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菊池貞三は朝日新聞の記者出身の詩人である。

郵便局が国営時代、「郵政」という冊子の文芸コーナーで詩の選を担当されていた。詩を書く人なら誰もが知ってるような詩人でさえ、「郵政」ではいち投稿者にしか過ぎず、掲載枠が2作品だけだったので、相当、クオリティの高い作品が要求された。

ぼくは、ここで「詩とメルヘン」とも「産経新聞朝の詩」とも違う彩りを持った作品が存在することを知った。

「詩とメルヘン」のやなせ・たかしは、多少下手でも、光る言葉がひとつでもあればイラストで補ってあげようという太っ腹なサービス精神があったし、「産経新聞朝の詩」の新川和江は、素人の広場だから質よりも、新聞という媒体を鑑みたバランスを大切にされていた。

しかし、菊池貞三はガチンコで作品を選んでくる。だから、小手先のテクニックなど通じるはずもなかった。

それでも、いつしか、毎号毎号、ぼくの作品を取り上げてくれるようになった。

掲載してくれても、選評でかなり厳しく文章、表現の欠点などを指摘された。

あるとき、不条理文学の要素を取り入れれば、新たな魅力が引き出せるのでは、と菊池貞三からアドバイスを受けた。

ぼくも、なるほど、新境地が開けるかもしれないと思った。

フランツ・カフカ張りの不条理を描いた作品も出来たし、何かが少し歪んでいる程度の

作品も世に送り出した。

菊池貞三には、こわいイメージがあるが、1999年郵政文学賞の佳作、そして、2000年文学大賞を受賞して野田聖子より郵政大臣の賞状を手にしたとき、電話だったが

菊池貞三は、我が事のように喜んでくれた。

直後に郵政が民営化されて、会社組織は、見事に破壊され、職員のこころも人間性を失った。

民営化の嵐が、吹き荒れた。恐ろしい暴風雨が吹き荒れた。

いつの間にやら「郵政」も廃刊されていて、うすっぺらな、お子様ランチの冊子「ゆうせい」が取って代わった。

菊池貞三の死がご家族から報された。ぼくは、ただただ掌を合わせた。

今回の「公園」は不条理とまではいかないが、アドバイスをされた前後、ぼく自身も何かを模索していた時期に書いたものである。

 

       

     公 園

 

陽が傾きはじめた 近所の公園で

ちいさな女の子が

ひとりきりで

ブランコをこいでいる

 

ごっこをしていた

何人かの少年が

ふざけ合いながら にぎやかに

公園を出ていく

 

おしゃべりに夢中だった

若い母親たちは 思い出したかのように

それぞれに子供の名を呼んで

あわただしく公園をあとにする

 

女の子だけがブランコをこいでいる

 

もう陽が沈んでしまうというのに

この子の母親はどうしたのだろうかと

あたりを見わたして

もう一度 視線を戻したとき

 

女の子の姿はなく

ただ ブランコだけが

風のない公園にゆれていた