f:id:tigerace1943:20160526211742j:plain

                                (くんぺいタヌキ)

           
 
            新宿
 
                             東 君平


19歳。

身も心も腹もどん底の日々だった。

学校は途中から行けなくなっているし 仕事も辛かった

ぼくは 新宿の街を歩いていた。

「詩を書いてみたい」

こんなことを考えてみても 何をどう書けばまとまるのか

あせる頭には浮かばなかった。

「小説も書きたい」

それにはまだ 過ごしてきた人生が短いし

必要な知識も用具もない。

「絵もいい」

画廊の前を通ると 今日から誰かの個展が始まったのだろう

パーティをしていた。街はずれに出た。

人通りが極端に減り 野良猫が歩いている。

ぼくは 古びた外灯の前に立って見上げた。

口には さっき手渡されたチラシを丸めて銜えた。

「新宿か」

古びた外灯の錆びた鉄棒に 釘ででも書いたのだろう

下手な字で新宿と書いてあった。

「しんじゅく・・・・か」

この二度の呟きが ぼくの生き方を決めたといってもいい。

ぼくは その日から もっともっと

自分の気持ちを信じて生きてゆこうと思った。

それは 新宿の文字が しんじゆく と読めたからだ。
 
 
ぼくが、創作活動に於いて、いちばん、影響を受けたのは東君平(ひがし・くんぺい)だ。詩人としてである。
画家や童話作家の顔もあるけれど。
特に「新宿」を読んだ時の、感銘は言葉に尽くせない。
涙があふれでて、止まらなかった。
君平さんは1986年12月3日に肺炎のため、この世を去っている。妖精だから、しかたない。
君平さんの結婚にまつわるエピソードをひとつ。
夫人となる英子さんには、許婚がいて、自分とは結婚できないと分かると、将来を悲観して自殺を図った。未遂に終わるが「また、断ってくれてもいいよ。ぼくが、死ねばいいだけなんだから・・・・」。まあ、強引というか、なんというか、脅迫だな、これ。でも、妖精だから、しかたない。英子さんも、君平さんの本の出版を手伝って、心惹かれるものを感じていたのは、確かなようだ。英子さんのお母様の「わたしだったら、君平さんの才能に賭けてみるわ」といったひとことが決め手となり、ふたりは結ばれている。
他にも、自身の詩とメルヘン賞授賞式にも、ノーネクタイ姿・・・・というよりも普段着で現れて、やなせ・たかしにたしなめられたが、これも、妖精だから、しかたない。
とにかく、人間の世界にちょっと遊びに来たという感覚のひとだった。
晩年、やなせ・たかしが君平さんの入院先を見舞った。ドアを開けると君平さんは眠っていたようだが、気配に気づき「ああ、やなせくんか。いま、天国の下見をしていたところだよ」と、いたずらっぽく、君平さんは笑ったそうである。それが、君平さんとの最後になったって。

 やっぱり、君平さんって、妖精だったんだ。

f:id:tigerace1943:20160515154740j:plain

f:id:tigerace1943:20160515154825j:plain

もはや、会社には、なんの未練もない。

ぼくは、すこし、にやりと笑ってみせて、この相棒と今夜、この街をでる。

よどみきったこの街を。

深い夜をぶっ飛ばす。アクセルを踏み込んで、ハイウェイを流星のように、風のように、ひかりのように疾走する。

山下達郎なんかを、ガンガン、かけながら。

街から何100kmも飛ばし続けて、相棒が、力尽きたら、そこが、ぼくの暮らすべき場所だ。

空と海だけみつめて、生きていく場所だ。

・・・・・相棒と出会ってから、そんな妄想を抱くようになった。

まあ、ぼくは、言わずと知れた「小市民」だから、あと数年は、会社にしがみついて生きていくだろうけれど、相棒は夢を与えてくれる。人生なんて、自分の意思で簡単に、変えられることを、おしえてくれる。人生なんて、むずかしくないよと、おしえてくれる。

f:id:tigerace1943:20160511073202j:plain

バラク・オバマ米大統領が、伊勢・志摩サミット後の今月27日に、現役大統領として、初めて、ヒロシマを訪問することが確実となった。原爆投下国のトップが、被爆地を訪れる意義は大きい。何らかの、式典は行われ、世界に向けて、大統領の核廃絶のメッセージが発信されるはずだ。うがった見方をすれば、演出的には満点だ。

ケリー国務長官が外相会議の際、被爆地を訪問し、献花し、大統領被爆地訪問の地固めをしていたが、アメリカ国内でも、大きな反発はおこらなかったこと、むしろ、フランスなどの海外メディアが好意的に報じていたことなどが後押ししたとみられる。(それよりもなによりも、ふたりのKの水面下での並々ならぬ努力が実を結んだということだ。ふたりのKとは、ケリー国務長官キャロライン・ケネディ駐日大使だ)。

アメリカの大統領の任期は8年だが、最後の1年は次期大統領選びの指名候補争いがヒートアップするので、レームダック状態だ。それにオバマ大統領のいちばんの過ちは「世界の警察官を辞める」と発言したこと。このひとことで、世界の力の均衡が見事に崩れた。しかしながら、腐ってもアメリカはアメリカで、大統領は大統領なのである。

オバマが被爆地に立って「謝罪」を述べることは100パーセントない。非戦闘員などを無差別に殺戮した責任からは未来永劫、逃れられないが、日本も、いつまでも「謝れ!」なんていえないだろう。なんか、どこかの国みたいで。アメリカのシナリオで、日米開戦ははじまったが、どういう理由にせよ、先に宣戦布告をしたのは日本なのだから。

当初、ナチス・ドイツが原爆を開発していて、イギリス・ロンドンに投下する予定だった。開発メンバーの中心は、ユダヤ人で「悪魔に魂を売るわけにはいかない」とアメリカに亡命した。原爆を投下するべきはナチス・ドイツにありと開発を進めたが、完成した時には、ナチス・ドイツは降伏していた(というか、そもそもアメリカは白人国家に原爆を落とす気などなかった)。それで、ユダヤ人開発者の反対を押しきって、トルーマン大統領が日本に原爆投下するゴーサインをだした(イギリスのチャーチルも共犯者)。理由はふたつある。ひとつめは、原爆の破壊力のデーター収集。まあ、人体実験だね。ふたつめは、対ソ連へのアピール。

しかしながら、もはや、オバマだって、「戦争を知らない子供」なのである。

余談だが、姪の子も27日、ヒロシマに修学旅行なのだが、オバマが来るってなると、警備体制は半端じゃないだろう。原爆ドームも、見学できないなあ。

f:id:tigerace1943:20160504171701j:plain

我が家は、長年、産経新聞と契約している。

論調がどうのとかという問題ではない(まあ、たしかにぼくは、保守的ではあるが)。

この新聞には、上のように、タイトルロゴの左に「朝の詩」といって、毎日毎日、読者の投稿詩(はがきで投稿)が掲載される。もちろん、投稿すれば掲載されるという広き門ではない。聞いた話だが、20年間、毎月投稿し続けても、ただの一度も掲載されないということは、そうめずらしいことではない。選者は詩人の新川和江。産経の文化部から、新川和江のもとに、毎月、どっさりと、はがきの束が届く。題材は自由で、特段、「朝」にこだわる必要はないが、やはり朝刊紙。一日の始まりに暗くめげそうな詩は見たくない。これは、必ず外される。しかし、いのちの終わりを唄っていても、そこにかすかな希望や光明が描かれていると、採用になったりする。

この朝の詩は30数年間、天皇崩御されたときも、阪神淡路大震災東日本大震災が起こったときも、国内外のおおきな事件、事故、世界のどこかで戦争が勃発したときも、休むことなく日常的に掲載されている。

「ちょっとなあ~」と腕を組んでしまう詩は少なくないが、しかし、掲載される詩は、どこか、光るものがある(と信じていたい)。

ぼくと朝の詩のお付き合いがはじまったのが、20年前。

サンリオ詩とメルヘンの影響で、詩を書き始め、常連でもあったが、結婚があり、仕事があり、忙しさにかまけて、いつしか、ぼくは、詩作をさぼるようになっていた。

ぼくとて、ずーっと、書きつづけて来たというわけではないのだ。断続的に、何年間もぽっかりと空白の時期がある。

あるとき、妻が「産経に投稿してみたら?」といった。

ぼくは、めんどうくさそうに「ああ、あれね~、でも、レベルがね・・・・・」といいかけたとき妻は「この詩読んでみて」と新聞を、ぼくの顔に押し付けたのである。

「たしかに、いい詩だね」と妻には答えたし、実際、無名の読者の詩が、ぼくのこころを動かしたのも事実である。

妻は「でしょ?」と笑って「くやしかったら、投稿して、入選してみなさいよ!」とバシーン!とぼくの、お尻を引っぱたいたのだ。

ぼくのなかで、何かスイッチが入った(ような気がした)。

10分くらいで、さらさらと「なつみに」という詩を書きあげた。

妻が「これは、いい詩!」とOKを出すまで、なんども書き直して、3時間くらいかかってしまった。はがきに清書して、ポストに入れた。

「レベルが・・・・どうのこうの」といってしまったものの、実際、入選できるかどうかは、自分でも、自信がなかった。こんな、短詩を書くのも、はじめてだったし。

でもすぐに「なつみに」新川和江の目に留まり、新聞に掲載され、一度目の月間賞を受賞した。それからは、ほぼ、毎月、投稿するたびに、ぼくの作品を拾ってもらい、活字化され、そのたびに200万の産経新聞読者のもとに届けられた。

もちろん、朝の詩を読むひとは、そのうちの数パーセントくらいかもしれない。

しかし、新聞という媒体は、実におもしろい。意外なひとが読んでいたりする。

まず、新川和江との距離をグッと縮めてくれた。詩集出版のオファーもいくつかあったのも新聞掲載のおかげ。新聞だから、さまざまな年代、職業のひとに、ぼくの詩を広めることができた。親戚中や、友人諸兄、局の連中がびっくらこいだ。

ラジオで朗読されたり、シャンソン歌手が曲をつけたいとか、いろんな経験をさせてもらった。地域の連合会長や地元選出の議員などの耳にも入るところとなり、政令指定都市なのだが「おらが村のヒーロー」的存在に祭り上げられたこともある。自慢ではなく、新聞という媒体の影響力を語ってる。ぼくは、すでに詩の文学賞でてっぺんを獲っていたし、賞金を数十万円もらっていても、このような環境の変化は一度もなかった。新聞、おそるべし。朝の詩20周年記念には新川和江の編集で過去20年のBEST版的な「父、母~わたしを守ってくれるもの~」という本が幻冬舎から刊行され、ぼくの「父」という作品を載せてもらっている。

30周年のときは、何人かの常連投稿者の特集記事が組まれ、ぼくのことも記事化していただいた。見出しに「詩作のために、公務員に転職!」(笑)、「詩集、やなせ・たかし氏絶賛!」とか、あることないこと、活字化された。そもそも、当時、公務員だった郵便局員に転職したのは、広告代理店の人間関係に疲れ果てていたためで、詩作とは無関係だし。記者の思い込みというか、ちゃんと、伝わっていないというか。けっして、公務員が楽なわけないのにさ。失礼だよ、公務員のひとに。

「詩は、創作ですよ」と、インタビューに答えた記事も、ぼくの本意とはかけはなれて載っしまった。

案の定、新聞社に、抗議の電話やはがきが殺到した。

「〇〇さん(ぼくのこと)は、いままで、わたしたちを騙していたのですか!」って(笑)。

そうじゃないってば、だれも、騙していないって。

ただ、100パーセント本当の話を書くのだったら、それは単なるリポートだから。

まあ、いやはや、いろんなことを書かれた。

ぼくにとっての朝の詩は「なつみに」からはじまり、現在に至るまで活字化された詩は産経新聞だけでも、ゆうに100篇はかるく超えているだろう。

新聞社のデーターベースにも正確な数字は残っていない。

すべては「なつみに」からはじまった・・・・。

 

  「なつみに」

 

なつみ おまえは

この世に

たったひと声の

小さな産ごえをのこし

旅立っていって

しまっただろ

だから とうさんが

ひとつ ひとつ

手にとるように

おしえてあげような

 

風や 鳥や 雲や

川や 花や・・・・・・

 

なつみ おまえが

見つめようとして

見つめられなかったものを

ふれようとして

ふれられなかったものを

この一枚のモノクロ写真が、実は、写真ではなく鉛筆画だったとは、にわかに信じがたい。きのう、ぼくも、TV番組で紹介されているのを観て、度肝を抜かれたひとりである。

この鉛筆画を描いたのは、富山県在住の自称・絵描きにならなかった中年サラリーマンさんで、自らも、ツイッターやYouTubeで、そのリアルすぎる製作過程を発信されている。

ちなみに、独学だそうである。

鉛筆画を描くひとは多いけれど、一流といわれるひとでも、どこか多少のほころびが見られるものだが、このひとは、見事に完コピに成功している。海外でも、高く評価されている。その精度は、天才というより、神に近い。

広瀬すず有村架純北川景子新垣結衣桐谷美玲などなど、多くの女優さんを手掛けられている。

最後に、ぼくからのリクエストを。

「次は、深田恭子さんを、描いてくださ~い!お願いしま~す!」。

f:id:tigerace1943:20160424095305j:plain

今以て、熊本の友人と連絡がとれない。日々、心配は募るばかりだ。

無事、避難してくれていても、食料とか薬とか,

物資は届いているのか、雨とか気温とか、大丈夫だろうか。

しかし、今回の地震があって、この国は、ひどく病んでいると感じた。

むろん、ぼく自身も、メンタルを病んでいて、通院加療中であるが、ドクターはいつも同じことをいう。「〇〇さん(ぼくのこと)が、まとも過ぎるんです。ほんとうに、病んでいるひとは、自分が病んでることに気づきません。だから、このクリニックに来る患者さんは、みんな正常なひとばかりです」と。

まあ、ぼくのことは、さておき、ノイジーマイノリティ(ごく少数派だけど、一定の影響力を持つ)と呼ばれる、クソッタレ野郎どもの実に無責任極まりない姑息なネット上の書き込みが取りざたされている。

 被災地でテント暮らしの女性タレントが、ブログで被災地の現況を報告していたが、「苦しいのはおまえだけじゃない!」とか「へえ~、指を動かす(キーボード)余裕はあるんだ・・・」とか、うじ虫と比べるのも、うじ虫に申し訳ないくらいのこころなく陰湿なネット住人の書き込み。オスプレイが物資を運んでくれば、「政治利用するな!」(おまえは左翼かっ!とぼくは突っ込みたくなる)とか、著名人が寄付金を公開すれば「売名行為だっ!」と書き込まれ、人気商売の芸能人たちは、出る杭は叩かれるので、何も発言できなくなった。

先の東日本大震災のとき、炊き出しのため現地入りした、俳優の杉良太郎に「一部では売名行為という批判がありますが」と間抜けなリポーターがマイクを向けると、杉良太郎は「ああ、そうですよ、売名行為ですよ。それが、どうかしましたか?」と、毅然とした大人の対応に感激した。

昨今、どうも、ひとの発言の揚げ足をとる言葉狩りが横行している。まるで、鬼の首でも取ったかの如く、救いようのないノイジーマイノリティの輩の優越感を満たしている。しかし、マイノリティという言葉が示すとおり、あわれな輩は少数派に過ぎないが、それをこれまた馬鹿なマスコミが取り上げるので、それが、大多数の意見のような錯覚を与えるのである。

とはいえ、ひとを叩く、潰す、引きずりおろす、血祭りに上げる・・・・・日々、こんな程度の低い報道ばかりに晒されていると、ほんと、気がどうかしてくるよ

おかしくなっちゃうよ!

この国の病巣は、根深い。想像以上に病んでいる。

かなりの重症だ。

f:id:tigerace1943:20160219111402j:plain

ついこの間テレビで、夕方のワイドショーだったが「〇〇ちゃんを救う会」の募金活動の特集が放映された。

1歳の女の子で拘束型心筋症という難病で、赤ちゃんの臓器移植を受けられるアメリカへの渡航費用、治療費、滞在費など、およその総費用2億5千万円を募金によって賄いたいという趣旨のものだった。放映直後、テレビ局に視聴者から、バンバンと募金の申し出があったことは、容易に予想できる。

これまでにも、何度も、テレビや新聞でこの手の募金活動は、よく目にしている。

某放送局勤務の資産家の両親が、やはり、こどもの心臓病で渡米手術のための募金活動を行い、テレビでも取り上げられたが、自身が何の資産の処分もしていないことなどがネット上で惨々な非難を浴びたが、こどもには何の罪もない。

大抵が、乳児から3歳くらいのこどもで、拘束型心筋症」「拡張型心筋症」など心臓の難病が多い。

「早く募金が集まって、助かるといいのになあ」。と本心から願いながら、こういう境遇のこどもたちって、ごまんといるのに、どうしてテレビで放映されたり、新聞の記事になったりする子がいるのだろうという疑問があった。「救う会」って組織さえ作れないこどもの親のほうが絶対的に多数であろうに。

ただのサラリーマンに何千万、何億のお金を身内だけで用意できようはずがない。

運よく数少ないメディアに露出するチャンスがあれば、だれだって、「うちの子を助けてください」ってアピールするだろう。

こどものためには「たとえ世界中を敵に回しても」何とか救ってやりたいというのが親の想いだ。

「but・・・・」。

ぼくが広告代理店でコピーライターをしている時代、親しい同僚のこどもが「拡張型心筋症」だと診断された。余命も宣告され、助かるには渡米して臓器移植するしか道がないといわれた。

同僚は、その日を境に、入院中のこどもに奥さん共々付きっ切りで、会社にも顔を見せなくなった。

ぼくは、ともだちとして街に出て同僚たちと募金活動をしようと考えていたが、その時代死ぬ死ぬ詐欺といって架空の募金活動をして、金を稼いでいるとんでもない輩がいて、社会問題にもなっていた。

そんな背景もあって、現実的には厳しいのではないか、という意見が同僚たちの間で大半を占めた。

それで、会社内で募金活動を開始したが、関連企業の善意を足しても、20万円も集まらなかった。

病院へ見舞いに行くと「日々、ガリガリに痩せていっている」と同僚は、こどもの病気の進行具合を言葉少なに語った。

結局、同僚のこどもは2歳を待たずして、天国へ旅立った。

あのときの、自分の無力さがトラウマになっている。

あれから、20年が経つ。

記事を書くにあたって、親交のある新聞社の社会部の記者に疑問をぶつけてみた。

「それは、やはり、メディアとのコネ。あるいは、視聴率がとれそうな美談かな。でも、それでも、ひとりのこどもの命が救えるかもしれないおおきなきっかけになることは、むしろ、いいことじゃないのかなあ」。と内情を話してくれた。

「なるほど、一理あるな」。と思ったのも事実だ。

それでも、なお、ぼくのこころから「but・・・・」という思いはなかなか消えそうにない。