近畿地方が梅雨明けした翌日、大阪歴史博物で開催されている「あやしい絵展」を鑑賞してきた。
「あやしい」と広辞苑を引くと「怪しい」「妖しい」奇怪であり、妖艶でもあること、とある。
明治期に政治、経済、文化、思想といったあらゆる方面において西洋から制度、知識、技術がもたらされるなか、美術界では、西洋美術の技法の本格的な導入と発展、西洋の思想に裏打ちされたさまざまな表現が創出された。そのような表現の中には、退廃的、妖艶、グロテスク、エロティックといった言葉で形容できるものがあった。美しいというだけの言葉では決して言い表すことのできないこれらの表現は、美術界の一部からは批判を受ける一方、文学などをバックグラウンドとして大衆に広まっていったことも事実である。本展では、幕末から昭和初期に制作された絵画や版画、雑誌や書籍を中心に、歌舞伎などの大衆娯楽や西洋からの影響を受けた文芸の存在、個性・自我の尊重、「新しい女性」の出現、社会の底辺層への眼差しなど時代の諸相と紐付けながら、こうした「あやしい」表現が生まれた背景に迫る作品が数多く展示されている。
意味深な視線。満開の朝顔が茂る垣を背景に、着衣から美しい首元をのぞかせる女性。こちらに向けられた大きな瞳は優しいが、吸い込まれそうな不思議な深さを感じさせる。充分に完成された美人画のようだが、創作課程には多くの謎が残されている。
島成園「無題」
右頬の青あざが、痛々しい。しかし、女性は、涙をみせることなく、こちらに目で強く訴えかけている。
鏑木清方「妖魚」
海上の岩場に身を横たえる女性。
濡れてみだれた黒髪を這わせ、
あやしい微笑みを正面に投げかけている。
下半身は金の鱗に覆われ、長く伸びたその先は2つに割れて……
妖魚、つまり彼女は人魚。
両手で小魚をもてあそぶ様はどこか挑発的で、
見るものを屏風の内側へ誘おうとするかのようだ。
ベックリンなど世紀末絵画を思わせる作品。
稲垣仲静「猫」
普通のイメージでは、可愛くない猫。どちらかというと、やはり、妖艶さが目立つ。
この展示会の案内役をやってくれている。
上村松園「花がたみ」
人物の虚ろな目つきと半開きの口元といった表情から、
尋常でない様子が感じられる。
モデルは富勇という祇園の芸妓。
松園はそれに加えて狂女の表情のために
京都の岩倉村(現在の左京区岩倉地域あたり)にある
精神病院に通って入院患者を観察し、
また能面の十寸神(ますがみ)を写生し人間の顔に当てはめて、
この女性の顔を完成させたそうである。
甲斐庄楠音「横櫛」
美しく装った女性だが、よく見ると白粉で隠されたはずの血の通った肌の生々しさがにじみ出ている。開ききった背景の花も相まって、爛熟した官能的な雰囲気があふれる。
高畠華宵 「少女画報」
うつろな眼差し。少し開いたくちびるに、ハッとする色気を感じてしまう。
他にも・・・・・あまりに、野暮ったい「淀君」。
耽美的な狂気の世界や・・・・・・・。
翳りのある女性・・・・・。
モロ、グロテスクな・・・・絵画たち。
他にも多くの印象的な作品があったが、資料がないので、ご紹介できず、申し訳なく思う。
ぼくが思うに、この展示会の作品の数々は、「もてはやされる、うすっぺらな美への抵抗」であることは間違いがない。
この夏にお薦めの展示会である。