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最近、連日のように、痛ましい交通事故のニュースが流れている。

その犠牲者のほとんどが、何の罪もない幼いこどもたちだったりする。

不意に摘み取られてしまう、天使のようないのち。

ごめんね。

ぼくが、できることは、細々と詩を書き続けることだけ。

無力感にからだが震える。

 

 

      花が枯れている

 

花が枯れている

 

交差点角の

大きく 窪んだ

ガードレールの下

 

みっつの女の子だったと

きいている

 

母親の帰りを待って

無邪気に

三輪車で

遊んでいたと

 

くまのぬいぐるみと

スナック菓子が

供えてあって

 

でも

花が枯れている

 

かたわらを

女子高生たちが

にぎやかに

通り過ぎる

 

その明るく

透きとおった

笑い声は

遠い 蒼空に

こだまする

 

 

    

 

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ちょっとメルヘンチック過ぎたかな?

でも、いいじゃない、令和だもの。

 

    五月

 

日も暮れて

風も止んだ

 

泳ぎ疲れた

こいのぼりたち

 

今すぐ  

解き放ってあげるから

 

さあ

帰っておいき

 

この星空へでも

 

どこへでも

 

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どんなものにだって、寿命はある。

とりわけ、人間の寿命なんて、100年あったとしても、宇宙の時の流れからすれば、瞬間にさえならないだろう。

しかし、だからといって、おろそかにはしない。

愛しすぎて、哀しすぎて、愚かだけど、やっぱり愛しい。

ぼくらは、しがみついている。

人間である、この日この時に。

 

 

      人間の時

 

人間の時を終えて

一匹の灰色の蛾に

生まれ変わった

夢を見た

 

だが 運悪く

張り巡らされた

蜘蛛の巣にひっかかり

縞模様の大きな蜘蛛に

息の根を止められた

 

妙に現実感のある夢で

全身に冷や汗を いっぱい

かいてしまった

 

その朝 女ともだちに

大真面目に

夢の出来事を話すと

「おもしろい人ね」

といって

髪をゆらして笑った

 

その美しい横顔を

見つめていると

不思議な安堵感に

ぼくは 包まれて

今 人間の時を

しみじみと かみしめている

 

 

 

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菊池貞三は朝日新聞の記者出身の詩人である。

郵便局が国営時代、「郵政」という冊子の文芸コーナーで詩の選を担当されていた。詩を書く人なら誰もが知ってるような詩人でさえ、「郵政」ではいち投稿者にしか過ぎず、掲載枠が2作品だけだったので、相当、クオリティの高い作品が要求された。

ぼくは、ここで「詩とメルヘン」とも「産経新聞朝の詩」とも違う彩りを持った作品が存在することを知った。

「詩とメルヘン」のやなせ・たかしは、多少下手でも、光る言葉がひとつでもあればイラストで補ってあげようという太っ腹なサービス精神があったし、「産経新聞朝の詩」の新川和江は、素人の広場だから質よりも、新聞という媒体を鑑みたバランスを大切にされていた。

しかし、菊池貞三はガチンコで作品を選んでくる。だから、小手先のテクニックなど通じるはずもなかった。

それでも、いつしか、毎号毎号、ぼくの作品を取り上げてくれるようになった。

掲載してくれても、選評でかなり厳しく文章、表現の欠点などを指摘された。

あるとき、不条理文学の要素を取り入れれば、新たな魅力が引き出せるのでは、と菊池貞三からアドバイスを受けた。

ぼくも、なるほど、新境地が開けるかもしれないと思った。

フランツ・カフカ張りの不条理を描いた作品も出来たし、何かが少し歪んでいる程度の

作品も世に送り出した。

菊池貞三には、こわいイメージがあるが、1999年郵政文学賞の佳作、そして、2000年文学大賞を受賞して野田聖子より郵政大臣の賞状を手にしたとき、電話だったが

菊池貞三は、我が事のように喜んでくれた。

直後に郵政が民営化されて、会社組織は、見事に破壊され、職員のこころも人間性を失った。

民営化の嵐が、吹き荒れた。恐ろしい暴風雨が吹き荒れた。

いつの間にやら「郵政」も廃刊されていて、うすっぺらな、お子様ランチの冊子「ゆうせい」が取って代わった。

菊池貞三の死がご家族から報された。ぼくは、ただただ掌を合わせた。

今回の「公園」は不条理とまではいかないが、アドバイスをされた前後、ぼく自身も何かを模索していた時期に書いたものである。

 

       

     公 園

 

陽が傾きはじめた 近所の公園で

ちいさな女の子が

ひとりきりで

ブランコをこいでいる

 

ごっこをしていた

何人かの少年が

ふざけ合いながら にぎやかに

公園を出ていく

 

おしゃべりに夢中だった

若い母親たちは 思い出したかのように

それぞれに子供の名を呼んで

あわただしく公園をあとにする

 

女の子だけがブランコをこいでいる

 

もう陽が沈んでしまうというのに

この子の母親はどうしたのだろうかと

あたりを見わたして

もう一度 視線を戻したとき

 

女の子の姿はなく

ただ ブランコだけが

風のない公園にゆれていた

               

 

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朝夕、まだ、ちょっと冷え込むけれど、もはや、冬ではない。

立春も過ぎたから、季節は、きっと、春なのだろう。

ぼくが、詩を書き始めた頃、恋愛をモチーフにしたものばかり書いていたし、そういうものしか書けなかった。それはそれで、いいのだが、恋愛詩がぼくの代名詞的に呼ばれるようになって、心の中は常に葛藤していた。ぼくの生涯の友人で詩の大先輩に、悩みを打ち明けると「恋愛がモチーフでもいいけど、甘いんだよな、きみのは」と厳しいアドバイスをもらった。そのひと言で、ぼくの作風は変わったといっても過言ではない。

その頃、本屋さんには、まだ詩の本がたくさん並んでいた。

ぼくは、そのなかの詩人会議という詩誌を手に取った。ぼくとは違うかなりリベラル系の詩の結社の出している詩誌で、新人賞を公募していた。

かなり、本格的な詩を書かなければ入賞は無理だと思ったが、詩の大先輩のひと言が正直、くやしかったので、一泡吹かせてやりたかった。

その想いが、ぼくに「春の光」という詩を書かせ、新人賞の佳作を獲らせてくれた。

そのとき、本賞を獲得された新潟の詩人には授賞式で親切にしていただき、また、感性が合い、今以て、親交は続いているし、また「春の光」は、根強いぼくの人気作となっている。

大先輩とは、電話連絡を取り合っているが、あのとき、あんなことを言わなければ、あなたのようなモンスターを生み出すことはなかったなあと苦笑いをされている。

 

     春の光

 

君のお母さんに案内されて

二階の この部屋に

足を踏み入れると

そこはかとないその静けさに

君のさびしさがぼくにも感染する

 

ついこの間まで バイトで

君の家庭教師みたいなことを

やっていたけれど

サイン、コサインがどうのとか

ベルリンの壁がどうなったとか

そんなことよりも もっと

ぼくは君に伝えたいことがあったんだ

ほんとうは

 

君のお母さんが

空気を入れ替えますからと

窓を開けると

キラキラと こぼれるように

春の光は 部屋いっぱいにちらばって

衣紋掛けの制服は

やわらかな風に揺れ

机の上のポートレートの君は

かなしいほどの笑顔で

時を止めている

 

 

                                                    第一詩集「新選組になればよかった」収録


 

 

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大阪はまだ、気象庁の桜の開花宣言は出されていないが、ニュースを見ていると、地域的にまばらには、開花が確認されているようである。

桜前線は西から北上していくものだと思っていたが、ヒートアイランド現象が影響しているらしい。

きょうのような、寒の戻りでも、お花見を楽しんでいる人たちもいる。

実のところ、ぼくは、集団で行動することが大の苦手。

ドンチャン騒ぎのお花見なんて、ぼくには、信じられない。

独身の頃は、女の子とふたりで、夜桜を見上げた。

ただ、それだけで、しあわせな時間だった。

 

 

                                  夜 桜

 

 「ねえ

 人は 死んじゃうと

 その先

 どうなっていくの?」

 

 いつだったか

 まだ肌寒い

 春の日に あなたと

 死について

 しずかに

 語り合ったことがある

 

 音もなく

 風にふるえる

 満開の

 夜桜の下で

 

 ぼくは 子供の頃から

 死に対しては

 極度の怯えがあって

 ひたひたと

 迫り来るような

 恐怖感を

 あなたに 切々と

 訴えたけれど

 

 かみさまを

 信じていたあなたは

 「心配しなくても

 大丈夫だから

 こわくないから」といって

 長い髪をかきあげて

 微笑んでいたね・・・・・・

 

 なのに

 あれから

 数年も経たない

 こんな花冷えの日に

 忽然と あなたは

 この世から

 いなくなった

 

 その刹那

 あなたの胸に

 去来したものは

 何だったろう?

 

 あの日の

 夜桜が

 月灯りに

 ほのかに

 白く浮かび上がってる

 

 「ねえ

 人は 死んじゃうと

 その先

 どうなっていくの?」

 

 そのこたえを

 今夜

 あなたは

 知っただろう

 

              第一詩集「新選組になればよかった」(収録)

                              一部改稿

 

 

 

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先般、詩と小説は違うし、詩と短歌も違うと書いた。

それは、単にセンテンスの長短だけで、そりゃ、短い方が簡単に決まってるだろうと勘違いしてもらっては困るから、そう書いた。

1週間で書ける小説もあれば、ひと月掛けても未完成な短歌はある。

それぞれの役割、それぞれの魅力がある。

とはいえ、同じ文学である。まったく、異質なものとまではいえない。

詩のなかに小説をみたり、小説の中に短歌をみたり、短歌の中に詩をみたり。

一首の短歌が、ヒントになって、詩となり、小説となり、ひと味違う文学香を放つこともある。

たとえば、ぼくが詠んだこれらの短歌のように。

 

 

     遠い日に 父を殴りし この右手

          指の先から 朽ち果ててゆき

 

     眠れない そんな時代に 我は生き

          真夜中に聞く 亡き友の声

 

     満天の 星空の下 こどもらが

          虫取り網で 星を追う夜

 

     蝉時雨 耳をつんざく 夏模様

          あと十日後に この世にはなく

 

     母おぶる 紙ひとひらの その軽さ

          飛ばされぬよう力を込める