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父と母のお墓は、隣県のメモリアルパークといった趣の、山を削った広大な敷地にある。緑が豊かで、静かで、父も母もゆっくりと眠れると思った。父が亡くなってから平成2年に建立したもので、約30年間、高速を飛ばして、毎年、お参りは欠かしていない。街の主要駅からもシャトルバスが出ているが、これだと限られた時間しか現地にいられなくて、時間のほとんどを移動のために使ってしまう。順番通りだとすると、ぼくが逝き、妻が逝き・・・・・・いつの時代まで、お墓を参ってくれる人が続いてくれるのだろうか。

昨年、義母が亡くなった。先日、大雨の中、街の中の寺を下見に行った。今年9月の納骨を決めてきた。市内だから、いつでも地下鉄で行けるからと妻は話すが、それでも、いつかは途切れる日が来るかもしれない。

でも、山の中にしろ、街の中にしろ、それはそれで、いいではないか。

手を合わすという気持ちは、けっして強要されるものではないし、むしろ、そういう気持ちがあれば、現地に行けずとも、心の中で想ってくれるものだろうから。

特にこれからの時代、お葬式も、埋葬方法も多様性を帯びてくることは間違いない。

そういえば、高校の時に付き合っていたあのひとは、いつも、月を見ていたなあ。

 

    

   月 葬

 

どなたか

わたしの骨を

月に撒いてくださいな

 

あなたが

この世に在ったから

こんなわたしでも

生きることが

できたけど

 

つらいことばかりの

この地球(ほし)の

土には

還りたくないから

 

どなたか

わたしを 月に

眠らせてくださいな

 

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あるとき、精神科医に「こころのありかは?」と尋ねると、その女性医師は「脳」だと答えた。それは、脳そのもののことだと。

たしかに、抗うつ薬精神安定剤などを服用すると、脳のさまざまな物質に働きかけて、症状が改善するのも事実だ。

しかし、脳みそが、恋をするのか、文学を書くのか、音楽を生み出すのか?

もちろん、ぼくは、「信じられない」と答えた。

女性医師は「気持ちは分かるけど、それが事実」と言ってのけた。

悔しくなって、悲しさも相まって、では「いのちはどこにあるのか?」と詰め寄ると、さすがに精神科医は「心臓」とは答えなかった。

5分以上沈黙したけど、女性医師は答えられなかった。

いのちを救うのも医者の仕事、いのちと対峙するのは文学の役割、いのちそのものを自分なりに悟りたいなら、それは宗教の領域だ。

そういう、答えのない問答がしばらく続いて「とにかく、あなたは文学をやっていきなさい」という女性医師の言葉で、曖昧に、尻切れトンボの状態で、時間切れとなった。

つい、この間のメンタルクリニックの受診日での出来事だ。

 

「いのちか・・・・・」ぼくは今、10回ほど独り言のように呟いた。 

終わることのない怖さも、どこかで感じ取ってはいるけれど。

 

    命のかたち

 

ぼくという

人間の時間が

終わりを告げて

 

その先 何に

生まれ変わっても

ぼくは ぼくで

ありますように

 

魚になっても

星になっても

草花になっても

風になっても

 

命のかたちが

何度変わっても

どうか

ぼくは ぼくで

ありつづけますように

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気分転換に、映画を観に行ってきた。

キャラメルポップコーンを頬張りながら、映画を観るというのは、最高に贅沢な時間だ。ぼくにとっては。

さて、何を観ようか?

さすがに令和の時代に入って「貞子」はないだろうと思った。

で、選んだのは「コンフィデンスマンJP」。

去年の今頃、フジテレビの月9ドラマとして放映されていて、古沢良太

脚本がよく出来ていて、ファンになった。

人気ドラマの映画化というのには、ほんとうに、いつもガッカリさせられるが、とてつもなく痛快な映画だったということだけはご報告しておく。

「コンフィデンス」というのは「信用」などの意味で、そこに「マン」がつくと

一転して「詐欺師」という意味になる。「JP」は日本版。

長澤まさみ扮する主人公の天才的詐欺師・ダー子を中心に、壮大な欺し欺されの物語が

展開する。果たして、最後に笑うのは誰か。チラッと「ルパン三世」を彷彿させるが

ダー子一味も、悪党の金持ちしか狙わない。

後付けになるが、この映画のダー子ってキャラは、長澤まさみしか演じられないだろうと思えてしまう。観て損はない映画。

ああ、これで、頭がスッキリしたあ!!!!!

 

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最近、詩の発表が続いている。

しかし、ネタ切れしたわけではないのご安心を。むしろ、書きたいことは、いっぱいあって、頭の中で整理するのに困っている。

現時点では、ありがたくも、詩の発表のリクエストが思いの外多くあって、それならば拙作を書かせていただこうという気持ちで、そちらを優先している。

ところで、ぼくの詩には、父がよく登場する。零戦パイロットとして、密林のジャングル・スナイパーとして、一杯飲み屋の酒臭い赤ら顔のおやじとして、競馬に自分の人生を重ね合わせる人生敗北寸前の男として・・・・・・・。とにかく、よくでてくる。

以前にも書いたが、父とは、この世では26年間の付き合いだった。

それが長いか短いかは分からないが、父の生き様は、実に多くの創作のタネを残してくれた。

毎日、酔っ払って帰ってくる。給料を落として帰ってくる。職を転々と変えていく。

それでも、愛すべき父だった。散髪代をごまかして、怪獣映画を観せてくれた。

酒臭い息を吐きながら、競馬場こそは人生の縮図だ、と小学生のぼくに言ってのけた。  

まあ、エピソードをひとつひとつ挙げていくとキリがない。

そういう父への、甘酸っぱい郷愁感が、今なお残っている。

 

 

        真夜中のノック

 

 

かつて 一度だけ

死んだ親父が ぼくを

訪ねてきてくれたことがある

 

眠れない夜 暗闇に”コンコン!”と

ノックの音がして 目をこらしてみると

親父がポツンと 宙に浮いていた

 

「ハイライトが 切れてしまった」と

ぼくに 訴えたあと

暗闇に まぎれてしまった

 

ほんの一瞬の再会だった

 

今でも 眠れない夜

息をひそめていると

それが 窓をたたく風の音だと

わかっていても 親父が

また 訪ねてきてくれたのかと

切なさが 胸にこみあげてくる

 

       

 

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最近、連日のように、痛ましい交通事故のニュースが流れている。

その犠牲者のほとんどが、何の罪もない幼いこどもたちだったりする。

不意に摘み取られてしまう、天使のようないのち。

ごめんね。

ぼくが、できることは、細々と詩を書き続けることだけ。

無力感にからだが震える。

 

 

      花が枯れている

 

花が枯れている

 

交差点角の

大きく 窪んだ

ガードレールの下

 

みっつの女の子だったと

きいている

 

母親の帰りを待って

無邪気に

三輪車で

遊んでいたと

 

くまのぬいぐるみと

スナック菓子が

供えてあって

 

でも

花が枯れている

 

かたわらを

女子高生たちが

にぎやかに

通り過ぎる

 

その明るく

透きとおった

笑い声は

遠い 蒼空に

こだまする

 

 

    

 

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ちょっとメルヘンチック過ぎたかな?

でも、いいじゃない、令和だもの。

 

    五月

 

日も暮れて

風も止んだ

 

泳ぎ疲れた

こいのぼりたち

 

今すぐ  

解き放ってあげるから

 

さあ

帰っておいき

 

この星空へでも

 

どこへでも

 

 

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どんなものにだって、寿命はある。

とりわけ、人間の寿命なんて、100年あったとしても、宇宙の時の流れからすれば、瞬間にさえならないだろう。

しかし、だからといって、おろそかにはしない。

愛しすぎて、哀しすぎて、愚かだけど、やっぱり愛しい。

ぼくらは、しがみついている。

人間である、この日この時に。

 

 

      人間の時

 

人間の時を終えて

一匹の灰色の蛾に

生まれ変わった

夢を見た

 

だが 運悪く

張り巡らされた

蜘蛛の巣にひっかかり

縞模様の大きな蜘蛛に

息の根を止められた

 

妙に現実感のある夢で

全身に冷や汗を いっぱい

かいてしまった

 

その朝 女ともだちに

大真面目に

夢の出来事を話すと

「おもしろい人ね」

といって

髪をゆらして笑った

 

その美しい横顔を

見つめていると

不思議な安堵感に

ぼくは 包まれて

今 人間の時を

しみじみと かみしめている