広辞苑によると「適当」の意味は、
・ある状態や目的などに、ほどよく当てはまること
・分量、程度などがほどよいこと。また、そのさま
・その場に合わせて要領よくやること。いい加減
とある。
2009年「蝉の啼く木」のサトウハチロー記念おかあさんの詩最優秀賞獲得を受けて第3詩集出版がされることになった。
出してもらう側なので、掲載作品は出版社任せで、ぼくとしては気の進まない作品もあったが、口を挟める立場ではなかった。
詩集のタイトルも、そのまま受賞作の「蝉の啼く木」と決まった。
帯文は、これまで新川和江、菊池貞三ときて、いい感触を得ていたので、今度はやなせ・たかしでいこうということになった。たまたま、やなせ・たかしとは、ぼくの若い頃から、つきあいがあったので、出版社の帯文の依頼を快諾してくれた。
返ってきた帯文は、こうだった。
「私は○○○○氏の おだやかな 詩の一群を愛する。
さわやかな諦観の底に流れる 苦い味は適当にこころにしみる。
やなせ・たかし 」
出版社からFAXで原文が送られてきた。しかし、「適当」という言葉がひっかかった。もちろん、やなせ・たかしに悪意などあろうはずがない。早速、愛用している広辞苑で調べてみると、冒頭の3種類の意味合いが出てきた。
「テキトーに」・・・どうしても「いい加減」と、取られやすい。
ぼくは、出版社に電話して「どうしても『適当』という熟語が間違って、受け取られやすいと思われるので、先生に文章の変更をお願いしてください」と、かなり強い口調で
いったが、担当者は弱小出版社なので、あんな巨匠には逆らえないと、泣き崩れてしまった。作家と出版社の力関係は、よく理解できる。では、ぼくから、電話するというと、先生をけっして、怒らさないでくれと懇願された。やなせ・たかしの人間性は、ぼくなりに知っている。巨大な力を持ちながら、威張らない、けっして、弱者をいじめたりしない、ほんと、アンパンマンのような人だ。
でも、こちらの意思だけは伝えておきたい。電話を掛けて、一度で繋がることはない。
かならず、アシスタントがワンクッション入って、あとから掛かってくる。向こうからは直で掛かってくるのだが。
ぼくは、まず、帯文を書いていただいた御礼をいった。
そして、先生の「適当」とは、なんぞやと訊いた。
それは、適切以上の「適切」だと、こたえられた。最大級の褒め言葉だと。それを聞いて、ぼくは、納得した。
おそらく、よくない「適当」と思う人は半分は要るだろうが、やなせ・たかしが、詩集に収める、ぼくの作品をすべて読んでくれて、最大級の褒め言葉といわれると返す言葉などない。
ただ実際、朗読会や講演などのイベントでは、やなせ・たかしの帯文が、宣伝によく使われたが、「適当」の2文字は、主催者側の勝手な忖度で削除されていた。ぼくは、とても、複雑な気分だった。
2009年11月に発売された「蝉の啼く木」は、控えめにみても、よく売れた。
今では、出版社倒産のため、絶版になっているが、ぼくが知る限り、ネットなどでは3万から8万円くらいで取引されていた。もちろん、その逆でヤフオクなどでは、若手作家とひとくくりされ二束三文の値が付いていたこともあった。まあ、販売者の価値観の問題だろうけど。
(新川和江・菊池貞三・やなせ・たかしの各先生方は文章構成上、敬称略にさせていただいた)。
ひとやすみ
ここいらで
ちょっと
ニンゲンを
ひとやすみ
しなくては
身も心も
ぶっ壊れてしまう
スマホの
電源切って
生きてることも
今は 忘れて
空と 海だけ
眺めていたい
第3詩集「蝉の啼く木」収録。