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デトロイトといえば、すぐに自動車を想起してしまうが、そのデトロイト美術館が今、そのままの形で、大阪市立美術館に引っ越してきている。

日本未公開の作品も15点あるというので、ぼくは、8月に観にいっている。ポスターはゴッホだが、ぼくの好きな印象派のモネやルノワールの作品、それに、なんといってもピカソ。しかし、館内は美術オタクで、超満員で、のんびり、美術鑑賞をいたしましょうというレベルのものではなかった。だから、モネの作品の前で、何十分も立ち尽くし・・・・・・ということはなかった。

とはいえ、時間はかかったが、すべての作品を鑑賞することは可能だった。

そのときは、自分の創作活動に劇的な刺激を与えてくれるものはなかった。

しかしながら、よくよく考えてみると、ここに展示されている作品を描いた、超有名な画家たちは、すべて、もうだれひとりとして、この世には存在しないのだ。

あたりまえの気づきが、ぼくの創作意欲をそそった。

その日の、アイデアノートには、そのような印象を書き記している。

グッズコーナーでは、ぼくは、ポストカードを買った。このデトロイトに出展されていない作品のポストカードも数多くあった。たとえば、ピカソでいえば、「ゲルニカ」などは、ポストカードで手に入れることはできる。

ぼくは気に入ったものを20枚ほど買った。気に入ってるから、実際にはがきとして使うなら、よほど、大切な人に限られてくる。

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これも、ピカソの作品である。息子のパウルを描いている。「青の時代」の若き日のピカソが一番好きだけど、この絵も好きなので、コレクションにしたいと思っている。

(ポストカードが購入できるだけで、デトロイト美術館には展示されていません)

構図をデフォルメした一般の人が知るピカソの作品からは、縁遠い、とても具象的な作品である。

夏の一日、鑑賞した作品たちは、いつの日か、ぼくに、とびっきりのいい作品を書かせてくれる。詩か、エッセイか、何かで・・・・・。

そう、信じている。

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連日の炎天下の酷暑は、熱中症に罹患することもなく乗り越えたが、8月の末になって、持病の精神疾患の悪化で病気休暇を取っている。

すこし、改善の兆しがあり、医師の許可を取り、ほんとうに久々に更新している。

長らくの休みを取ることになり、会社や同僚に申し訳ないと思う。

しかし、主治医は「申し訳ない」と思わなくていいと言い切る。

「いいですか、〇〇さんが休んだところで、会社は潰れないし、業務に特別な支障はでない(なるほど)。会社だって、いまさら、〇〇さんに頑張ってもらおうなんて、期待していない(なんとなく納得)。〇〇さんに期待するのは、だれにも真似できない詩世界であり、人間の物語を発表し続けることです」。たしかに、そんなふうにおだてられ続け、ぼくは書いてきたし、幾度も多額の賞金を手に入れた。

主治医は、会社を軽んじているのではない。名医なのである。

お付き合いをして8年になる。

二十歳の頃、発症したパニック障害と患者目線でいっしょに闘い続けてくれた医師が他県に転勤して、現在、お世話になっている主治医と出会うまで、何十というクリニックを訪ねた。そして、知りえたことは、世の中、こんなにも「ヤブ医者」が多いということだった。プライドだけ、人一倍高い、おっそろしい「ヤブ医者」が蔓延している。

30年以上も、患者歴があると、自然と専門用語やくすりの種類など覚えてしまうものだ。ぼくも初対面の医師と話すときは、気をつかっているのだが、うっかり、専門用語を使ってしまった。「SSRI、アンビバレンス、マイナートランキライザーという用語に、その若い医師は過敏に反応した。烈火の如く、顔を真っ赤にして、患者のぼくに対して、怒り狂ったのである。

ぼくは、医師に向って「ぼくは、あんたが鼻たれ小僧のときから、こっちは苦しんでいるんだよ!」と怒鳴った。

ぼくのこころが折れたのはいうまでもない。後日、友人の弁護士が代理人として医師をたずねた。「裁判を起こして、莫大な精神的慰謝料をいただくことになる」と伝えた。医師はこどものように泣き崩れ、裁判を起こすことなく、示談は成立した。

精神科医は、診察室に「ハイル・ヒットラー!」と右手を上げて入ってくるような患者も救おうと手を尽くすのが当たり前だ。それを受け入れなれない精神科医は、いますぐ、廃業していただきたい。

精神科医は、注射やメスの変わりに、言葉を使う。

言葉で救う。(むろん、くすりの力も借りる)。しかし、最終的にひとのたましいを救うのは、言葉である。

言葉を使いこなせない精神科医が、多すぎる。

 カウンセラーに求めるのも、選択肢のひとつだが、どれほどの技量があるのか疑問だ。

いずれにしても、良好な信頼関係が成立していなければ、よい結果は望めない。

 

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水道水が,生ぬるい。シャワーも、お湯を浴びているようだ。

エアコンはつけっぱなしなのに、寝苦しい夜がつづく。

昼間、吸収した熱を放出できないでいるのだ。

太陽が、こわい。

少し長めに取った夏季休暇もきょうで終わる。

お盆は、それなりに行事があって、忙しかった。

映画はシン・ゴジラ「X-MENアポカリプス」を観た。

シン・ゴジラ」は、まったく、甘さのない映画で、あくまで政府VSゴジラ(自然災害、原発、深読みすれば、おとなりの赤い大国ともとれる)。

ストーリーもよくできていて、機会があれば観ていただきたい映画だ。

「X-MENアポカリプス」は、話がX-MENの誕生秘話かつ完結編。

ストーム役は、いつもどおり、ハル・ベリーでやってほしかった。

そうそう、この夏季休暇の、いちばんの目的は原稿を書くこと。

ぼくは、原稿を書くとき、TVをつけっぱなしにする。TVを観ながら書く。

オリンピックくらいしか観るものがなくて、あたりまえの金とまさかの金、くやしい銀と殊勲の銀、歓喜の銅といった悲喜こもごものメダル獲得があることに、興味をもった。

それに、東京ではパラリンピックを先にやって、完璧にTV中継すればいいなと思った。

原稿は原稿用紙2枚と3枚のドラマを書いた。

あと一篇。今日中に書けるかなあ・・・・・・・。

暑さで、なーあんにも、案が浮かばないんだけど・・・・・・・・。

 

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このところの猛暑で郵便配達中は500mlのペットボトルを最低でも4本は空にする。半分はスポーツドリンクだ。それでも、とめどなく噴出す汗。

殺人的な夏のひかりに「ああ、おれは、このまま、太陽に焼かれて蒸発してしまうかもしれない」と本気で思う。

そんなときに、場違いにも、詩の言葉が降ってきたりする。

ぼくは、半ば、失いかけの意識で、ガラケーのメールで「詩のアイディア」として家のパソコンに送る。もっと、気の利いた方法があるのだろうが、思いつかない。

家に帰って、パソコンを開くころには、8割がたできている。もちろん、書き直しってのも、ゴマンとあるけれど。

うえの本は産経新聞朝刊に掲載される朝の詩が20周年を迎えたときに、新川和江の想い入れのある作品を集めたものだ。2003年発刊だから、13年になるのかあ。

光栄にも、ぼくの詩も選ばれ、帯の紹介文に採用された。

当初、「米原あたりで」という詩を新川和江が選んでくれて、当然、それが掲載されるはずだった。郵送されてきた文章にも、はっきりと掲載詩「米原あたりで」と明示されてある。

ところが、出版の幻冬舎から「米原あたりで」ではなく「父」に変更してくれないかと電話があって、びっくりした。担当者は、新川先生は「米原あたりで」とおっしゃられているのですが、当編集部で検討した結果、「父」という作品にいたく感動いたしまして・・・・・・新川先生を説得しますので、ご了解くださいというものだった。

そして、結果的に「父」が採用された。

では、まぼろしの「米原あたりで」とはどんな詩だったのだろう?

 

        米原あたりで

 

夜になって

大雪が降って

米原あたりで

列車は停まり

 

背中をまるめて

タバコを吸って

君を想えば

車窓のむこうで

 

風と

雪は

 

星のように

光のように

愛のように

かなしみのように

 

「父」とおなじく『新選組になればよかった』に収録されている。

 

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                                      俳人・尾崎放哉・おざきほうさい)

 

「咳をしても一人」

 

あまりにも有名な放哉の俳句である。

このひとはこの俳句を残すために、この世に生まれてきたのではないかと信じてしまえるほど、この句は凄い。

この短いセンテンスから、リアリティのある部屋の空間、空気の透明感、救いようのない静寂感がとり肌が立つほどに伝わってくる。

ぼくは、高校のとき、この句を授業で知って、椅子から落っこちそうになったほどだ。

放哉は五・七・五の定形型の俳句ではなく、自由律と呼ばれる文字数などの捉われない俳句を好んで書いた。種田山頭火などもおなじである。

この句もまた、ぼくの創作の原点のひとつである。

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暑い!いや、熱い!二輪で配達していると、容赦なく灼熱の夏のひかりが、じりじりと肌を焦がしていく。真っ黒になった。

しかし、この季節こそ、有力な詩の文学賞の応募の季節である。8月中、9月半ば、10月末〆という感じで創作意欲を駆り立てる。

ぼくは、これまでにも、いくつもの大きな賞から小さな賞のてっぺんを獲ってきた。

いちいち記録はしていない。

表彰状や盾、トロフィーもいくつもいただいたが、部屋には一切、飾らない。すべて、押入れの奥に雑然と仕舞い込んである。

そんなものに興味がないからだ。

ぼくが興味があるのは、てっぺんを獲ったか獲れなかったかの事実、それと、授賞式の雰囲気は大切にしているし、妻と鉄道で行く授賞式への旅。

しかし、ここ6,7年は本格的な賞には応募していない。気が向いて応募しても3位程度ならよろこびもない。やっぱり、母が他界してから、ぼくのなかで、ポキンとなにかが折れたように思う。ひとつの翼のエンジンが完全に壊された感触があって、いつも、片肺飛行しているような感じだった。

書き続けてはいたが・・・・・・。

最近になって、驚くほど「詩」には関心を示さない妻が「今度は、九州へいこう!」とぼくの背中を推す。

たしかに、諫早市主催の歴史のある文学賞がある。

「そうやな・・・・どうしようかなあ」と返事をはぐらかしていたが、学生時代の「ある事件」を思い出して、これを題材に書けば、いけるかもしれないと、胸にこみ上げてくるものがあった。いくつかの言の葉たちが、降ってきた。

20分くらいで、原稿用紙2枚分の作品の構想はまとまった。

あとは、パソコンに向って打ち込んでいくだけ。

そこまでが、こわい。勇気が要る。足元がすくむ。

ぼくが、これまでに応募している詩の文学賞は、すべてが作品に与えられる賞である。

三好達治賞とかH氏賞とか、詩集に与えられるものとは違う。

でも、ぼくは、これは、ちょっと違うんじゃないの?と思っている。

大体からして、一般読者の胸に響かない。受賞する出版社も、ああ、また〇〇社かという感じ。そして、一番疑問に思うのは、選考員は詩集という作品集の、いったい何を決め手に判断するのだろう。バランスか。テーマ。時代性?

わけのわからない日本語の文章が、H氏賞

ふざけんなって!

はっきりいって、基準が曖昧すぎる。

(まあ、かりそめにも、ぼくなんかの抒情詩集が詩集賞を受賞するような時代が来れば、日本の詩壇界もおおきく読者に近づいたってことになるわなあ)

それに比べて、ひとつの作品で選んでくれるほうが、よほど、フェアーですっきりする。

さて、今夜あたりから応募作に取り組んでいきましょうかね。肚を決めて。

ふう~。

 

 


【青山繁晴】参議院選挙 街頭演説 大阪・難波 高島屋前 2016.7.9

 

先日の参院選に、不覚にもジャーナリストで独立総合研究所代表の青山繁晴(あおやま・しげはる)が立候補しているとは、思いも寄らなかった。

投票日前日に、自宅ポストに投函された選挙公報比例代表区の名簿を見て、はじめて知った次第である。ぼくなんかは、まだ、ましな方で、投票日の夜、選挙特番で「青山繁晴当確」のテロップで、知ったというひとも少なくない。

6月6日に安倍総理から直接、要請があったという。選挙のたびに打診があるが、今回、安倍総理は「あなたが議員になれば、他の議員の意識も変わる。自民党を壊してくれ」といったそうだ。

その言葉で出馬を決めたそうである。ただし、1期6年しかやらないこと、どこの団体からも、個人からも一銭の政治献金は受けないことを条件に。

1期しかやらないのは、政治家は職業であってはならない。命も金も名誉もいらないという覚悟で、ボランティアでやるべき。何期もやると悪しき世襲制を認めてしまうとのポリシーから。

自民党公認であるにもかかわらず、いかなる団体の支援、応援を拒否し、東京ではなく、大阪・北区のちいさなビルの一室に選挙事務所を構えた。ポスターもなく、必勝の文字もなく、だるまもなく、日の丸の旗が建てられているだけの事務所。

選挙活動も、街頭演説が中心で、それでも、何の動員もかけず、どこからの命令でもなく、自らの判断で駆けつけた有権者で、青山のいくところは、どこも超満員だった。

結果的に全国2位の48万5千あまりの票を獲得

しかし、自然発生的にはじまった当選会見は、まるで、落選会見のように静かだった。笑顔もなく、花束もなく、万歳もなく、祝電も拒絶した。

北朝鮮よる拉致被害者を我々以外、いったい誰が助けられるというのか。自国民が拉致されて、どうして自衛隊が救出できないのか。さっそく、超党派で内閣に要望書を提出して、国を動かせていくということを、潰れた声で、切々と訴えた。

青山には、そんなときに、なにが、花束だ、なにが、万歳だという強い想いがある。

他の人間なら、信用できないし、理想論だと思うし、パフォーマンスだとも思う。

しかし、青山繁晴なら、やってくれる。

男・青山になら、この国を任せられる。

と、ぼくは、信じていたい。

 

当ブログでは、以前にも青山繁晴を記事化している。

http://tigerace1943.hatenadiary.jp/entry/2014/09/14/181642