NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の1年間にわたる放映が終わった。
三谷幸喜の脚本は好まないが、本作については、魅力のあるドラマに仕上がっている。

全48話、一話一話に見応えがあって、次の回が待ちきれないほどだった。

個性豊かな登場人物が多い中、やはり、主人公の北条義時小栗旬にフォーカスしたい。

物語の中心人物であるが、実のところ、文献にも、くわしくは残されていない。

 

北条 義時(ほうじょう よしとき、長寛元年(1163年) - 元仁元年(1224年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士。北条氏の一門。鎌倉幕府の第2代執権伊豆国の在地豪族・北条時政の次男。北条政子の弟。

平家隆盛の世、北条義時は伊豆の弱小豪族の次男坊に過ぎなかった。だが流罪人・源頼朝と姉・政子の結婚をきっかけに、運命の歯車は回り始める。

 

1219年に、源氏将軍が断絶すると得宗の義時が鎌倉幕府の実質的な指導者となり、第2代執権となる。

政敵には罠を仕掛け、ドンドンと粛正していき、北条家を護った。

 

幕府と朝廷の対立が激化すると、1221年に後鳥羽上皇より義時追討の宣旨が全国に発布され朝敵となるが、幕府軍は京都に攻め上り朝廷を制圧。後鳥羽上皇らを流罪として、本格的な武家社会の礎を築いた。(承久の乱)。

北条義時の大まかな生涯である。

 

「執権」

基本的に鎌倉幕府は、鎌倉殿と御家人の主従関係で成り立っており、北条氏も御家人のひとつに過ぎなかった。

時政の就任以来、北条氏の権力確立の足場となる。2代執権の北条義時が侍所の別当を兼ねてからは、事実上、幕府の最高の職となった。

 

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江間の小四郎と呼ばれた頃。まだまだピュアで血なまぐさい事件とは無関係の時代。

 

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義時が若かりし頃、北条家に匿っていた、源頼朝に見出され、政(まつりごと

)を学んだ。

落馬で頼朝が死去。2代、3代将軍を巻き込んだ権力闘争に、北条義時は勝利し

第2代執権となる。

 

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義時の表情も険しい。

左から、北条義時、ひとりおいて北条泰時(後の3代執権)、源実朝(3代将軍)。

「源氏と平氏

平安時代藤原氏のような貴族に代わり、武士が存在感を増してきた。「源氏」も「平氏」も武士のグループで、源(みなもと)の姓を名乗る一族が源氏、平(たいら)の姓を名乗る一族が平氏

源氏、平氏ともに天皇家にルーツをもつ由緒ある家系で、源氏は東国に、平氏は西国に権力を築き、二大派閥になっていく。

武家の名門である、源氏と平氏。どちらも天皇家にルーツを持っていた。

皇族がその身分を離れ、姓を与えられ臣下に下ることを「臣籍降下」と言う。源氏の「源」と、平氏の「平」は、天皇から賜った姓のひとつ。姓を与えられた皇族のうち、軍事専門職についた人たちを軍事貴族といい、平清盛源頼朝たちも軍事貴族

このように臣籍降下した皇族は何人もいるので、鎌倉幕府をひらいた源氏だけが源氏ではなく、平清盛の親戚だけが平氏ではない。

ただし、北条の家柄は、特に名もない板東武者、東国の一豪族に過ぎなかった。

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義時、人生のクライマックス。

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義時最後の時

ドラマでは、北条政子が、薬を義時に渡さず、落命するというシナリオ。

あまりに多くの人命を奪い、病の床にあっても、北条家の邪魔になるような人物には粛正をもくろんでいたため、政子はあえて薬を渡さなかった。

北条義時、死去。(享年62歳)。

  

しかし、これはドラマに過ぎず、実際の死因もはっきりしない。

だが、それを言い出したら、一本の物語も成立しなくなる。

 

歴史はいつの世も、塗り替えられていくものだ。