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6月16日、ぼくは大阪オリックス劇場にいた。
大好きな原田知世の40周年アニバーサリーコンサートが開催されたからだ。
19時開演というのは、少し遅い気がした。
でも、勤め帰りの人も、残業が1時間あっても、この時間なら来られそうだ。
そういう判断もあったのだろうか。
大阪、名古屋、東京公演の貴重な3カ所だけのコンサートツアー。
6月21日に東京公演で千秋楽を迎えたので、少し書いてみようと思う。
原田知世については、拙ブログに於いても2度ほど書いた。
アクターとシンガーを40年も続けるというのは、凄いこと。
なんというか、いつまでも透明感があって、美しく歳を重ねてくれている。
やはり、シンガーであっても、アイドルなのだ。
この人のコンサートは、いつも、あたたかい。
どこまでもアットホームだ。やさしさに包まれてしまう。
MCも、品があるし、正直、可愛いと思う。
終盤のバンドメンバー紹介も、ニックネームや呼び捨てするのも、信頼関係があって格好いいけれど、原田知世のように「さん」付けで紹介するもの、かえって新鮮に見えた。
今回のコンサートでは、絶対に歌いたい曲だから入れて欲しいとバンマスに懇願して、
セットリストに入れたのに、本番では、やはり、歌い出しを間違えて、観客に謝ることしきり。そういう人間性も可愛い。
セットリスト(大阪公演)
1.A面で恋をして
MC
2.恋をしよう
3.ユー・メイ・ドリーム
MC
4.ダンデライオン
MC
5.地下鉄のザジ
6.ロマンス
MC
7.冬のこもりうた
(20分のインターバル)
8.LIKE THIS
9.ヴァイオレット
10.邂逅の迷路で
11.シンシア
MC
12.夢の途中
MC
13.一番に教えたい
MC
14.銀河絵日記
アンコール#1
15.ping-pong
16.時をかける少女
アンコール#2
MC
17.くちなしの丘
(イメージ)
「ダンデライオン」は原田知世が、10代の時、ミュージカルをやるときにユーミンが原田知世のために書いたお馴染みの曲。
「ロマンス」はアップテンポな颯爽とした曲。一推し。
「ヴァイオレット」は川谷絵音の提供曲。予想以上に良い曲に仕上がっている。
「邂逅の迷路で」これまでの原田知世にはなかった世界観。新たな魅力を引き出している。
「一番に教えたい」は今回のコンサートツアーの屋台骨となる曲。
「銀河絵日記」は銀河鉄道の夜をモチーフにした名曲。
「時をかける少女」は、言うまでもなく、原田知世主演の同名映画の大ヒット主題曲。
ユーミンが提供している。
「くちなしの丘」原田知世の思い入れのある曲。しっとりと歌い込んでくれる。
原田知世というアクター&シンガーと同じ時代を生きていることが、嬉しく思えた。
昨今の暗く危険なニュースをほんの一時忘れさせてくれる、一服の清涼剤のようなコンサートだった。
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憧れの銀色の巨人に会ってきた。大阪梅田のスクリーンで。庵野秀明(エヴァンゲリオンシリーズ・アニメ監督)や樋口真嗣(シン・ゴジラの監督)ら、ウルトラマンをリスペクトする映像作家たちの手によって、2022年に姿を現したウルトラマンは格好よかった。ため息がでるほどに。
また、斎藤工、長澤まさみなど俳優陣のウルトラマン愛も溢れるほどに感じられた。
・怪獣→禍威獣(かいじゅう)
・科学特捜隊(科特隊)→禍威獣特設対策室(禍特対)などの表記、呼称が、その他にも数点現代風に置き換えられていたり、設定の変更点はある。これは、仕方のないことだ。
(禍威獣の駆逐対策に忙しい、各省庁から選抜された禍特対の面々)
ウルトラマンが闘う、ネロンガやガボラは、生き物としてのリアルな生臭さが排除され禍威獣軍事兵器といった方が当てはまりそうな機械的無機質感がある。
(ネロンガ)
(ガボラ)
それと、ウルトラマンが倒した禍威獣を持ち上げるときには、もう少し、重そうに、わずかでもウルトラマンの足が地面にめり込むような、リアルな重量感があれば良いと思った。あまりに軽々と持ち上げていたので・・・・・。
しかし、そういった、ぼくなりのマイナス要素を考慮しても、ウルトラマンは最高に格好よく、映画としても、よく出来ている。
(外星人ザラブ)
(にせウルトラマン)
(長澤まさみの巨大化・外星人メフィラスの日本政府へのプレゼンテーション)
(俳優・山本耕史がメフィラスを好演。「私の好きな言葉です」の決めぜりふは印象的)
現在、大ヒット上映中の映画なので、あまり中身については触れられない。
エンディングロールのクレジットに高橋一生の名があって「出てなかったよな」と思えば、ウルトラマンの「声」で出演していたり、他にも意外な人が、意外な形で映画を盛り上げている。
ぼくが、いちばん嬉しかったのは、クレジットに「CGスーツアクター」として古谷敏の名が刻まれていたこと。初代ウルトラマンはこの人が演じていて、その時の古谷敏のヌードスケールでCG用のスーツを作らせていただいたという敬意が込められていて、嬉しくなった。
「シン・ゴジラ」の時から気になっていたのだが「シン・ウルトラマン」の「シン」って何だろうって。総監修の庵野秀明によれば「新、真、神・・・なにであっても構わない。お客さんが決めること」という。
来春には「シン・仮面ライダー」が上映予定だそうな。
みんな、あの頃に帰りたいんだろうなあ・・・。貧しい時代だったが、夢だけは信じられた、そんな時代に。
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広辞苑によると「適当」の意味は、
・ある状態や目的などに、ほどよく当てはまること
・分量、程度などがほどよいこと。また、そのさま
・その場に合わせて要領よくやること。いい加減
とある。
2009年「蝉の啼く木」のサトウハチロー記念おかあさんの詩最優秀賞獲得を受けて第3詩集出版がされることになった。
出してもらう側なので、掲載作品は出版社任せで、ぼくとしては気の進まない作品もあったが、口を挟める立場ではなかった。
詩集のタイトルも、そのまま受賞作の「蝉の啼く木」と決まった。
帯文は、これまで新川和江、菊池貞三ときて、いい感触を得ていたので、今度はやなせ・たかしでいこうということになった。たまたま、やなせ・たかしとは、ぼくの若い頃から、つきあいがあったので、出版社の帯文の依頼を快諾してくれた。
返ってきた帯文は、こうだった。
「私は○○○○氏の おだやかな 詩の一群を愛する。
さわやかな諦観の底に流れる 苦い味は適当にこころにしみる。
やなせ・たかし 」
出版社からFAXで原文が送られてきた。しかし、「適当」という言葉がひっかかった。もちろん、やなせ・たかしに悪意などあろうはずがない。早速、愛用している広辞苑で調べてみると、冒頭の3種類の意味合いが出てきた。
「テキトーに」・・・どうしても「いい加減」と、取られやすい。
ぼくは、出版社に電話して「どうしても『適当』という熟語が間違って、受け取られやすいと思われるので、先生に文章の変更をお願いしてください」と、かなり強い口調で
いったが、担当者は弱小出版社なので、あんな巨匠には逆らえないと、泣き崩れてしまった。作家と出版社の力関係は、よく理解できる。では、ぼくから、電話するというと、先生をけっして、怒らさないでくれと懇願された。やなせ・たかしの人間性は、ぼくなりに知っている。巨大な力を持ちながら、威張らない、けっして、弱者をいじめたりしない、ほんと、アンパンマンのような人だ。
でも、こちらの意思だけは伝えておきたい。電話を掛けて、一度で繋がることはない。
かならず、アシスタントがワンクッション入って、あとから掛かってくる。向こうからは直で掛かってくるのだが。
ぼくは、まず、帯文を書いていただいた御礼をいった。
そして、先生の「適当」とは、なんぞやと訊いた。
それは、適切以上の「適切」だと、こたえられた。最大級の褒め言葉だと。それを聞いて、ぼくは、納得した。
おそらく、よくない「適当」と思う人は半分は要るだろうが、やなせ・たかしが、詩集に収める、ぼくの作品をすべて読んでくれて、最大級の褒め言葉といわれると返す言葉などない。
ただ実際、朗読会や講演などのイベントでは、やなせ・たかしの帯文が、宣伝によく使われたが、「適当」の2文字は、主催者側の勝手な忖度で削除されていた。ぼくは、とても、複雑な気分だった。
2009年11月に発売された「蝉の啼く木」は、控えめにみても、よく売れた。
今では、出版社倒産のため、絶版になっているが、ぼくが知る限り、ネットなどでは3万から8万円くらいで取引されていた。もちろん、その逆でヤフオクなどでは、若手作家とひとくくりされ二束三文の値が付いていたこともあった。まあ、販売者の価値観の問題だろうけど。
(新川和江・菊池貞三・やなせ・たかしの各先生方は文章構成上、敬称略にさせていただいた)。
ひとやすみ
ここいらで
ちょっと
ニンゲンを
ひとやすみ
しなくては
身も心も
ぶっ壊れてしまう
スマホの
電源切って
生きてることも
今は 忘れて
空と 海だけ
眺めていたい
第3詩集「蝉の啼く木」収録。
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去る4月7日、藤子不二雄Ⓐの死去が報じられた。もともとは、藤子・F・不二雄とコンビを組んで「藤子不二雄」のペンネームで、数多くの夢のような少年漫画を生み出していた。
ところが、1987年、コンビを解消。
共同作業ではなく、それぞれが、それぞれの人気キャラクターを生み出していたこともこの時に判明する。ぼくも含めてコアなファンは画風やストーリー性の違いに気付いていたから、それほど驚く出来事でもなかったが。
◇藤子不二雄Ⓐ(我孫子素雄)は「忍者ハットリくん」「怪物くん」「まんが道」
◇藤子・F・不二雄(藤本弘)は「ドラえもん」「パーマン」「キテレツ大百科」
などの代表作がある。
唯一の共作が「オバケのQ太郎」。
我孫子素雄は、年齢を重ねるにつれ、少年漫画を描くことに大きなストレスを感じ始めていた。今、自分の描きたいのは「ブラックユーモア」だと。それで、「ドラえもん」で大ヒットを飛ばしていた藤本弘の正統派少年漫画の世界観を壊さないよう、我孫子の方からコンビの解消を申し出る。
藤子不二雄Ⓐでいえば「魔太郎が来る!!!」は個人的に大好きな漫画。
いじめられっ子目線で描かれていて、その眼差しが温かい。
いじめっ子は魔太郎の呪いを受けて、悲惨な目に遭うのだが。
「笑ウせぇるすまん」の前身「黒イせぇるすまん」70年代に描かれていて、ブラックユーモアのセンスはその頃からピカイチだったのだろう。
「ひっとらー伯父さん」は隠れた名作。よって、隠れファンも多い。
ご冥福をお祈りいたします。
そして、ひと言「ありがとう」の言葉を。
人間の命のことだから、仕方がないが、ほんとうに味のある、いい漫画家がこの世を去って行く。それじゃあ、さいなら・・・みたいな感じで。
それは、つらいことだなあ。
近年では・・・・・。
令和3年9月 さいとう・たかを
さいとう・たかをといえば「ゴルゴ13」。
でも「ぼくらマガジン」で連載された「バロム・1」は最高だった。
実写化されて、その出来にガックリきたが。
令和3年10月 白土三平
この人はアニメで名前を覚えた。「カムイ外伝」や「サスケ」では命のはかなさが描かれていた。
雑誌で読むと、劇画的すぎて、ちょっと読みづらかったなあ。
令和2年6月 ジョージ秋山
「アシュラ」を読んだときの、ショックは、今も忘れない。
青年漫画の「ピンクのカーテン」で新境地を開いたかな?
手塚治虫、石ノ森章太郎、横山光輝らも、もうとうにこの世にいないのが、今更ながら寂しい。
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ヘンリー・マンシーニ作曲の主題曲。
そこはかとない悲しみと美しすぎるピアノのメロディーが流れる。
風に波打つ数万のひまわり。印象的にスクリーンいっぱいに地平の果てまで続くかの如く映し出される。
それは、切なすぎる女心をイメージさせる。
1970年日本公開のイタリア映画「ひまわり」。珠玉の名作だ。
監督はヴィットリオ・デ・シーカ。キャストにソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ、ロシアからリュドミラ・サベリーエワ。
イタリアの大女優:ソフィア・ローレン(ジョバンナ)
第2次世界大戦下、ジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は結婚するが幸せもつかの間、アントニオはソ連戦線へ送られてしまう。終戦後も戻らない夫の行方を追ってジョバンナは、スターリン死後のソ連へ向かい、アントニオの居所を探し当てる。しかし、戦場で遭難した彼は美しいソ連の娘・マーシャに助けられ彼女と結婚し、子どもも生まれており……。必然的な別れがふたりに訪れる。
夫捜索の道すがらの広大なひまわり畑。
案内人から「このひまわり畑の下には無数のイタリア兵やソ連の捕虜が眠ってる」と報される。
ロシアのトップ女優:リュドミラ・サベリーエワ(マーシャ)
雪道に倒れていたアントニオを助け、家庭を持ち、子どもも出来、小さな幸せを何としても守りたい。
名優:マルチェロ・マストロヤンニ(アントニオ)
工場での勤め帰り、元妻ジョバンナとの再会。
今は、大切な家族があり、もう、むかしには戻れないことを知る。
演技指導するヴィットリオ・デ・シーカ監督。
このひまわり畑は、ウクライナ(映画撮影当時はソ連)の首都キーウから南へ500㎞のヘルソンで撮影された。
ヘルソンは今回の戦争の激戦地でロシア軍側の支配下にある。現在は。
今後、戦況はウクライナの東部で激しく軍事衝突する見込みだ。
ウクライナ戦争がはじまってから、にわかに映画「ひまわり」が注目され、実際に現在では全国90カ所で上映されているという。
今回のプーチンの戦争で、是非、ウクライナに寄り添って欲しいという願いがこめられているのだろう。
この名画を観て、恋愛映画だという人もいるし、反戦映画だという人もいる。
感想は自由だ。
けれど、日本の花が「桜」であるように、ウクライナの花が「ひまわり」であることにも、想いを馳せてほしい。
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アカデミー国際長編映画賞に日本映画の「ドライブ・マイ・カ-」(濱口竜介監督)が選出された。
以前は「アカデミー外国語映画賞」と呼ばれていた。
つまり、英語圏以外の世界中の映画から選ばれる。
日本作品では、2008年の『おくりびと』(滝田洋二郎監督)が受賞している。
1975年には日本人監督である黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』が受賞しているが、本作はソビエト連邦作品である。
長きにわたるアカデミー賞の歴史の中で、アカデミー外国語映画賞を獲得した、ぼく自身が忘れられない映画を3作品紹介させていただく。
あらすじについては、正確さを期すため、一部映画資料から抜粋しているものもあるが、ご了解願いたい。
「フェリーニの道」
フェデリコ・フェリーニ監督作品(1956年度・イタリア)
自他共に認めるフェリーニの代表作。
風景がわびしく、ニーノ・ロータの音楽が切ない。
旅芸人のザンパノ(アンソニー・クィーン)は体に巻いた鉄の鎖を切る大道芸を売り物にしていたが、芸のアシスタントだった女が死んでしまったため、女の故郷へ向かい、女の妹で、頭は弱いが心の素直なジェルソミーナをタダ同然で買い取る。ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)はザンパノとともにオート三輪で旅をするうち、芸を仕込まれ、女道化師となるが、言動が粗野で、ときに暴力を振るうザンパノに嫌気が差し、彼のもとを飛び出す。
あてもなく歩いた末にたどり着いた街で、ジェルソミーナは陽気な綱渡り芸人・通称「イル・マット」の芸を目撃する。追いついたザンパノはジェルソミーナを連れ戻し、あるサーカス団に合流する。そこにはイル・マットがいた。イル・マットとザンパノは旧知であるうえ、何らかの理由(作中では明示されない)で険悪な仲だった。イル・マットはザンパノの出演中に客席から冗談を言って彼の邪魔をする一方で、ジェルソミーナにラッパを教える。
ある日、イル・マットのからかいに我慢の限界を超えたザンパノは、ナイフを持って彼を追いかけ、駆け付けた警察に逮捕される。この事件のためサーカス団は街を立ち去らねばならなくなり、責任を問われたイル・マットとザンパノはサーカス団を解雇される。ジェルソミーナはサーカス団の団長に、同行するよう誘われるが、自分が足手まといになると感じた彼女は街に残ることを選ぶ。それを知ったイル・マットは、「世の中のすべては何かの役に立っている。それは神さまだけがご存知だ。ジェルソミーナもザンパノの役に立っているからこそ連れ戻されたんだ」と告げ、ザンパノのオート三輪を駆って、彼が留置されている警察署へジェルソミーナを送り届け、立ち去る。釈放されたザンパノは、イル・マットが勝手にオート三輪を使ったことをさとり、渋い表情を見せる。
ジェルソミーナとザンパノは再び2人だけで大道芸を披露する日々を送る。ある日ザンパノは、路上で自動車を修理するイル・マットを見かけ、彼を殴り飛ばす。自動車の車体に頭をぶつけたイル・マットは、打ち所が悪く、そのまま死んでしまう。ザンパノは自動車事故に見せかけるため、イル・マットの自動車を崖下に突き落とし、ジェルソミーナを連れてその場を去る。それ以降、ジェルソミーナは虚脱したまま何もできなくなり、大道芸のアシスタントとして役に立たなくなる。ザンパノはある日、居眠りするジェルソミーナを置き去りにする。
数年後。ある海辺の町で鎖の芸を披露するザンパノだったが、年老いた彼の芸はかつての精彩を欠いていた。ザンパノはそこで、地元の娘が耳慣れた歌を口ずさんでいるのを聞く。それはかつてジェルソミーナがラッパで吹いていた曲であった。ザンパノはその娘から、ジェルソミーナと思われる女がこの町に来て、娘の家にかくまわれ、やがて死んだことを聞き出す。いたたまれなくなったザンパノは酒場で痛飲し、大暴れしたあげく、町をさまよう。海岸にたどり着いたザンパノは、砂浜に倒れ込み、嗚咽を漏らした。忘れられないラストシーンだなあ。
「映画に愛をこめて アメリカの夜」
フランソワ・トリュフォー監督作品(1973年度・フランス、イタリア合作)
「アメリカの夜」とは業界用語で、夜間のシーンを、昼間に撮影する技法のこと。
この映画は「映画撮影風景」を映画にしている「映画内映画」。
アイデアの勝利でもある。
あなたの「映画愛」を感じるよ、トリュフォー。
トリュフォー自身が監督役で熱演しているのも見物である(写真・上)。
それと、大量の泡を使って、雪の街を作り上げていく映画製作マジックには驚いた。
ニースにあるオープンセットでは『パメラを紹介します』という映画の撮影が大詰めを迎えている。
エキストラを大勢使った場面では、アルフォンス(ジャン=ピエール・レオ)という若い男優とアレクサンドル(ジャン=ピエール・オーモン)というベテラン男優がフェラン監督(フランソワ・トリュフォー)の指示の下、何度もリハーサルを繰り返している。
フェラン監督は左耳が難聴で、いつも補聴器をつけている。監督の仕事は忙しく、各部門のスタッフからの質問や確認を手早く片付けていく必要があったからだ。
映画撮影では色々と大変な事が勃発するが、最も厄介なのは俳優のトラブルだ。
アレクサンドルと親しかったセブリーヌ(ヴァレンティナ・コルテーゼ)というイタリア人女優がキャスティングされているが、彼女はアル中で物忘れがひどく、セットの見えない所にセリフを貼っておかないと演技もできない。段取りも何度も間違えるために撮影に手間がかかり、フェラン監督を悩ませる。
監督はそのせいか、撮影中はよく悪夢を見る。それはローティーンの少年が映画館から『市民ケーン』のスチール写真を盗む、というものだった。
年若いアルフォンスはさらに厄介だった。撮影中は長期間に渡って同じホテルに泊まり込むため、彼は交際中の女性リリアンを連れてきていた。しかも監督に無理を言ってスプリクトガールの職も与えてもらう始末。
しかし嫉妬深く子供のようなアルフォンスに飽き足りないリリアンは、撮影に参加したスタントマンと駆け落ちしてしまう。アルフォンスは大きなショックを受け、自分の出演する場面の撮影もできず、自室に閉じこもる。
そんな困難な状況を救ったのは、ハリウッドから呼ばれてきたスター女優のジュリー(ジャクリーン・ビセット)だった。リアルタイムで観れなかったが、ジャクリーン・ビセットは光ってる。
「ブリキの太鼓」
フォルカー・シュレンドルフ監督作品(1979年・西ドイツ)
ちょっと、不思議な映画。不条理というか、何というか。
アイロニーを含んだ、時代背景、社会風刺が、スパイシーに効いている。
製作国が西ドイツというのも興味深い。
精神病院の住人である30歳のオスカル・マツェラートが看護人相手に自らの半生を語るという形で物語は進行していく。体は幼児で、精神年齢は成人のオスカルは、冷めた視点で世の中を見つめ、その悪魔的所業で、自分を愛してくれている周囲の人間を次々に死に追いやる良心を持たない人間として描写されているが、最終的に自分を保護してくれる人間がいなくなったことに気が付き愕然とすることになる。
オスカルは誕生時に既に知能は成人並みに発達をとげ、かつ自分の成長を自身の意思でコントロールする能力を備えていた。物語は1899年のジャガイモ畑における祖母の妊娠に始まり、1924年のオスカル誕生に至る。オスカルは自分が成長することを恐れていたが、父親であるアルフレートが彼が3歳になった時、ブリキの太鼓を買い与えるとの言葉を聞き、3歳までは成長することにした。3歳の時、父親が地下室に降りる床の扉を閉め忘れたことを勿怪の幸いに、故意に地下に転落し、大人たちにそれが原因で成長が止まったと信じ込ませることにした。オスカルの母親であるアグネスは何かというとこのことで夫であるアルフレートの不注意を責め、それにより夫婦間に亀裂が生じるようになる。オスカルは声帯から発する超音波でガラスを破壊する能力を身につけ、様々な問題を起こしていく。息子の奇行に悩み、その将来を慮ったアグネスは、精神を病み、過食症となり、自ら命を絶つ。
局外者であるオスカルの眼を通し、ナチ党政権前後におけるダンツィヒ自由市の小市民的心性、戦前・戦中・戦後の遍歴などを描く。
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戦火の中の少女のために
戦火の中の少女に
わたしの書いた詩など
なにほどの
価値も持たない
少女の瞳は
訴える
そんなものよりも
パンをください
薬をください
銃をくださいと
少女のために
わたしが
全知全能を傾けて
幾千の平和の詩を
綴っても
たったひときれの
パンのありがたさには
かなわない
この詩は2009年に発刊された第3詩集「蝉の啼く木」に収録(一部改稿)されているので、今回のプーチンが引き起こしたウクライナへの戦争犯罪に、書いたものではない。が、思いは同じである。
その頃は、チェチェンか、コソボか、イラクか、ソマリアか、アフガニスタンか、シリアか・・・・・・戦争と呼べなくとも、紛争は、世界のどこかで日常茶飯事的に起こっていて、依頼があって書いたものだと思う。
しかし、遠く東アジアにいて、ロシアの戦車一台に、たった1個の石ころを投げつけられないのなら、こんな詩でも発表して、心を同じくしてウクライナのために祈ろうではないか。
今後、信じられないほど物価が上がったりする。日本を含む西側諸国がロシアに課した、強力な経済制裁のブーメラン効果で、我々一般国民もしっぺ返しが来る覚悟が必要だが、ウクライナの人々のことを考えると、空から爆弾が降ってこないだけましではないか。
今回の戦争で、世界の動きをつぶさに観察している国がある。中国。クマのプーさん、いや、習近平である。台湾の乗っ取りを虎視眈々と狙ってる独裁者である。軍事侵攻すれば、こんなにも大きな代償を払うことになるのか、驚きを隠せないだろう。台湾有事は、すなわち、日本有事だということである。日本が率先して闘わなければ、同盟国のアメリカだって闘ってくれない。
国際的に国防費、軍事費の増額が見込まれる。
日本に於いても、核の保有や憲法9条改正の議論が高まるかも知れない。
「抑止力」としてなら、それが国を守る最善の道だ。
子どもや女性、老人など、社会的弱者が標的になるなんて、無差別攻撃を強行するなんて、人間の成せる業ではない。主権国家の大統領であろうが、プーチンは戦争犯罪人として逮捕され、あわれな末路を辿っていくことを、ぼくは強く望む。独裁者の最期なんて、ゴミくずのようなものだ。
ウクライナの子どもたちに、一日も早く笑顔が戻るように。