去る4月7日、藤子不二雄Ⓐの死去が報じられた。もともとは、藤子・F・不二雄とコンビを組んで「藤子不二雄」のペンネームで、数多くの夢のような少年漫画を生み出していた。
ところが、1987年、コンビを解消。
共同作業ではなく、それぞれが、それぞれの人気キャラクターを生み出していたこともこの時に判明する。ぼくも含めてコアなファンは画風やストーリー性の違いに気付いていたから、それほど驚く出来事でもなかったが。
◇藤子不二雄Ⓐ(我孫子素雄)は「忍者ハットリくん」「怪物くん」「まんが道」
◇藤子・F・不二雄(藤本弘)は「ドラえもん」「パーマン」「キテレツ大百科」
などの代表作がある。
唯一の共作が「オバケのQ太郎」。
我孫子素雄は、年齢を重ねるにつれ、少年漫画を描くことに大きなストレスを感じ始めていた。今、自分の描きたいのは「ブラックユーモア」だと。それで、「ドラえもん」で大ヒットを飛ばしていた藤本弘の正統派少年漫画の世界観を壊さないよう、我孫子の方からコンビの解消を申し出る。
藤子不二雄Ⓐでいえば「魔太郎が来る!!!」は個人的に大好きな漫画。
いじめられっ子目線で描かれていて、その眼差しが温かい。
いじめっ子は魔太郎の呪いを受けて、悲惨な目に遭うのだが。
「笑ウせぇるすまん」の前身「黒イせぇるすまん」70年代に描かれていて、ブラックユーモアのセンスはその頃からピカイチだったのだろう。
「ひっとらー伯父さん」は隠れた名作。よって、隠れファンも多い。
ご冥福をお祈りいたします。
そして、ひと言「ありがとう」の言葉を。
人間の命のことだから、仕方がないが、ほんとうに味のある、いい漫画家がこの世を去って行く。それじゃあ、さいなら・・・みたいな感じで。
それは、つらいことだなあ。
近年では・・・・・。
令和3年9月 さいとう・たかを
さいとう・たかをといえば「ゴルゴ13」。
でも「ぼくらマガジン」で連載された「バロム・1」は最高だった。
実写化されて、その出来にガックリきたが。
令和3年10月 白土三平
この人はアニメで名前を覚えた。「カムイ外伝」や「サスケ」では命のはかなさが描かれていた。
雑誌で読むと、劇画的すぎて、ちょっと読みづらかったなあ。
令和2年6月 ジョージ秋山
「アシュラ」を読んだときの、ショックは、今も忘れない。
青年漫画の「ピンクのカーテン」で新境地を開いたかな?
手塚治虫、石ノ森章太郎、横山光輝らも、もうとうにこの世にいないのが、今更ながら寂しい。