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日中、残暑が厳しい。とはいえ、朝夕は、ずいぶんと過しやすくなったし、季節は少しずつだが、秋へと舵を切り始めているようだ。

8月の後半は、依頼された詩や、応募する詩を書くために、ほぼ、家に缶詰め状態だった。

後半の4日間で原稿用紙2枚程度の詩を5篇書いた。

ぼくの場合は、ひとつひとつ仕上げるのではなく、5篇だったら、5篇同時に取り掛かる。テーマや、応募先の違う作品をかき分けていくということになる。

それでも、今回は2日間で書き上げていて、残りの2日で徹底的に原稿をチェックする。「もっと、胸に迫る表現はないか」とか、とにかく、病的なまでに、徹底的に詰めてゆく。頭の中が、空っぽになったら、それ以上は、考えない。

「俺は最善を尽くした」と自分に都合のいいように言い聞かす。

その時の作品に関連して、取材というほど、大袈裟なものではないが、車を転がして、日本海を見に行った。

酷く荒れていて、空も鈍色だったが、妙に心が安らいだ。

 

     

                                海が、呼ぶ。

 

 

海が呼ぶ

 

ぼくの名を

呼ぶ

 

なつかしい

響きで

 

海が呼ぶ

 

時に

波は

亡き恋人の

ひとがたをして

 

    

 

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超大型台風10号が過ぎ去った。多大な被害に遭われた方には衷心よりお見舞いを申し上げる。

ぼくの住む地域も、超大型台風に備えて、電鉄会社が早々と計画運休を発表し、京セラドームの乃木坂46や、大阪城ホールKAT-TUNのコンサートは中止、もしくは延期となった。

しかし、あれだけ、大騒ぎした割には、市内に関してはだが、幸いにも何の影響もなく、言い換えれば、意外なほどあっけなく、台風は列島を横断していった印象がある。

昨年は、酷かったけどね。

台風一過で、耐え難い夏の暑さがぶり返してきた。

ところが、きょうは、まだ蝉の声が聞こえない。

 

 

   

 

雲の切れ間から

一匹の蝉が

まっさかさまに

落ちてくる

 

きのうまで

あんなにも

激しく啼いて

はなやぐ夏を

彩っていたのに

 

ほんの一瞬の

命のきらめきが

ぼくの胸につきささる

 

蝉よ

ぼくが

忘れないでいてあげる

おまえが

この世に在ったことを

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1945年4月7日、片道分の燃料の供給を受けた戦艦大和が、沖縄戦に出撃する。

しかし、坊ノ岬沖で米軍航空機約2000機の集中攻撃を受け、世界最大級の戦艦としての機能を発揮できないまま、あえなく撃沈する。

映画はこのようなシーンからはじまる。戦闘シーンは冒頭の5分だけ。

ただ、このシーンが凄い。ハリウッドの特撮技術さえ陳腐に思える山崎貴監督のSFX、VFXを駆使した大和撃沈に至る凄すぎる戦闘シーンである。

本当に度肝を抜かれる。

ところで、この映画は戦争映画ではない。反戦映画ともいえない。

映画紹介ポスター等に印字されてあるように「数学で戦争を止めようとした男の物語」である。

冒頭の戦闘シーンがあって、時代は1933年に遡る。昭和8年である。

 

国際連盟を脱退し、孤立化を深める日本。

このままでは、米国との戦争を避けられない、軍の上層部は認識している。

そこで、海軍省で持ち上がったのが、新型艦船の建造計画。

山本五十六少将(のちに大将)は、これからは、航空戦の時代で戦艦は無用の長物になる。よって、必要なのは、戦艦ではなく航空母艦だと持論を展開するが、会議に於いて、戦艦絶対論者たちと対立していた。

そんなとき、対立側の超巨大戦艦の見積もり額が、あまりに低すぎることに、山本五十六は疑念を抱く。

 

山本五十六は100年にひとりと言われる若き天才数学者・櫂直(かい・ただし)の協力を得て、見積もり額が低すぎるからくりを探ろうと画策するが・・・・・。

 (以下、ネタバレあり!)

 

感じたことは、平和を望むがゆえ「戦艦大和」の建造に手を貸してしまう櫂直の複雑な心境が胸に突き刺さる。

「最後のひとりまで戦う」という当時の日本人の民族性を、大日本帝国海軍のシンボルである超巨大戦艦大和が撃沈することで、日本の敗戦を認めさせるという苦渋の決断で、彼の愛する数学を、悪魔に売り渡す心境は、本当に胸が痛む。

そして、山本五十六は、米国との戦争を望まずの立場を取りながら、裏では真珠湾攻撃を企画・立案していて、ああ、やっぱり、職業軍人の怖さだなあと、少し震えてしまったこと。

映画の見所としては主演の櫂直演ずる菅田将暉が、めっちゃ光る演技を魅せてくれる。

正確な数字の詳細が分からないまま、戦艦長門を巻き尺で、実寸測定し、設計図を描き、国家機密になっている戦艦絶対論者側の見積もりを、数式に変えて、実際の造船金額を暴き出すくだりは、迫り来る造船決定会議との時間との闘いで、鬼気迫るものがある。

そして、長門をベースにして、完成した設計図が、戦艦大和そのものの図面であったことに、感動すら憶える。

ポップコーンを頬張る暇も与えないテンポと緊張感のある話の展開で、絶品と言っても過言ではない。最大級のお薦めの映画である。

 



 

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もう間もなく、各地に梅雨明け宣言が発表されるだろう。

そもそも、梅雨入りが、軒並み遅かった。

鼻タレ小僧の頃、同世代のアイドル歌手が、制服姿で雨にずぶ濡れになっているレコードジャケットを見たのだが、その時の甘酸っぱいインパクトが、何年も何年も経ってから、不意によみがえり「初恋だったかもしれない」と思えてしまうほど、胸が切なく、そして、熱くなった。そして、ぼくは、いても経ってもいられなくなり、想いをペンに託し、短い詩を書いた。

 

     六月の雨

 

校門を出たとき

降りはじめた雨

 

雨を片手で

よけながら

駈けていく

制服のきみ

 

若葉や 舗道を

濡らす

六月の雨が

きみを濡らしていく

 

きみの

そのほそい肩を

きみの

そのしろい指を

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7月の初旬、京都を訪れた。JR京都駅の改札を出ると、祇園祭は、もう、はじまっていて、浴衣姿の女性の姿もチラホラ。駅前ではちょっとした舞台が作られていて、笛や太鼓や拍子木で祭りを盛り上げていた。祇園祭といえば、四条通り、山鉾巡行長刀鉾、お稚児さん、やたら暑い日・・・というイメージがあるが、それよりも、ずーっと前から祭りははじまっているのだ。とはいえ、ぼくは、今回の京都も観光ではない。

太田裕美のコンサートが開催されたからだ。

太田裕美といえば、ぼくが中高生の頃、大ブレイクしたアイドル。しかし、キャピキャピ系ではなく、しっとりとしたアーティスト系のアイドルだった。

ピアノの弾き語りの「雨だれ」という曲でデビューを飾った。

心にしみる名曲で、その後も「たんぽぽ」「袋小路」「夕焼け」などピアノの弾き語り路線でファンを獲得していく。ぼくも、この頃の太田裕美が大好きだったが、まだ、メジャーではなかった。

彼女の名が一気に広まったのは、松本隆が作詞した「木綿のハンカチーフ」。

その後も「赤いハイヒール」「しあわせ未満」「九月の雨」などの松本隆作品でヒットを飛ばし、大瀧詠一から「さらばシベリア鉄道」、伊勢正三から「君と歩いた青春」の曲提供を受ている。

最近では、ジョイントコンサートが多かった。

年1回大阪城ホールで行われるLIVE「君と歩いた青春」では、『木綿のハンカチーフ』と『九月の雨』の2曲くらいしか歌われない。他に、伊勢正三南こうせつ、イルカ、杉田二郎尾崎亜美が控えているから、時間が取れないんだろうな。

で、今回は東京と京都のみ開催されるソロコンサート。チケットは即日sold-out!

会場の京都劇場はキャパが941席でJR京都駅構内にある。

ツアー中のコンサートではないので、内容の記述も、少しくらいはいいだろう。

ヒット曲満載のライブだろうと、勝手に予想していたが、MCで「きょうは、久しぶりのソロコンサートなので、みなさんが知っている曲ではなく、過去のアルバムの中から隠れた名曲たちを歌わせていただきます」。

「そっか・・・」と受け入れざるを得なかった。しかし、そんな残念っぽい、ぼくの気持ちは、すぐに払拭される。あまり耳にしないけど、なんて、素敵な、癒やされる曲の数々なのだろうと感激してしまった。

「12ページの詩集」というアルバムからはイルカ提供の『ミモザの下で』。これは、ピアノの弾き語りで歌ってくれた。同時期に沢田聖子も歌っているのだが、ふたりともファンなので、どちらがいいとはいえないけれど、ちょっと舌ったらずの高音で歌う太田裕美バージョンは独自の世界観を構築していて、切なくて、泣きそうになった。

アコースティックな2時間は、あっという間に終わった。

ぼくは、幸福感に包まれて、JR大阪駅まで29分、新快速の窓際の席で、うたたねをした。

 

次は8月の松田聖子大阪城ホールでのLIVE!

 

 

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ここしばらく、まともに太陽を見ていないような気がする。朝、5時頃起床するが、そのときは雲の切れ間から蒼空が見えて、少しは日差しもあるように思うけれど、日照時間が異様に短くも感じる。

梅雨ということを、差し引いてもだ。

それでも蝉が啼く。蝉の声が聞こえる。しかし、今、啼いている蝉は、夏らしいギラギラした夏を迎えることなく、力尽きるんだろうなあ。

こんなところにも

・・・・・無常の風が、吹いている。

 

    蒸  発

 

その朝 自転車で仕事場の

町工場へと向かう父の背中を

アパートの玄関先で

ぼくは 母に抱かれ

バイバイをしながら

見送っていたといい

それは いつもと変わらない

ごく日常的な光景だったという

 

でも その朝を最後に

父は ぼくと母の前から

忽然と姿を消したという

家の中には ただ一枚の

父の写真を残すことなく

 

あれから 三十数年経った今でも

時折 哀しいなつかしさで

夢に出てくる父は

幼い日のぼくを抱きあげて

頬ずりをしてくれるけど

ぼくの父には

いつでも

きまって

顔がない

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父と母のお墓は、隣県のメモリアルパークといった趣の、山を削った広大な敷地にある。緑が豊かで、静かで、父も母もゆっくりと眠れると思った。父が亡くなってから平成2年に建立したもので、約30年間、高速を飛ばして、毎年、お参りは欠かしていない。街の主要駅からもシャトルバスが出ているが、これだと限られた時間しか現地にいられなくて、時間のほとんどを移動のために使ってしまう。順番通りだとすると、ぼくが逝き、妻が逝き・・・・・・いつの時代まで、お墓を参ってくれる人が続いてくれるのだろうか。

昨年、義母が亡くなった。先日、大雨の中、街の中の寺を下見に行った。今年9月の納骨を決めてきた。市内だから、いつでも地下鉄で行けるからと妻は話すが、それでも、いつかは途切れる日が来るかもしれない。

でも、山の中にしろ、街の中にしろ、それはそれで、いいではないか。

手を合わすという気持ちは、けっして強要されるものではないし、むしろ、そういう気持ちがあれば、現地に行けずとも、心の中で想ってくれるものだろうから。

特にこれからの時代、お葬式も、埋葬方法も多様性を帯びてくることは間違いない。

そういえば、高校の時に付き合っていたあのひとは、いつも、月を見ていたなあ。

 

    

   月 葬

 

どなたか

わたしの骨を

月に撒いてくださいな

 

あなたが

この世に在ったから

こんなわたしでも

生きることが

できたけど

 

つらいことばかりの

この地球(ほし)の

土には

還りたくないから

 

どなたか

わたしを 月に

眠らせてくださいな