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朝夕、まだ、ちょっと冷え込むけれど、もはや、冬ではない。

立春も過ぎたから、季節は、きっと、春なのだろう。

ぼくが、詩を書き始めた頃、恋愛をモチーフにしたものばかり書いていたし、そういうものしか書けなかった。それはそれで、いいのだが、恋愛詩がぼくの代名詞的に呼ばれるようになって、心の中は常に葛藤していた。ぼくの生涯の友人で詩の大先輩に、悩みを打ち明けると「恋愛がモチーフでもいいけど、甘いんだよな、きみのは」と厳しいアドバイスをもらった。そのひと言で、ぼくの作風は変わったといっても過言ではない。

その頃、本屋さんには、まだ詩の本がたくさん並んでいた。

ぼくは、そのなかの詩人会議という詩誌を手に取った。ぼくとは違うかなりリベラル系の詩の結社の出している詩誌で、新人賞を公募していた。

かなり、本格的な詩を書かなければ入賞は無理だと思ったが、詩の大先輩のひと言が正直、くやしかったので、一泡吹かせてやりたかった。

その想いが、ぼくに「春の光」という詩を書かせ、新人賞の佳作を獲らせてくれた。

そのとき、本賞を獲得された新潟の詩人には授賞式で親切にしていただき、また、感性が合い、今以て、親交は続いているし、また「春の光」は、根強いぼくの人気作となっている。

大先輩とは、電話連絡を取り合っているが、あのとき、あんなことを言わなければ、あなたのようなモンスターを生み出すことはなかったなあと苦笑いをされている。

 

     春の光

 

君のお母さんに案内されて

二階の この部屋に

足を踏み入れると

そこはかとないその静けさに

君のさびしさがぼくにも感染する

 

ついこの間まで バイトで

君の家庭教師みたいなことを

やっていたけれど

サイン、コサインがどうのとか

ベルリンの壁がどうなったとか

そんなことよりも もっと

ぼくは君に伝えたいことがあったんだ

ほんとうは

 

君のお母さんが

空気を入れ替えますからと

窓を開けると

キラキラと こぼれるように

春の光は 部屋いっぱいにちらばって

衣紋掛けの制服は

やわらかな風に揺れ

机の上のポートレートの君は

かなしいほどの笑顔で

時を止めている

 

 

                                                    第一詩集「新選組になればよかった」収録


 

 

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大阪はまだ、気象庁の桜の開花宣言は出されていないが、ニュースを見ていると、地域的にまばらには、開花が確認されているようである。

桜前線は西から北上していくものだと思っていたが、ヒートアイランド現象が影響しているらしい。

きょうのような、寒の戻りでも、お花見を楽しんでいる人たちもいる。

実のところ、ぼくは、集団で行動することが大の苦手。

ドンチャン騒ぎのお花見なんて、ぼくには、信じられない。

独身の頃は、女の子とふたりで、夜桜を見上げた。

ただ、それだけで、しあわせな時間だった。

 

 

                                  夜 桜

 

 「ねえ

 人は 死んじゃうと

 その先

 どうなっていくの?」

 

 いつだったか

 まだ肌寒い

 春の日に あなたと

 死について

 しずかに

 語り合ったことがある

 

 音もなく

 風にふるえる

 満開の

 夜桜の下で

 

 ぼくは 子供の頃から

 死に対しては

 極度の怯えがあって

 ひたひたと

 迫り来るような

 恐怖感を

 あなたに 切々と

 訴えたけれど

 

 かみさまを

 信じていたあなたは

 「心配しなくても

 大丈夫だから

 こわくないから」といって

 長い髪をかきあげて

 微笑んでいたね・・・・・・

 

 なのに

 あれから

 数年も経たない

 こんな花冷えの日に

 忽然と あなたは

 この世から

 いなくなった

 

 その刹那

 あなたの胸に

 去来したものは

 何だったろう?

 

 あの日の

 夜桜が

 月灯りに

 ほのかに

 白く浮かび上がってる

 

 「ねえ

 人は 死んじゃうと

 その先

 どうなっていくの?」

 

 そのこたえを

 今夜

 あなたは

 知っただろう

 

              第一詩集「新選組になればよかった」(収録)

                              一部改稿

 

 

 

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朝は5時前には目が醒める。TVはまだ、放映されていない。PCから、ニュースを調べる。先ずは政治経済からだが、きのうはイヤでも「ピエール瀧の逮捕」が目に飛び込んできたが、それよりもプロ野球ロッテマリーンズの永野将司投手が「広場恐怖症」であることを告白したことに、興味を持った。それまで「体調不良」としていたが、実は「広場恐怖症」であるとカミングアウトしたというのだ。

この場合の「広場」は原っぱやPLAZAを意味するものではない。

特に飛行機や、新幹線などで長距離移動中、激しい動悸とパニック発作に襲われる病気だ。

もしくは、また不安や発作に襲われるのではないかという「予期不安」で飛行機や新幹線に乗れなくなってしまう。野球選手にとっては、移動というのは、ついて回るものだから、致命的だわなあ。

ぼくも20歳の頃に、不安神経症を発症している。しかし、精神科への受診を拒絶していたために、不安が不安を生み、強迫観念に苦しみ、離人症まで発症するようになった。不安神経症といっても、さまざまな恐怖症が複合的に混在している。ぼくは、今以て、ひとりで電車に乗ることが出来ない。だから「広場恐怖症」になったひとの気持ちはよく分かる。

今ではそのような不安症、恐怖症をひとくくりにして「パニック障害」と呼ばれているが、厳密には、そんな単純なものではないという意見も精神医学会ではあるのが実情だ。ぼくも、そう思う。

朝一番に、そのようなニュースに触れてしまったので、気分が重くなった。

自分までが、最悪の状態まで気持ちが落ち込んでしまうような不安に駆られた。

で、気分転換に前から観たかった「アリータ:バトル・エンジェル」に息子が付き合ってくれた。

この映画は名匠ジェームズ・キャメロンの制作。

タイタニック」「アバター」などを手掛けている。

原作は木城ゆきとの漫画「銃夢(がんむ)」。原作に惚れ込んだキャメロンの夢が詰まった作品。

鉄くずの山から、少女のマスクが発見され、ボディーを取り付けられて、サイボーグとして蘇る。

その少女が、アリータ。過去の記憶を失っている。

しかし、脳は生身のもので、ふとした瞬間に断片的ではあるが自分がサイボーグ戦士であったことを思い出す。

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右がモーションアクターを務めた女優のローサ・サラザール

ナチュラルすぎるCG映像には度肝を抜かれる。超お薦め!!!!!

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迫力満点のバトルシーンも多く、テンポの良いストーリー展開にぼくは、キャラメルポップコーンを頬張りながら、思いっきり痛快で幸福な時間を過ごせた。

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ぼくは全般的な不安障害、恐怖症、それに鬱症状に罹患しているが、病気も年を取る。

薬の力も借りながら、つかず離れずの関係でやり過ごすしかないと思っている。

治そうと、頑張ってはいけない、この病気だけは。

そうすれば、「アリータ:バトル・エンジェル」のような素敵な映画とも、何度も出会えるだろうし・・・・・・・・。

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ぼくの詩集が、かなりの小中高等学校の図書室で閲覧していただくことが出来ると聞いたことはあった。自慢ではなく、ああ、出版社が頑張って売り込んでくれたのだなあと思っていた。しかし、実際は、生徒や親御さんが個人的に学校に寄贈していただいている例も少なくはないらしい。

そして、その詩集が、実際に教育の現場で生かされているという、信じられない事実を過去にも聞いたことがあった。むろん、ぼくの詩集は教科書ではなく、むずかしくない言葉の実験の場である。

一番最近に耳にしたのは、近くの小学校のHPにぼくの詩が使われている、という話。

 

「今日は図書の紹介」(〇〇小学校HP)

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今日は図書の紹介をします。著者〇〇〇〇氏の詩集です。

「にぎやかな食卓」「蝉の啼く木」「眠れない時代」の3冊が学校の図書館に入ってます。その中の「にぎやかな食卓」に収められている『禁じられた言葉』という詩を紹介します。

        

           禁じられた言葉

わたしは

もう

なにも

語らない

 

いつも

あなたを

傷つけて

しまうので

 

時に

多くの

だれかを

不幸に

してしまうので

 

私たちの近くに素敵な作家がいることを知っていますか。

作者は〇〇区在住の作家です。

             (後略)

                     HPより転載

近年、心ない言葉で、幼いこどもが命を落としたりする事件とも取れる事案が発生していて、言葉の大切さを教えたいという学校側の回答をいただいた。

ぼくは、複雑な心境に駆られた。高校生ならともかく、小学校でこの詩が理解できるのかなって。まあ、先生方がかみ砕いてかみ砕いて真意を伝えていただけるなら、納得もするけど。

              

               お詫び

 

前記事が3月1日に記事化したにもかかわらず、掲出日が2月23日と表示されてしまい、はてなさんにお問い合わせをしていました。

おそらく、2月23日に書いた下書きをアップしたのではないかとおっしゃられましたが、ぼくは下書きをしないで、ぶっつけで公開するので、いつも、記事化した日に掲出しています。ですから、この記事は3月1日に書いたものです。

日付を訂正するに当たって、はてなさんのご説明通り、編集オプションから変更しました。すると、ブックマークやスターがすべて消失してしまいました。

スターに関しては340を超えていたと思います。拙記事にわざわざスターをつけていただいた読者の皆さん、ブックマークをつけていただいた読者の皆さんに深くお詫び申し上げます。おそらく、PC音痴のぼくのことですから、はてなさんのご指示通り設定し直しても、どこかでやり方を間違えてしまったのだと思います。

今後、再演しないように努力してまいりますので、どうか、今回の事案をお許しくださいませ。

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厳しい寒さも手伝って、何をするのも億劫だった。

そうでなくとも、鬱病を患っているのに。

しかしながら、鬱病は長年のともだちだ。鬱状態をコントロールできれば、創作にいい

影響を与えてくれる。ペンも進むし、よりクオリティーの高い作品が次々と産み出せる。気分障害にさいなまれながらも、短期間で10篇の詩を書き上げた。

それで、きのうは休筆日にあてていたが、ふと、気まぐれで短歌を詠んでみたくなった。10年以上前になるが、産経新聞東京新聞などの歌壇にもよく載せてもらっていた。そのときの快感を思い出した。

5首の短歌を即興で詠んだ。

なぜか、妹がよく出てくるが、ぼくに妹などいないし、いたらいいなあという憧れもない。物書きは総じてうそつきだ。

 

 

   春風と 消えた妹 今何処 

            母と語りし ひな祭りの日

 

   野良犬が 目で物をいう 裏路地で

            おまえは孤独 われと同じと

 

   父母と 行方知れずの いもうとと

           われも家出て 家族解散

 

   仕事場で 他人のふりを 演じても

           手不意に触れて こいごころ燃ゆ

 

   妹の 乾いた絵の具 パレットに

           なみだで溶かし 描く在りし日

 

小説と詩は違う。詩と短歌も違う。長い文章だから難しく、短い言葉だから誰でも書けそうだというのは、大いなる素人考えに他ならない。

 

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前回の記事の最後に『エレーン』という曲に少しだけ触れた。

しかも、いちばん好きな楽曲だと。

時は遡る。

1980年、気楽なバイト学生だったぼく。その頃、すでに、中島みゆきの熱狂的なファンで、1年に1回発売されるアルバムを、何よりの楽しみにしていた。この時期は桜の頃から五月雨の季節に発表されていた。

発売日、電車に乗ってモール内の大型レコード店で大音響で「エレーン 生きていてもいいですかとだれも問いたい エレーン その答えを 誰もが知ってるから誰も問えない♪」(作詞・作曲・中島みゆき)と郷愁感に満ちたメロディと、文学性のある歌詞が耳に飛び込んできて、魂のどストライクに刺さってきた。「あっ、新しいアルバムや」と感激し、新アルバムを買った。

真っ黒なジャケットの真ん中に縦書きで「生きていてもいいですか」と白抜きの文字で

まるで戒名のように記されてある。

中島みゆきの歌は「暗い」と評されることが多い。

しかし、「暗い」のではなく「深い」のであって、時には「重い」のである。

そういう意味では「生きていてもいいですか」はそれらの形容詞の集大成である。

家でゆっくり聴いてみると、この『エレーン』という曲は、曲調から、フランスあたりの片田舎の薄幸の女性の物語かなと、勝手に解釈していた。

ところが、中島みゆきがコンサートで『エレーン』についてコメントしたことがある。

これは、かつて中島みゆきが住んでいた近所で、外国人娼婦が何者か殺害されるという事件があった。警察も中島みゆきに聞き込みに来たという。しかし、事件は迷宮入りとなったそうだ。

その後、中島みゆきは「女歌」という小説の中で、この事件をもとに短編を書いている。その時の娼婦の名が「ヘレン」。楽曲化するに当たって「エレーン」に変更したという。

「生きていてもいいですか」というタイトルは、たしかに「重い」。

しかし、胸を張って「生きていてもいいですか」と世に問える生き方をしている人は

どのくらいいるのだろうか?