あるとき、精神科医に「こころのありかは?」と尋ねると、その女性医師は「脳」だと答えた。それは、脳そのもののことだと。
たしかに、抗うつ薬、精神安定剤などを服用すると、脳のさまざまな物質に働きかけて、症状が改善するのも事実だ。
しかし、脳みそが、恋をするのか、文学を書くのか、音楽を生み出すのか?
もちろん、ぼくは、「信じられない」と答えた。
女性医師は「気持ちは分かるけど、それが事実」と言ってのけた。
悔しくなって、悲しさも相まって、では「いのちはどこにあるのか?」と詰め寄ると、さすがに精神科医は「心臓」とは答えなかった。
5分以上沈黙したけど、女性医師は答えられなかった。
いのちを救うのも医者の仕事、いのちと対峙するのは文学の役割、いのちそのものを自分なりに悟りたいなら、それは宗教の領域だ。
そういう、答えのない問答がしばらく続いて「とにかく、あなたは文学をやっていきなさい」という女性医師の言葉で、曖昧に、尻切れトンボの状態で、時間切れとなった。
つい、この間のメンタルクリニックの受診日での出来事だ。
「いのちか・・・・・」ぼくは今、10回ほど独り言のように呟いた。
終わることのない怖さも、どこかで感じ取ってはいるけれど。
命のかたち
ぼくという
人間の時間が
終わりを告げて
その先 何に
生まれ変わっても
ぼくは ぼくで
ありますように
魚になっても
星になっても
草花になっても
風になっても
命のかたちが
何度変わっても
どうか
ぼくは ぼくで
ありつづけますように