12月7日、大阪は朝から土砂降りの雨に見舞われていた。その日は、松山千春の2年ぶりのコンサート。しかし、この雨では、最寄りの地下鉄の駅まで歩くのも難儀を要するような状況。で、めったにないことだが、愛車のN-BOXで会場に向かった。
大きな駐車場のある会場で良かった。
グランキューブ大阪。副反応にやられた「モデルナの夏」(自衛隊:新型コロナワクチン大規模接種会場)を想起させたが、きょうは、千春に会える、歌が聴けると思えば、なんだか、胸がワクワクしてきた。
会場内は、ぽつんぽつんと空席が目立つ。千春の公演だったら満席が普通だ。
思えば、新型コロナ感染対策でコンサートなどのイベントはキャパの65%しか入れないのだ。
17時30分。すこし、早めの開演。
場内が真っ暗になって、ステージだけが輝きをみせている。
乗りのいいリズムとともに、千春が登場する。アルバム『男達の歌』の中から「DON DON」というテンポのいい曲で、のっけから盛り上がる。
千春が帰ってきた。歌唱力は健在だし、MCはむしろ、パワーアップしている。
千春のかたわらに一枝の真っ赤な薔薇。これは、STVラジオの武田健二ディレクターの分身。コンクールで下手なギターで「旅立ち」を歌った千春の才能を見出し、育てた人だ。武田は退職金を前借りしてでも、千春を育てたいと会社側を説得したという。「松山千春プロジェクト」がはじまる。しかし、千春のプロデビューが決まり、初コンサートの早朝に武田は36歳の若さで急逝している。それで、千春はどのコンサートでも、かたわらに、真っ赤な薔薇を一枝飾るようになった。
今回のコンサートは新型コロナ感染対策として「換気休憩」が入るため、二部構成になっている。
第一部は「銀の雨」「かざぐるま」「もう一度」「写真」などヒット曲を中心に。
第二部は「大空と大地の中で」から。
あとは、新しいアルバムの中からの曲や、まったく、知らない曲。ごめん!
だけど、MCは重かった。千春の言葉には力がある。
千春が貧困家庭に育ったこと、日銭を稼ぐのに必死だったことは、若き日のコンサートでも、自らが告白してきたことだ。5人家族で、家は狭く、隙間だらけで、雪が入ってうっすら積もることもあったという。
父親は、とかち新聞というローカル紙を3ヶ月に一度くらいの頻度で議会の報告や糾弾したりローカルニュースを載せて発行していた。もちろん、お金にはならなかったが、家族は、そんな父親を尊敬していたという。1995年他界。
姉は1998年43歳で舌癌のため他界。
母親は40代の前半で、リヤカーに千春を乗せて、町外れのゴミ捨て場にまだ使えそうな椅子とか電球とか、売れそうなものを探し回ったという。
若き日のコンサート「限りある命」では「俺の遊び場はゴミ捨て場だった」と告白している。とにかく、日銭が必要だった。玉子売りもしたという。玉子1個売って1円手に入るという。
母親は認知症療養中に今年99歳で他界。
弟は北海道を嫌い、家族づきあいもなかったと言うが、母親が亡くなったとき東京にいて、千春に電話で「俺、通夜も葬式も、そちらには帰れんと思うわ」と力なく言ったという。
その弟はこの9月61歳で全身癌のため他界。
千春はひとりになった。
千春は「いくら貧乏でも、家が狭くても、5人が良かったんだ」「5人いれば、なんでも乗り越えられた」「5人が良かった」と繰り返し繰り返しMCで語った。
これは、いくらかの演出があったとしても、胸に深く刺さったなあ。
ぼくは、千春の楽曲の素晴らしさはキャニオンレコード、NEWSレコード時代、いわゆる起承転結の「起」「承」の時代に集約されていると思う。
ぼくは、むしろ「季節の中で」「長い夜」などの大ヒット曲よりも、千春の本質的な感性の素晴らしさはアルバムの中に、散りばめられていると思っている。
ぼくは、病気で精神が崩壊するかも知れないという恐怖と闘う日々、千春の歌に、ずいぶんと救われた。それは「がんばれ!」という励ましではなく、「共感、共鳴」だった。千春が歌う、静かな青春、命のはかなさは、ぼくの血となり精神を安定させた。
アンコールは「長い夜」「俺の人生(たび)」「車を止めて」そして「旅立ち」。
この2,30年、千春にヒット曲がない。等身大の人生観をばかり、歌っているからではないかと、ぼくなどは思ってしまうのだが。本当のところはわからない。
でも、ぼくは、いつまでも松山千春のファンであることは、間違いない。
けっして。