先日、丁寧なお手紙を頂戴した。

20代半ばの女性からだった。

2015年に刊行した第4詩集「にぎやかな食卓」に収録されている「時」と「祈り」という作品に、感銘を受け、人生を一歩踏み出す勇気を貰ったと綴られてあった。

作者の意図と、読者の方の受け取り方は、必ずしも一致しないが、発表すれば、その時点で、おひとり、おひとりの読者の方のストーリーを紡いでいっていただきたい。

ああ、こんなぼくでも、詩を書いていてよかったなあと思った。

読者の方のこころに、しっかりと届けられたようで。

 

  時

 

花を見て

微笑むことに

一年かかった

 

鼻歌がでるまでに

三年かかった

 

街に出るのに

五年かかった

 

あなたと

見つめあえるのに

さあ あと

何年かかるだろう

 



   祈り

 

明日を

見失って

泣けるだけ

泣いたら

 

絶望の底から

見えてくる

「祈り」という

おぼろげな光

 

慰めでもなく

悟りでもなく

闘うための

最後の武器として

                       

大阪あべのハルカス美術館で開催されている楳図かずお・大美術展」を堪能してきた。スケジュールが空いて、気分転換にという意味合いもあるが、楳図かずおは好きな漫画家のトップに君臨し続ける。行かない道理はなかった。

今回のテーマは「ZOKU-SHINGO」。名作「わたしは真悟」の続編。

展示物は、ほとんどがカメラ撮影OKで、ぼくのスマホで撮ったもの。

歪んだり、はみ出たりしているが、ご容赦願いたい。

 

 

まず、会場に一歩踏み入れると、そこには漂流教室の世界が広がる。

主人公・高松翔の通う大和小学校が、まるごと未来に吹き飛ばされてしまう。

こどもたちだけで、あらゆる困難を克服していく。

翔の母親は、現代から荒廃しきった未来にいる翔たちをサポートしていく。

5年生の西あゆみの不思議な能力で、高松翔の母親とコンタクトを取ることができる。

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漂流教室」のラストシーン。主人公の高松翔たちは、未来の世界で生きていくことを選択する。歴史に残るラストシーンだ。

小学館漫画賞受賞作。

 

 

わたしは真悟。小学生の悟と真鈴のコンピューター遊びから、町工場の一台の産業用ロボットが意識を持つ。生みの親である、悟と真鈴を求めて、産業用ロボット「モンロー」の壮大な旅が始まる。

5つの電子パネル。連載時の扉絵が数秒間隔で映し出される。

一枚一枚が、美しく、なんとも、ため息が出るようなドラマ性のある扉絵だ。

どれも、凝った扉絵だが、特に印象に残った扉絵をご紹介する。

 

近くで見ると、迫力もある。

連載初期の大好きな一枚。悟と真鈴の顔も、まだ、定まっていない。この頃は、まだ、絵にも躍動感がある。

 

いちばんお気に入りの扉絵。無邪気な中に、黒い不安感で充たされる。

 

立ち尽くしているだけで、不気味さが伝わってくる。

 

影の向きが、バランスの崩れた世界観を作り出している。

 

これは、もはや、ぶっ飛んだアートだ。

 

静かで、とても奇妙な扉絵だが、魅力がある。少し詩的で、少し不条理で。

 

ゆがんだ線路の向こうまで、歩いて行くのだろうか。

 

 

「ZOKU-SHINGO」新作ストーリー展示ルームの入り口。

今回の美術展の「心臓部」

100を超えるパネル。油絵に悟と真鈴の物語・第2章が綴られる。

楳図かずお渾身の作品である。

 

このエリアは写真撮影NG。

 

この先が、カメラNG。

「どうして、わたしたちには、顔がないの?」

 

 

 

 

 

問題作「14歳」

ある種「漂流教室」の続編と位置づけられるが・・・。

楳図かずおが語る漫画家としての飽くなき創作意欲 - TOKION

チキン・ジョージもいる。

大作だが、個人的には、好きではない。内容も、もひとつだったような気がする。同じような場面が多く、絵が楳図かずお、だとは思えないくらい、上手くなかった。

 

 

グッズコーナー。ぼくは、グッズコーナーだけで、2時間もうろうろしていた。目移りするのだ。まあ、優柔不断でもあるのだが。

でも、結局買ったのは、「わたしは真悟」の扉絵のポストカード10枚だけだった。

茶店で休憩して、想いに浸る。「やっぱり、楳図かずおは天才だ!」と。

楳図かずおの世界に、魅了された一日であった。

 

 

 いのちの宿題

 

不意に 母の余命を

告げられる

 

延命治療は

希望されますか?

と 母の担当医は訊く

 

ぼくの顔色は 

みるみる

青ざめていく

 

無防備なぼくに

ある日 突然に

いのちの宿題を

突きつけられる

 

 

ずいぶんと前の詩だ。

4冊の詩集には、未収録だ。

同じタイトルで、ふたつの詩が出来上がってしまった。

もうひとつの詩の内容は、ダイレクトに生と死の本質(ぼくなりの)を描いたが、本作はいつ、だれにでも起こりえる生と死の日常風景を描いた。

平明なセンテンス(文章)の中に、悲壮感やいのちの重さを、少しでも感じ取っていただければ、作者としては救われた思いがするものである。

その日、ぼくは、詩を書いていた。

それが、ぼくの日常である。依頼された原稿があって、〆切りは近かった。

ぼくは、詩の選もするが、同時に詩を書くプレイヤーである。

すこし、題材に悩んでいた。

むかし、父から話を聞いたことがある。兵役を逃れるために、醤油を腹一杯飲むのだと。

80年前の日本が時代背景である。

もちろん、父はそのようなことをしなかったし、兵役にも就いている。

しかし、詩のアイデアとしては、なんとしてでも兵役を逃れようとする男の話は、悪くはないと思った。死を畏怖し「非国民!」となじられても、生きることを優先するのだ。南方の島々で散華した友人たちが、毎晩のように、枕元に立って、何か言いたげであっても。

兵役逃れの理由は「醤油のがぶ飲み」ではなく「階段から転落して足に複雑骨折を負った」ところまで設定して、休憩した。

 

不意にテレビをつけると、ロシアの兵役動員を30万人増やすという。その現実に敏感に反応したロシア国民が都市部で、大規模な反戦デモを起こし、警察に連行されているのが以下の写真である。

そして、偶然にも兵役を逃れるために「腕を折る方法」がネットに溢れた。

ぼくは「足の複雑骨折」を考えていたが、現実に「腕を折る方法」があるのだとすれば、ぼくの、作品の方向性を修正する必要あった。

反戦デモ再燃、1400人超拘束=動員令に高官の息子「応じない ...

ロシア、動員抗議で800人拘束 | 中国新聞デジタル

ロシアの動員目標、100万人か 当局説明の3倍超と独立系メディア ...

部分的動員令」に抗議、ロシア全土でデモ 1400人超拘束 ...

この夜のデモだけで、1400人の国民が警察に検挙された。

デモに加わったというだけで、兵役命令書がその場で、発行された。

取材しているライターやカメラマンにも兵役命令が出された。

「腕を折る方法」やデモばかりではない。主に隣国のジョージアカザフスタンへ脱出するロシア国民も20万人を超えている。

自称「住民投票」の結果、東部ルハンスク、ドネツク、南部ザポリージャ、ヘルソンの4つの州がロシアに併合された。

プーチンの頭上に爆弾の雨が降り注げばいいと思った。

プーチンのどてっ腹にハイマースから発射されたロケット弾がぶち込まれればいいと願った。

赤の広場で、併合の祝典が催された。多くの人々が集まった。

しかし、集まったのはエキストラがほとんどで、会社の命令だったり、参加すれば、大学で単位をもらえるとか、あと、アルバイトも数多く存在したらしい。

ところが、士気の高いウクライナ軍が、翌日に自称「住民投票」でロシアに併合されたドネツク、ヘルソンの要衝地帯を奪還している。

ロシアが、いくら一般国民を兵役に取って、前線に送り込んでも、ロシア側には戦う大義がない。どこまでいっても「侵略者」は「侵略者」でしかない。

NIDS防衛研究所・防衛政策研究室室長の高橋杉雄氏は、ロシアに起こっている一連の混乱と茶番劇は「これが、一気にロシアの終わりの始まりとは言わないが、決定的なロシアの「変化」の はじまりだ」と言明している。

この高橋氏の見解に、ぼくも賛同している。

『石の繭  警視庁捜査一課十一係』は、麻見和史による日本の推理小説如月塔子(きさらぎ・とうこ)と彼女が所属する警視庁捜査一課十一係の刑事たちを主人公とした警察小説シリーズ『警視庁捜査一課十一係』の第1作として講談社ノベルスより2011年5月に刊行、『石の繭 警視庁殺人分析班』と改題し講談社文庫より2013年5月に文庫化された。

如月塔子は警視庁捜査一課の新人刑事。新橋の廃ビルの地下室で発生した猟奇殺人事件の捜査を巡る知能犯と警察の攻防を描く本格派ミステリー。

WOWOW「連続ドラマW」枠にて、木村文乃主演でテレビドラマ化され『殺人分析班』シリーズ第1弾として『石の繭 殺人分析班』と題し2015年8月より放映された。

木村文乃、共演の青木崇高渡辺いっけい他俳優陣の名演好演と、クオリティの高いストーリー性に、魅了される。

監督は数多くの刑事ドラマ演出経験のある内片輝、脚本は『舟を編む』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した渡辺謙作

木村文乃が刑事を演じるのは本作が初めて。主人公である塔子の原作での小柄で華奢なイメージに近づけるため、あえて普段より1サイズ小さい7号サイズのスーツで撮影に臨んだ。

如月塔子は、警視庁本部に勤務する新米の女刑事である。刑事であった亡き父の遺志を汲んで警察に就職し、念願がかなって捜査一課に配属された。相棒を組む、主任の鷹野秀明の下で「刑事」の自覚、「刑事」の覚悟を学んでいく。新橋4丁目の甲進ビルで、肩から下をモルタルで固められた男性の遺体が発見される。翌朝、捜査本部に犯人を名乗る男から電話がかかってきた。相手が如月塔子を指名してくる。

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〈トレミーと名乗るその男は、警察を愚弄・挑発する。捜査を続ける塔子らは、芝公園2丁目の元中華料理店の調理場で、頭部をモルタルに沈めた遺体を発見する。〈トレミー〉はその後もたびたび捜査本部に電話をかけてきて、殺人に関する情報を提示しながら捜査本部に揺さぶりをかけ続ける。

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〈トレミー〉とは、モルタルを固める「トレミー工法」が名前の由来。

不幸極まる人生を送ることになった〈トレミー〉にも、盛んに同情を禁じ得ない。


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2階建ての民家の玄関先で、木内久司の変死体が発見される。屋内のほとんどの部屋は、壁や絨毯、家具の至るところにラッカースプレーが吹き付けられ、真っ赤に染まっていた。この殺人事件は略称「木場事件」とされ、深川署に特別捜査本部が設けられる。

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如月塔子ら十一係は捜査を開始するが、同じ日に都内3箇所で連続爆破事件が起きる。日本革命的協同武装戦線と名乗るグループから犯行声明が出され、大量の捜査員が丸の内署にある爆破事件の特別捜査本部に投入される。捜査一課長の神谷も、管理官の手代木に木場事件の捜査会議を任せ、丸の内署に詰めることになる。

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塔子たちの木場事件の特別捜査本部には増員が見込めない中、杉並区の民家で、会社員の堤宗一が殺される第2の殺人事件が発生してしまう。そして、塔子の近くにも爆破事件の危険が迫っていた。

駅に仕掛けられた大型爆弾を如月塔子が死刑囚・トレミーの協力でスマホごしに爆弾の配線を解除していく下りは、秀逸だ。最後の最後に死刑囚・トレミーを信じた、如月塔子の人間力に心打たれる。

如月塔子も、もはや、警視庁捜査一課十一係の押しも押されもしないエースに成長している。

不動産会社社長の天野秀雄が何者かに殺され、如月塔子ら捜査一課十一係は捜査を開始する。自宅で見つかった遺体は喉を切られ、そこにブルーデージーという青い花が4本挿してあった。妻の天野真弓の姿はなく、警察は真弓が何らかの事情を知っていると考え、行方を探そうとする。

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だが、新聞社に自分が天野秀雄を殺したという犯行声明のようなメールが届く。差出人はクラスター16と名乗り、メールに添付された写真には拉致された真弓が写っていた。メールには真弓は西東京の北部にいると書かれていたが、範囲が広すぎて居場所を特定できない。まもなく真弓は、西東京の公園でローズマリーの花と共に遺体で発見される。

次にクラスター16が狙ったのは、塔子の相棒の鷹野秀昭だった。クラスター16は鷹野を襲撃し、負傷した鷹野は捜査から外れることになる。塔子は十一係のエースである鷹野がいない状態で、事件の解決を迫られる。

       (あらすじについては、一部、資料を参考にしています)

蝶の力学 殺人分析班:木村文乃主演クライムサスペンス いよいよ ...

テレビドラマ版オリジナルキャラクターの法医学者・相羽町子(演:菊地凛子が追加され、近く鷹野が捜査一課十一係から公安部に異動するという設定に改変されている(原作では異動の話は出ていない)。第5話の後半から最終話にかけては、テレビドラマオリジナルストーリーとなる。

相羽町子役の菊池凛子の解剖狂サイコパス。怪演は見所の一つ。

「蝶の力学」とは「バラフライ・エフェクト」(バタフライ効果)とも呼ばれ、ほんのささいな蝶のはばたきがきっかけで、台風を巻き起こすような事象に発展することを意味する。

余談だが、シーズン2「水晶の鼓動」で犯人の〈トレミー〉から、如月塔子の名前の由来を訊かれる場面がある。

小説では「10日生まれだから」と答えているが、ドラマでは「両親がはじめて出会ったのが東京タワーだから」という設定に変えられてある。

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最後に、女優・木村文乃さんの大の「推し」であることを、ここに告白して、今回の記事を終えたい。

 

        

ユニバーサル・スタジオ・ジャパン|クレジットカードは ...もう、2週間ほど前の話題になる。

TVのワイドショーで時間を割いて、この問題、というほど大袈裟ではないが、日本列島って、思ったより広いと今更ながらに、感じさせた事案である。

たしか、4コマ漫画で紹介していたなあ。

 

関西の男の子と関東の女の子の会話。

・関西の男の子「また、USJに行こな」

・関東の女の子「わたし、行ったことないし」

・関西の男の子「だから、また、行こうや」

・関東の女の子「だ・か・ら、わたし、USJに行ったことないのよ!一回も!(怒)」

             (ケンカになる)

 

たしか、こういう文脈だったと思う。

なるほどなあ、と思った。

ぼくも、何度か経験しているかも知れないと思った。

この会話で、なにがねじれているかというと「また」の意味だ。

「また」・・・・・関西「NEXT」

         関東「AGAIN」

の意味で、多く使われているので、こういう、ささいなボタンの掛け違えが起こる。

それから、同じように、間違えやすいのが

「自分」・・・・・関西「あなた」

         関東「自分自身」

ぼくは、名前、愛称などで呼ぶので、トラブルはないが、たしかに地元に於いては「自分の番やで」「自分が言うたんやんか」とか、数え切れないほどあるかも。

 

関西と関東の違いは、エスカレーターの乗り位置、通勤電車の並び方をはじめとして、数多く存在する。

当記事では、西日本、東日本というより、関西と関東をおおまかに分類している。

もちろん、関西、関東以外にも、同じ日本であって、平均的な標準語が、かすりもしない言語や、珍しすぎる習慣もあるが、やはり、関西は太閤秀吉、関東は徳川家康、もっと古くは応仁の乱の西軍大将・山名宗全、東軍大将・細川勝元・・・もっと、古くから東西の分断は存在していたかも知れないし、やはり、鎌倉時代から、東の源氏、西の平家など区別化、差別化ひいてはライバル意識は培われてきたのかも知れない。明治維新が起こったとき、大政奉還で京都から江戸に都を遷都した。それが、今の東京都である。東の京都という意味である。関西人は、帝(天皇陛下)が京都にお住まいなってほしいと願って止まない。こりゃ、根が深いわ。

わずか4日違いで生まれたチャップリンとヒトラーの終わりなき ...

ロシアがウクライナに軍事侵攻してから、思うところあって、日本チャップリン協会会長の大野裕之著「ヒトラーチャップリン」を読み返した。

チャップリンの闘いを記した貴重な記録書である。

喜劇王独裁者チャップリンヒトラーに闘いを挑んだノンフィクッションである。

わずか4日違いで生まれたチャップリンヒトラーは、長きにわたって壮絶な闘いを繰り広げた。しかし、ふたりには多くの共通点があった。小柄でチョビひげ、そして映像を駆使して大衆を熱狂させるプロパガンダ術。チャップリンは民主主義を、ヒトラーファシズムを訴えた。チャップリンは後にこう語っている。「ひとつ間違えば、私たちは逆になっていたかもしれない」と。

アドルフ・ヒトラーにはこう丸が一つしかなかった - GIGAZINE

映画「独裁者」・・・これこそがチャップリンヒトラーに投下した爆弾だった。

独裁者ヒンケルに取り違えられた気弱なユダヤ人の床屋が、大群衆に向かって愛と平和の大切さを訴えかける……。チャップリンの映画『独裁者』(1940年公開)のラスト6分間に及ぶ演説は、映画史に残る名場面として心に焼き付いている。

だが、当初のラストシーンは違っていた

ユダヤ人もドイツ兵も一緒になって、ダンスをして終わるハッピーエンドという設定だったが、このシーンの撮影風景はカラーフィルムで残っていて、至極不機嫌そうにメガホンを取るチャップリンの姿が記録されている。「これでは、弱い!伝わらない!」と。

それで、彼は、全面にシナリオを書き換えて、トーキー嫌いのチャップリンが平和への思いを6分間しゃべりまくる名場面が生まれた。

日本人はヒトラーをどう見ていたか?〜ファシズムへの共感が ...

しかし、ヒトラーの脅威が世界を席巻しつつあった当時、『独裁者』の製作は大きな困難に直面することになった。総統を笑いものにする映画の製作に反発したドイツ当局が、新聞・雑誌による反対キャンペーンや、外交ルートを通じた妨害活動を展開したばかりではない。ドイツを刺激したくないアメリカやイギリスの政府当局、海外での興行を危ぶむ映画業界内部からも、製作中止をもとめる声が上がっていた。だがそうした逆風のなかでも、チャップリンの決意は揺らがなかった。迫りくる全体主義の恐怖のなか、この希代の喜劇俳優は笑いとユーモアを武器にして、映画というメディアの戦場でもう一人の比類なき「俳優」――「救世主」のイメージを演じたヒトラー――に対決を挑んだのだった。チャップリンの草稿や製作メモからは、何度も脚本の推敲(すいこう)を重ね、際限なく撮影をくり返しながら、納得のいく表現をもとめつづける厳しい姿勢が浮かび上がってくる。

冒頭にも申し上げたが、チャップリンヒトラーの宿命的な関係には驚かされる。わずか4日違いで生まれ、同じちょび髭をつけ、メディアの寵児(ちょうじ)として台頭した二人の人生は、『独裁者』の製作をめぐっても必然的としかいいようがない形で対峙しあう。チャップリン初の本格的トーキー映画である本作の撮影は第二次世界大戦勃発の直後、ラストの演説の撮影はなんとヒトラーのパリ入城の翌日に開始されたという。チャップリンヒトラーはともに映像メディアが産んだ巨大なモンスターとして、光と影に例えられる関係にあったといえるかもしれない。イメージを武器に強大な権力を握った独裁者と、愚直なヒューマニズムでこれに立ち向かった喜劇王

独裁者(The Great Dictator):チャーリー・チャップリン - 続 ...

チャップリンは、この映画でヒトラーの最大の武器であった民衆を魅了する熱狂的な演説術を、その姿を、おおいに茶化し、笑いものにし、こき下ろした。その結果、ヒトラーは、人前で、あの熱狂的な演説をすることはなくなった。

1945年ソ連によってベルリンが陥落し、ヒトラーは自殺に追い込まれるが、「自分の理想は敗れた。しかし、100年も経たないうちに新たなファシズムが台頭するだろう」と遺している。

戦後、アメリカにレッドパージ共産主義者の追放)の嵐が吹き荒れた。

ハリウッドにも容赦なくレッドパージの波は押し寄せた。

チャップリンは船で旅の途中だったが、共産主義者のレッテルを貼られてたチャップリンアメリカには入国できず、生まれ故郷のイギリスに帰った。

チャップリンの名誉が公に回復したのは1972年米アカデミー賞の授会場会場でのことだ。チャップリンは、無口だった。

プーチンはかつてのヒトラーより「有利」な立場...そこで世界が ...

ヒトラーが死んで77年、ロシアのウラジーミル・プーチンファシズム全体主義体制)を背景に牙を剥き出しにしてウクライナに軍事侵攻した。ヒトラーの予言もまた、嘘ではなかった。