選者が日本の代表的な詩人・新川和江から「野菜畑のソクラテス」の八木幹夫に代わってからは、昨年6月の「すみれ」以来のこと。
選者交代から2年半、最初は様子見で、数篇投稿したが、感触は良くなかった。
なんか、ソリが合わないというか、しっくりこないものを感じていた。
これほど、いい詩を書いても載せないつもりかと、心中穏やかではなかった。
それに、実際掲載されているのは、そこいらの普通のおっちゃん、おばちゃんの作文未満の文章で、酷すぎるなあと思った。(一部例外はあったが)。
そういう感想を持ったのは、ぼくだけではないはずだ。
ぼくは、どちらかというと、虚構であっても美しい、命の儚さ、人間の再生、日常の中の非日常などドラマ性の色濃い作品を書いて新川和江に認められ、新川和江も、ぼくにはそれを求めていた。
だから、産経に投稿するときは、新川和江に恋文をしたためるように書いていた。
しかし、今度の選者は違っていた。
そして、昨春頃、交代時の挨拶で八木幹夫は「ごく普通の読者の声を選びたい」と書いていたことを思い出した。
それで、昨年、技術としてのレベルを落して「すみれ」を書いて掲載された。
なるほどと、思った。このひとが求めているのは、ごく普通の感情で、ごく普通の声で、等身大の日常だったのだと確信した。
(新川和江先生と八木幹夫先生は文章の構成上敬称略にさせていただいた。)
ぼくが、選者に媚びることはない。ただ、掲載されるためには戦略のひとつとして、選者のポリシーに寄り添うことは必要だなと感じた。
やはり、新聞という「媒体」は魅力的だ。何十万と賞金をもらえるコンクールで、何度大賞に選ばれても、名誉だけが残り、名前は広まらない。
それは、経験からいえることだ。
産経新聞で200万部の発行部数である。
思いも寄らないひとが読んでいて、過去には、素敵な出会いがいっぱいあった。
それで、1月に今回の詩を書いた。
「すーちゃんのサイレン」という詩ができ、コレは行けるかもと思い投稿した。
もちろん、ぼくの意地で「ぼくらしいテイスト」は入れたつもりである。
掲載決定の電話に戻ると
編集部の方は「いい詩に巡り会えたと八木先生もおっしゃられていましたよ」といってくれた。
「そして、この詩は多くの読者の共感を得るだろう」と。
リップサービスなのか、わからないが、産経の場合、掲載が決まっていても、毎回、連絡があるというわけではなく、気まぐれで電話で知らせてくれる。
ただ、2回とも、孫のすみれのことで・・・・すみれ様々(笑。
不覚にも、ちいさな幸福感に包まれたことはたしかである。
今夜からは、すみれにケツ向けて眠れないなあ。
あれっ、ケツではなく足だったっけ?