ブリキの怪獣
今でもブリキの怪獣は 電池さえ入れ替えれば ちゃんと動くのだ こどもの時 百貨店で ごねまくって 泣き叫んで安月給の 父に買ってもらった 銭湯が十五円の時代 二千円の買い物は 痛手だっただろう ブリキの怪獣は 亡き父への郷愁を 代弁するように切ない 雄叫びをあげている |
今朝の産経新聞「朝の詩」(新川和江・選)に掲載された。
また、レトロな詩を書いちゃった!
今の若い子が、どのような言葉を使うのか、好むのとかは、結構、研究しているつもり。
ただ、寄り添うことはあっても、媚びることはない。
分からないなら、分からないでいいし、知らないなら、知らないでいい。
かといって、じじばば狙いで書くということもない。
ただ、自分が書きたいと思ったものを書いている。
無論、新聞なので、使えない言葉も、書けない事案もいっぱいある。
父とは、この世で、たった26年間の付き合いだったことに、今更ながら、驚きを禁じ得ない。
父には、零戦のパイロットや幽霊となって、酒飲みの赤ら顔の親父、あるいはサイパンで戦った兵士として、ぼくの作品によく登場してもらった。もちろん、ぼくが、そういう父親のキャラを作り上げるのだが、よく当たった。
しかし、この「ブリキの怪獣」の父親は実像に近い。
競馬場帰りに、阪神百貨店に寄る。馬券が当たれば、大食堂でご馳走してくれたし、ちょっとしたおもちゃは買ってくれた。
あるとき、おもちゃ売り場にブルマァクというメーカーからブリキ製のリモコンでのしのしと歩く怪獣が販売された。バラゴンもあったのだけれど、ゴジラがほしくてたまらなかった。
下世話な話だけど、状態が良ければ、マニアや業者の間では50万円以上で取引されている。
さて、先ほど「父親のキャラを作り上げた」と、さも自分の創造力の手柄のように書いたけれど、それは、違う。父親自体が、常にそのようなものを、醸し出してくれていたからだ。なんの取り柄もなさそうな息子にと父親が、ぼくに、与えてくれていたのだ。