f:id:tigerace1943:20190702075222j:plain

父と母のお墓は、隣県のメモリアルパークといった趣の、山を削った広大な敷地にある。緑が豊かで、静かで、父も母もゆっくりと眠れると思った。父が亡くなってから平成2年に建立したもので、約30年間、高速を飛ばして、毎年、お参りは欠かしていない。街の主要駅からもシャトルバスが出ているが、これだと限られた時間しか現地にいられなくて、時間のほとんどを移動のために使ってしまう。順番通りだとすると、ぼくが逝き、妻が逝き・・・・・・いつの時代まで、お墓を参ってくれる人が続いてくれるのだろうか。

昨年、義母が亡くなった。先日、大雨の中、街の中の寺を下見に行った。今年9月の納骨を決めてきた。市内だから、いつでも地下鉄で行けるからと妻は話すが、それでも、いつかは途切れる日が来るかもしれない。

でも、山の中にしろ、街の中にしろ、それはそれで、いいではないか。

手を合わすという気持ちは、けっして強要されるものではないし、むしろ、そういう気持ちがあれば、現地に行けずとも、心の中で想ってくれるものだろうから。

特にこれからの時代、お葬式も、埋葬方法も多様性を帯びてくることは間違いない。

そういえば、高校の時に付き合っていたあのひとは、いつも、月を見ていたなあ。

 

    

   月 葬

 

どなたか

わたしの骨を

月に撒いてくださいな

 

あなたが

この世に在ったから

こんなわたしでも

生きることが

できたけど

 

つらいことばかりの

この地球(ほし)の

土には

還りたくないから

 

どなたか

わたしを 月に

眠らせてくださいな