代物だ。しかし、反面、不具合の症例も多く、いうまでもなく、ぼくは、前者を選択した。

その時点でも、まだ、眼球にメスを入れるという、受け入れがたい事実に恐怖を抱いて、睡眠薬を服用しないと眠れない状態にあったが、「まあ、大丈夫さ」とどこか、たかをくくっていたところがあった。

入院の翌日の午後にオペと決まっていた。1回目のオペは右眼から。

TBSの「ひるおび」はSMAPの解散騒動を報じていた。

看護師が現れて、車椅子に乗せられ、オペ室に入る。人間の頭蓋骨がきっちりとはめこまれるようなベッドがあって後頭部を埋め込むように、上向きに寝かされた。

ライトの浴び方などは、歯科を彷彿させる。

片眼だけ穴の開いた布を被せられる。

点眼の麻酔薬をいやというほど、落とし込まれ、脱脂綿で眼球を磨くように、消毒された。この時点で、ぼくは、もう、白旗を挙げていた。手足は強く縛られているし、大声を出してしまうかもしれない。いや、この場合、大声を出して助けを求めたほうが、よほど自然な状態だった。

もう、すでに、オペは始まっている。メスが眼球めがけて、近づいてくる。

このあたりから、記憶は断続的に途切れている。

メスの入った、痛みはないが、感触はある。

冷や汗は流れっぱなし。発狂しそう。

そんな中でも、「は~い、眼を右に動かしてください」などの指示がある。

恐怖で動悸が飽和状態になって、心電図の波形が異状を示すたびに「もうすぐ終わりますよ」と激励の声が返ってくる。

一瞬、目の前が真っ暗になる。そして、また、明るさを取り戻せば、オペも終わり。

一般病棟に戻されて、中森明菜似の主治医が、ニコニコしながら、様子を見に来てくれた。「きょうは、よく頑張りましたね。5回くらい、気を失っていましけど」って。

オペから2日後、包帯と眼帯をはずす。世の中、こんなにも明るかったのかと実感した。よく見えすぎて、たとえば、新聞紙のいちばん小さな文字に「毛」が生えているのがわかる。これは、インクのにじみだ。

しかし、日がたつにつれ、視力も落ち着いてくる。

退院時の視力は両眼共、1・2だった。が、裸眼でいくらというのではなく、眼鏡をかけて、いくらという矯正視力を基準にしている。

オペから2年近く経った今でも、ドライアイがひどく、点眼涙液が手放せない。

オペの前日に、主治医に「先生、オペが終わったら食事に誘います」というと主治医は「待ってますよ」と笑ったが、5回も気絶したんじゃなあ・・・