■
クリストファー・ノーラン監督の最新作なので、映画館に足を運んだ。
1939年9月1日にポーランドへ侵攻し勝利したドイツ軍は、1940年5月10日にオランダ・ベルギー・ルクセンブルクに侵攻、5月17日以降に北フランスを席捲した(ナチス・ドイツのフランス侵攻)。
まだ、アメリカは参戦していない。大戦初期の実話だ。
ドイツ軍は戦車・航空機といった新しい兵器を中心とした電撃戦を展開、その火力・機動力を集中運用する新戦法によって連合軍主力の後方を突破すると、ドーバー海峡まで駆け抜けてこれらを包囲し、ダンケルクへ追い詰めた。その追い詰められたイギリス軍・フランス軍約33万の兵士の大撤退劇(ダイナモ作戦)が描かれている。民間船舶によるイギリス本土への脱出だ。
のっけから大迫力の映像と息詰まる緊迫感の連続は見事である。
ひたすら逃げ惑う連合軍兵士の姿とスピットファイヤーとドイツのメッサーシュミットの空中戦が交互に描かれるだけなのだが、本年イチオシの映画である。主人公という主人公も登場せず、セリフが極端に少ない。だが、これがいいのだ。
撤退命令を下した当時のイギリスの首相・ウィンストン・チャーチルは後年「第二次世界大戦」という回想録を出し、ノーベル文学賞を受賞している。
「第二次世界大戦」の中でも、ダンケルクの戦いとダイナモ作戦のいきさつ、その後のノルマンディー上陸作戦に至るまで克明に描かれている。
重火器類などの運搬を諦めて、兵士という人員だけを優先的に撤退させたチャーチルの判断は、今以て、高く評価されている。
まっ、映画は、ポップコーンを頬張る暇も与えず、あっという間の2時間だった。
■
実のところ、こころの調子が良くなくて、4日から10日間の「自宅療養必要」の診断書がでている。たしかに、数日前から、その前兆のようなものはあった。愛車に乗ろうとすると、急に足元がすくむような恐怖で一歩も動けなくなったり、空が視界に入ることに抵抗を感じたり、おかしいとは、思っていたのだけれど。3日には、頭と胴体が、まるで、離れているような感覚に捉われ、自分のからだが、自分のものだと実感できなかった。あとは、もう、激烈な気分障害にさいなまれた。もう、30年以上、おつきあいしている持病なのに、いざ、症状がでると持病に対して、正確な判断ができなくなって「なんなんだ、この感覚は」ということになり、いきつけのクリニックに診てもらう。
もちろん、これらの症状を、今なら、ひとつひとつ医学的に自ら説明することはできるが、症状が出てしまうと、そんな余裕など吹き飛んでしまう。
女性ドクターはいう。「詩を書いていきなさい。この病気は、〇〇さんのように芸術分野で活躍している人にとっては、必ずプラスに働きますよ」って。以前も書いたが、そのように、おだてつづけられ、詩を書いてきた。それの、くりかえしだ。
診察を終えて、自宅にもどると郵便受けに上の詩の文学コンクールの応募要項のチラシの入った封筒が投函されていた。6月頃から、別の文学賞への応募の誘いの郵便がひっきりなしに届いていて、その時までに、原稿用紙2枚程度ものを2作を仕上げていた。
チラシの蟹と水仙の文学コンクールは、10年近く前に応募して、大賞は逃したが、次賞の奨励賞を受賞した。1等賞好きのぼくは、満足ではなかったが、選考委員長が詩人の荒川洋治だったので、まっ、2番でもいいかという気持ちになった。
授賞式は福井県越前町で行われた。ひとりで電車に乗ることが困難なので、妻にも付き添ってもらった。会場のすぐそばは日本海。灰色の日本海は大荒れだった。空に、今にも落っこちそうな重たい雲が、どこまでもつづいていた。授賞式には似つかわしくない風景だったが、ぼくの精神風土と重なり合っていて、とても印象深く感じられた。
こころの症状も、軽くなったあたりから、ぼくの頭の中は、無意識に、この文学賞に向けての物語を紡ぎだしている。
病気休暇の満了日以降、実際に、文章化したいと思っている。
■
9月1日、病院で検査を受けた後、京都へ向った。ロームシアター京都(旧・京都会館)のサウスホール(旧・第2ホール)で原田知世の「35周年アニバーサリー・ツアー・音楽と私in京都2017」と銘打ったコンサートが催されたからだ。サウスホールのキャパは712席で、非常に落ち着いた雰囲気の、木のぬくもりが感じ取れる中ホール。
主に、セルフカバー曲を歌った。「ロマンス」「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ~」「うたかたの恋」とか、カバー曲の「年下の男の子」(キャンディーズ)「september」(竹内まりや)とかね。
MCなんかも、おしとやかで、ひかえめで、特にバンドのメンバー紹介のとき、ひとりひとりを「さん」付けで紹介していたのが、印象に残る。
バンド活動は女優業と平行して行っているが、彼女は、やっぱり、女優さんだと思う。そう認識すべきだと思う。表情が豊かだし、ファルセットが歌えなくても、音程がはずれても、歌詞をまちがえても、フライングして歌いだしてしまっても、全部、許せちゃうからね。覚えたてのギターも、恐る恐るバンマスに「合ってる?」なんて聞きながら、しっとりと歌を聴かせてくれる。まあ、それは、ファンの心理だろうが。
とにかく、可愛い!声もいい!
ラストアンコールはアコースティックギター1本の「時をかける少女」だった。
■
先の安倍改造内閣の顔ぶれの中に野田聖子氏の姿があって、思い出したことがある。
もう、20年くらい前になるのかなあ。日本郵便が、まだ、国家公務員の時代で、郵便局で働くものは、郵政省(現・総務省)の正規の職員だった。毎月、内容の充実した「郵政」という冊子が職員分発行されていた。仕事のことばかりではなく、過去の偉人たちの名言や、メンタルヘルス疾患の予防法や、有名女優さんのエッセイなどか掲載されていたりして、職員の間でも、よく読まれていた。
その中に『文芸のページ』があって、毎月、詩を募集していた。省内機関誌ではあったが、入選している作品は読者の心にもしっかりと届く、ディテールの凝った、レベルの高い作品が多かった。選者は、朝日新聞社の記者出身の詩人で、菊池貞三だった。
当然、出たがりのぼくも、参戦することになった。
大賞を受賞する前年は「ゼロが飛んだ、夏」。という作品一作で佳作だった。
年が変わって「寂光」「きみがいない」(詩集未収録作)「鉄の墓標」「魔法くんを知りませんか」の4作が1席で入選し、その年の郵政文芸賞の詩部門の大賞に選ばれた。
その年、内閣改造があって、野田聖子氏が初入閣で郵政大臣の職に就いていた。
大臣表彰があるということで、野田聖子郵政大臣より、賞状をもらった。
それが、どうした?という話なのだが、将来の有力な総理候補との「接点」が、かつてあったんだと、自分なりに、ある種の感慨にふけっている。郵政民営化法案にも、政治生命を賭して反対してくれたし、そのせいで自民党を離党したが、復党し、今回の内閣改造では総務(旧郵政省・旧自治省)大臣に返り咲いた。
さて、肝心の作品である。受賞の決め手となったのが「魔法くんを知りませんか」だったという。
魔法くんを知りませんか
だれか 魔法くんを知りませんか
近所の砂山で遊んでいる時
「オシッコしてくる」といったきり
消えてしまった男の子です
あれは 妙に風のない日でした
怪獣の絵のTシャツを着ています
右手に大きなホクロのある男の子です
あれから 長い月日が流れました
最近 ぼくは夢を見るのです
おもちゃのバケツと
スコップを持ったまま
いつまでも さびしそうに
つっ立っている魔法くんの姿を
あれは 妙に風のない日でした
だれか 魔法くんを知りませんか
のちに詩人の安宅夏夫は「魔法くん」というのは、ちょっと漫画的すぎて、「正夫くん」とか「健一くん」にしたほうが良かったのではないかと、評したが、ぼくは「魔法くん」であることを譲れなかった。この詩は「ぼく」という「少年」の感情と視点で書いているからだ。
選者の菊池貞三は次のように、この作品を評している。
「神隠しにでもあったような、ある日突然の男の子の失踪。童話のような単純な明るさの中に、奇妙な『怖さ』がある。理由づけも意味づけもいらない。この〈不在〉のイメージの怖さに詩の味わいがある」。(「郵政」1998年12月号より転載)。
■
「悪魔の復職阻害プログラム!」
今頃になって、このような重大問題が表面化してきたことに、驚きを禁じえない。
ずっと、昔からあったのに。とはいえ、まあ、一部の弁護士でも悪名高い就業
支援委員会の闇の部分に一石を投じてくれたことは、有意義なことである。現在、係争中の労働裁判の判決にも影響を与えるだろうし、労働者にとっては、朗報といえる。何しろ、問題は、復職できる労働者をクビに追い込もうという死活問題に関わる、重大
なものだからね。
会社は、休職者、ことメンタルヘルス罹患社員に対しては、不当に牙を向
けてくる。
会社と産業医が結託して、復職しようという社員に対し、休職満了日まで
「就労不可」の「診断」を連発し、退職へと追い込むのがやつらの常套手段。
ブラック企業の実態!クソヤブ産業医の錬金術!これって、りっぱな犯罪
だもんな。
ぼくなら、会社関係者もヤブ産業医も、豚箱にぶち込んでやる!!!!!
莫大な慰謝料を支払わせてやる!!!!!!
長い会社人生、だれだって、身も心も休めなくてはならないときがある。
自分は大丈夫と思っていても、愛する者の喪失がきっかけでうつ病を発症
するかもしれないではないか。明日はわが身ということで、考えていただきたい。
以下は、弁護士ドットコムの記事。
『企業と組んで、不当な解雇に手を貸す「ブラック産業医」が問題になっ
ているとして、労働問題に取り組む弁護士らが4月13日、厚生労働省に申し
入れを行った。
50人以上の労働者がいる事業場は、産業医を選任しなくてはならない。産業
医の仕事の1つに、職場復帰の支援があるが、従業員の復職を認めず、休職期
間満了で退職に追い込む「クビ切りビジネス」に手を染める者もいるという。
●短時間の面接、主治医の意見聞かずに診断
神奈川県の団体職員だった女性Aさん(43)は、団体内のパワハラやいじめに
悩まされ、うつ病を発症。2014年5月に休職した。体調が回復したので、主治
医の診断書を添えて復職を申し出たが、団体は復職を認めなかった。産業医が
Aさんの復職を否とする意見書を出したからだ。Aさんは2015年6月、休職期間
満了で退職扱いされた。
この産業医はAさんと30分の面談を1回しただけ。主治医への問い合わせは一度
もなく、心理検査もしないで、「統合失調症」「混合性人格障害」など、Aさん
がこれまで一度も受けたことのない病名をつけたという。
この産業医から同じような形で、復帰を阻まれ、退職を余儀なくされた人たちは
Aさんも含め、少なくとも3人。うち1人は別の企業の社員だった。3人はいずれも
現在、裁判で退職無効を訴えている。
●「お金を出してくれる企業に迎合せず診断できるのか?」
「この産業医は精神科の臨床経験がない、内科の専門医です。にもかかわらず、
主治医の話も聞かず、不合理な診断を下していました」。そう話すのは、Aさん
の代理人で今回の申し入れを行った、北神英典弁護士。北神弁護士によると、医
師であれば専門にかかわらず、50時間程度の講習を受けるだけで、産業医の認定
を受けられるという。
「産業医は10社、20社と掛け持ちすれば、高額な報酬を受けることができます。
お金を出してくれる企業に迎合せず、診断を出すことができるのでしょうか。現
状は、本人の良心に委ねられているだけで、産業医の中立性、専門性を担保する
制度が存在しません」(北神弁護士)
そこで北神弁護士らが求めたのは、次の3点。
(1)復職の可否について、産業医と主治医の判断が異なる場合、産業医が主治医
に十分な意見聴取を行うことを法令で義務化すること、(2)法令による産業医に
対する懲戒制度の創設、(3)メンタルが原因による休職の場合、精神科専門医で
ない産業医が復職の可否を判断できないようにすること。
「従業員が裁判を起こして引っ繰り返すことはできるかもしれないが、時間もお金
もかかる。本人のメンタルも参ってしまう。きっちりとした制度を作ってほしい」
(北神弁護士)』
弁護士ドットコムニュース編集部記事より転載
■
消息筋の有力情報として、中島みゆきのコンサートが今年も開催されないことが判明した。11月に「夜会工場Vol.2」が開催される予定だからだ。まず、「夜会」というのは中島みゆきが1989年に「言葉の実験劇場」として、歌と芝居の融合を目指した舞台で、初期の頃は、彼女の既成の持ち歌で構成されていたが、途中から、すべて、自身が「夜会」のために楽曲を書き下ろしている。だから「夜会」のテーマ曲である『二隻の舟』以外、ヒット曲も話題曲もいっさい歌われない。いくら、「ファイト!」「地上の星」「時代」などを待っていても、知らない曲が歌われるばかり。もちろん、そのなかに、名曲も多い。そして『夜会工場』は過去の舞台の名シーンを再演したもの。Vol.5までの「夜会」が再演されれば、彼女のヒット曲も聴けるはずだ。
まあ、ぼくは、お芝居している中島みゆきよりも、客席に向ってメッセージを送ってくれる中島みゆきのほうが、数倍好きだから、「夜会」は見送るけどね。しかし、みゆき姐さんも、御年65歳。あと、何回、コンサートツアーあるのかなあ・・・・・。
あと、何回、あのド迫力のある彼女の生歌を聴けるのだろう・・・・・・。
■
これから、ぼくが書こうとしている思い出話は、ちょっと、ややこしいかもしれない。
TVドラマ「カルテット」大感動の最終回から10日あまり。「カルテット」ロスから立ち直れないでいるのは、ぼくだけではないだろう。で、他の坂元裕二脚本作品を動画サイトで探してみて「Mother」を一気に観てしまった。「Mother」は2010年4~6月に放映されたようだ。ぼくは、ちょうど母の看護中で、毎日が緊張と不安感の連続でTVを楽しむ余裕などなかった。主演は松雪泰子で「母性」をテーマに描かれたドラマだった。そして、画面に、どこか見覚えのある女優さんの姿を見つけて、はっとした。
酒井若菜・・・・・。たしかにそうだ、酒井若菜さんに間違いない。調べてみると、結構、いろんなドラマにでている。しかし、主役を張るというよりも脇を固めるという役どころが多いようだ。
2005年頃だと思うが、NHKで「もっと恋セヨ乙女」というドラマがあって、劇中で使う「詩」を募集していたのだ。主演の3人の女優さんに、その詩を選んでもらうという試みだった。真中瞳さん、佐藤藍子さん、そして、酒井若菜さん。ぼくは、「プライド」という短詩を応募した。その詩を選んでくれたのが酒井若菜さんだった。もちろん、ぼくひとりだけの詩ではなく、数名、選ばれている。でも、ぼくには事件と称するに充分なできごとだった。プロの詩人がぼくの詩を選ぶのは、敢えていえば必然的だ。しかし、ひとりの女優さんに選んでもらったことに、その数倍の価値はある。
あの頃のピュアな気持ちに今なら、戻れそうな気がする。