イチネンホールディングス企業CM 大行進篇 90周年 A 15秒 - YouTube
センターのプラカードを持った中間管理職風のリーマンおやじ、よく知っている男だ。
ぼくの数少ない信頼の於ける友人のひとりだからだ。
ぼくは、岡Pと呼んでいる。
彼と知り合ったのは、学生の頃。
当時、カタログ販売の最先端を突っ走っていた企業の物流倉庫で、出荷作業の
バイトをしているときに、知り合った。
最初は温和しい奴だなあという印象で、付き合っていたが、彼には脚本を書き
、しかも役者を目指しているという夢があることを知った。
その頃は、ぼくも詩を書いていて、雑誌や新聞の投稿で、小銭を稼ぎ始めていたので
「文学」というか「夢」という一点で、急速にぼくと岡Pの距離は縮まった。
文学仲間を集めて、「遊星群(ゆうせいぐん)」という文芸誌を作った。
ぼくは詩、岡Pは戯曲、他は小説、エッセイ、劇画という構成だ。表紙絵は漫画風にならないように、ぼくと岡Pが担当していた。
ぼくが編集長で、岡Pが副編集長。ワンマンで短気で単細胞な、ぼくの行き過ぎる行動と判断のブレーキ役に徹してくれた。
おかげで、いいものができ、その評判は中央文壇にも轟いていて、5人のメンバーは熱くなっていた。夢を信じられた時代だった。
だが、「遊星群」は、メンバーの交代などもあり、不定期発刊で結局第5号までしか続かなかった。
バイト生活も終わり、就職も決まって、ぼくは結婚をした。メンバーはもとより、岡Pとも会う機会が目に見えて少なくなって、会えないことが日常になった。
ぼくも、自分の創作のことで、いっぱいいっぱいになっていた。
頭の中が飽和状態になっていたある日、TVの情報番組をぼんやり観ていて、突然妻が叫んだ。
「今、岡Pが出ていた!」と。やしきたかじんの番組で宇宙戦隊の隊長役を演じている男は、たしかに、岡Pに似てはいたが、確信を持てなかった。妻は「間違いないって」と興奮が冷めないようだ。で、岡Pに電話した。数年ぶりだった。岡Pの元気な声が帰ってきた。真相をただすと「バレたか」といって笑った。
よく訊いてみると劇団とタレント事務所に所属し、端役もあれば、主演もあるが、いろいろと出演しているといった。「プロジェクトX」「歴史ヒストリア」「たかじんのマネー」、CMでは「堺引っ越しセンター」(1分バージョン)、そして、「イチネンホールディングス」。あと、まだまだあるが、憶えきれていない。
舞台もコロナまでは、何度か妻と足を運んだ。岡Pが登場すると、なんか空気感が変わるのだ。
何年経っても、夢を追い続ける友達は、青臭い言葉でいえば、ぼくの誇りでもある。
イチネン イチネン なあんの会社かわかるかな?」とピョンピョンと汗だくになって、飛び跳ねている岡Pの姿を見ていると
Nevergive up!!! と,このぼくも、叫び続けなければならないなあ。