アカデミー国際長編映画に日本映画の「ドライブ・マイ・カ-」(濱口竜介監督)が選出された。  

以前は「アカデミー外国語映画賞」と呼ばれていた。

つまり、英語圏以外の世界中の映画から選ばれる。

日本作品では、2008年の『おくりびと』(滝田洋二郎監督)が受賞している。

1975年には日本人監督である黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』が受賞しているが、本作はソビエト連邦作品である。

長きにわたるアカデミー賞の歴史の中で、アカデミー外国語映画賞を獲得した、ぼく自身が忘れられない映画を3作品紹介させていただく。

あらすじについては、正確さを期すため、一部映画資料から抜粋しているものもあるが、ご了解願いたい。

フェリーニの道」

フェデリコ・フェリーニ監督作品(1956年度・イタリア)

自他共に認めるフェリーニの代表作。

風景がわびしく、ニーノ・ロータの音楽が切ない。

映画 『道』 (1954年)ー フェデリコ・フェリーニ監督の人気作 ...

 

旅芸人のザンパノ(アンソニー・クィーン)は体に巻いた鉄の鎖を切る大道芸を売り物にしていたが、芸のアシスタントだった女が死んでしまったため、女の故郷へ向かい、女の妹で、頭は弱いが心の素直なジェルソミーナをタダ同然で買い取る。ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)はザンパノとともにオート三輪で旅をするうち、芸を仕込まれ、女道化師となるが、言動が粗野で、ときに暴力を振るうザンパノに嫌気が差し、彼のもとを飛び出す。

映画 『道』 | 日常性の地平

あてもなく歩いた末にたどり着いた街で、ジェルソミーナは陽気な綱渡り芸人・通称「イル・マット」の芸を目撃する。追いついたザンパノはジェルソミーナを連れ戻し、あるサーカス団に合流する。そこにはイル・マットがいた。イル・マットとザンパノは旧知であるうえ、何らかの理由(作中では明示されない)で険悪な仲だった。イル・マットはザンパノの出演中に客席から冗談を言って彼の邪魔をする一方で、ジェルソミーナにラッパを教える。

フェリーニ名作『道』、世界初Blu-ray化 2枚目の写真・画像 ...

ある日、イル・マットのからかいに我慢の限界を超えたザンパノは、ナイフを持って彼を追いかけ、駆け付けた警察に逮捕される。この事件のためサーカス団は街を立ち去らねばならなくなり、責任を問われたイル・マットとザンパノはサーカス団を解雇される。ジェルソミーナはサーカス団の団長に、同行するよう誘われるが、自分が足手まといになると感じた彼女は街に残ることを選ぶ。それを知ったイル・マットは、「世の中のすべては何かの役に立っている。それは神さまだけがご存知だ。ジェルソミーナもザンパノの役に立っているからこそ連れ戻されたんだ」と告げ、ザンパノのオート三輪を駆って、彼が留置されている警察署へジェルソミーナを送り届け、立ち去る。釈放されたザンパノは、イル・マットが勝手にオート三輪を使ったことをさとり、渋い表情を見せる。

映画の感想文 [406] 道: ハムイチの棲み家

ジェルソミーナとザンパノは再び2人だけで大道芸を披露する日々を送る。ある日ザンパノは、路上で自動車を修理するイル・マットを見かけ、彼を殴り飛ばす。自動車の車体に頭をぶつけたイル・マットは、打ち所が悪く、そのまま死んでしまう。ザンパノは自動車事故に見せかけるため、イル・マットの自動車を崖下に突き落とし、ジェルソミーナを連れてその場を去る。それ以降、ジェルソミーナは虚脱したまま何もできなくなり、大道芸のアシスタントとして役に立たなくなる。ザンパノはある日、居眠りするジェルソミーナを置き去りにする。

No.054 コミュニケーションの不可能性と距離の映画学―フェデリコ ...

数年後。ある海辺の町で鎖の芸を披露するザンパノだったが、年老いた彼の芸はかつての精彩を欠いていた。ザンパノはそこで、地元の娘が耳慣れた歌を口ずさんでいるのを聞く。それはかつてジェルソミーナがラッパで吹いていた曲であった。ザンパノはその娘から、ジェルソミーナと思われる女がこの町に来て、娘の家にかくまわれ、やがて死んだことを聞き出す。いたたまれなくなったザンパノは酒場で痛飲し、大暴れしたあげく、町をさまよう。海岸にたどり着いたザンパノは、砂浜に倒れ込み、嗚咽を漏らした。忘れられないラストシーンだなあ。

 

 

「映画に愛をこめて アメリカの夜

フランソワ・トリュフォー監督作品(1973年度・フランス、イタリア合作)

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アメリカの夜」とは業界用語で、夜間のシーンを、昼間に撮影する技法のこと。

この映画は「映画撮影風景」を映画にしている「映画内映画」。

イデアの勝利でもある。

あなたの「映画愛」を感じるよ、トリュフォー

トリュフォー自身が監督役で熱演しているのも見物である(写真・上)。

それと、大量の泡を使って、雪の街を作り上げていく映画製作マジックには驚いた。

 

ニースにあるオープンセットでは『パメラを紹介します』という映画の撮影が大詰めを迎えている。

エキストラを大勢使った場面では、アルフォンス(ジャン=ピエール・レオ)という若い男優とアレクサンドル(ジャン=ピエール・オーモン)というベテラン男優がフェラン監督(フランソワ・トリュフォー)の指示の下、何度もリハーサルを繰り返している。

岡村洋一の写真日記:アメリカの夜

 

フェラン監督は左耳が難聴で、いつも補聴器をつけている。監督の仕事は忙しく、各部門のスタッフからの質問や確認を手早く片付けていく必要があったからだ。

映画撮影では色々と大変な事が勃発するが、最も厄介なのは俳優のトラブルだ。

アレクサンドルと親しかったセブリーヌ(ヴァレンティナ・コルテーゼ)というイタリア人女優がキャスティングされているが、彼女はアル中で物忘れがひどく、セットの見えない所にセリフを貼っておかないと演技もできない。段取りも何度も間違えるために撮影に手間がかかり、フェラン監督を悩ませる。

ニューヨーク徒然日記 映画に愛をこめて アメリカの夜 ...

 

監督はそのせいか、撮影中はよく悪夢を見る。それはローティーンの少年が映画館から『市民ケーン』のスチール写真を盗む、というものだった。

年若いアルフォンスはさらに厄介だった。撮影中は長期間に渡って同じホテルに泊まり込むため、彼は交際中の女性リリアンを連れてきていた。しかも監督に無理を言ってスプリクトガールの職も与えてもらう始末。

映画に愛をこめて アメリカの夜(映画) - ブログ de ビュー

 

しかし嫉妬深く子供のようなアルフォンスに飽き足りないリリアンは、撮影に参加したスタントマンと駆け落ちしてしまう。アルフォンスは大きなショックを受け、自分の出演する場面の撮影もできず、自室に閉じこもる。

そんな困難な状況を救ったのは、ハリウッドから呼ばれてきたスター女優のジュリー(ジャクリーン・ビセット)だった。リアルタイムで観れなかったが、ジャクリーン・ビセットは光ってる。

映画に愛をこめて アメリカの夜 de François Truffaut (1973 ...

 

ブリキの太鼓

フォルカー・シュレンドルフ監督作品(1979年・西ドイツ)

ブリキの太鼓 | スターチャンネルEX

ちょっと、不思議な映画。不条理というか、何というか。

アイロニーを含んだ、時代背景、社会風刺が、スパイシーに効いている。

製作国が西ドイツというのも興味深い

ブリキの太鼓(洋画 / 1979) - 動画配信 | U-NEXT 31日間無料 ...

精神病院の住人である30歳のオスカル・マツェラートが看護人相手に自らの半生を語るという形で物語は進行していく。体は幼児で、精神年齢は成人のオスカルは、冷めた視点で世の中を見つめ、その悪魔的所業で、自分を愛してくれている周囲の人間を次々に死に追いやる良心を持たない人間として描写されているが、最終的に自分を保護してくれる人間がいなくなったことに気が付き愕然とすることになる。

好きな映画『ブリキの太鼓』 - その辺の趣味ブログ

オスカルは誕生時に既に知能は成人並みに発達をとげ、かつ自分の成長を自身の意思でコントロールする能力を備えていた。物語は1899年のジャガイモ畑における祖母の妊娠に始まり、1924年のオスカル誕生に至る。オスカルは自分が成長することを恐れていたが、父親であるアルフレートが彼が3歳になった時、ブリキの太鼓を買い与えるとの言葉を聞き、3歳までは成長することにした。3歳の時、父親が地下室に降りる床の扉を閉め忘れたことを勿怪の幸いに、故意に地下に転落し、大人たちにそれが原因で成長が止まったと信じ込ませることにした。オスカルの母親であるアグネスは何かというとこのことで夫であるアルフレートの不注意を責め、それにより夫婦間に亀裂が生じるようになる。オスカルは声帯から発する超音波でガラスを破壊する能力を身につけ、様々な問題を起こしていく。息子の奇行に悩み、その将来を慮ったアグネスは、精神を病み、過食症となり、自ら命を絶つ。

3歳で成長を止めた子供が見る大人世界・・・『ブリキの太鼓』の ...

局外者であるオスカルの眼を通し、ナチ党政権前後におけるダンツィヒ自由市の小市民的心性、戦前・戦中・戦後の遍歴などを描く。

ウクライナ戦争の孤児の子供たちを助ける | 退会済み | Airfunding

          

       戦火の中の少女のために  ウクライナの国旗 | 意味やイラストのフリー素材など – 世界の ...

                                 

 

 

戦火の中の少女に

わたしの書いた詩など

なにほどの

価値も持たない

 

少女の瞳は

訴え

 

そんなものよりも

パンをください

薬をください

銃をくださいと

 

少女のために

わたしが

全知全能を傾けて

幾千の平和の詩を

綴っても

 

たったひときれの

パンのありがたさには

かなわない

 

 

ウクライナ女性兵士がかわいいと話題に。美人コンテストが楽し ...

この詩は2009年に発刊された第3詩集「蝉の啼く木」に収録(一部改稿)されているので、今回のプーチンが引き起こしたウクライナへの戦争犯罪に、書いたものではない。が、思いは同じである。

その頃は、チェチェンか、コソボか、イラクか、ソマリアか、アフガニスタンか、シリアか・・・・・・戦争と呼べなくとも、紛争は、世界のどこかで日常茶飯事的に起こっていて、依頼があって書いたものだと思う。

ロシア軍攻撃で子ども78人死亡、ウクライナ側が発表 ロシアは ...

しかし、遠く東アジアにいて、ロシアの戦車一台に、たった1個の石ころを投げつけられないのなら、こんな詩でも発表して、心を同じくしてウクライナのために祈ろうではないか。

今後、信じられないほど物価が上がったりする。日本を含む西側諸国がロシアに課した、強力な経済制裁のブーメラン効果で、我々一般国民もしっぺ返しが来る覚悟が必要だが、ウクライナの人々のことを考えると、空から爆弾が降ってこないだけましではないか。

ウクライナの子ども死者100人突破 ロシア軍、患者ら400人を人質 ...

今回の戦争で、世界の動きをつぶさに観察している国がある。中国。クマのプーさん、いや、習近平である。台湾の乗っ取りを虎視眈々と狙ってる独裁者である。軍事侵攻すれば、こんなにも大きな代償を払うことになるのか、驚きを隠せないだろう。台湾有事は、すなわち、日本有事だということである。日本が率先して闘わなければ、同盟国のアメリカだって闘ってくれない。

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国際的に国防費、軍事費の増額が見込まれる。

日本に於いても、核の保有憲法9条改正の議論が高まるかも知れない。

「抑止力」としてなら、それが国を守る最善の道だ。

子どもや女性、老人など、社会的弱者が標的になるなんて、無差別攻撃を強行するなんて、人間の成せる業ではない。主権国家の大統領であろうが、プーチン戦争犯罪人として逮捕され、あわれな末路を辿っていくことを、ぼくは強く望む。独裁者の最期なんて、ゴミくずのようなものだ。

チモトのポルトガル ロシアの侵略戦争に物申す

ウクライナの子どもたちに、一日も早く笑顔が戻るように。

 

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ルキノ・ヴィスコンティ

貴族の家庭に生まれ、芸術的環境で育つ。パリに旅行した際に映画に興味を抱き、36年にココ・シャネルの紹介(!)でジャン・ルノワールと会う。彼の監督作品を手伝い、42年に「郵便配達は二度ベルを鳴らす」で長編監督デビューを果たす。レジスタンス活動のかどで逮捕されるが、連合軍のローマ解放とともに釈放。舞台“恐るべき子供たち”の演出が評判となり、舞台演出家としても名をはせていった。妥協を一切許さない荘厳な作風が特徴で、代表作に「夏の嵐」、「若者のすべて」、「地獄に堕ちた勇者ども」、「ベニスに死す」、「ルードウィヒ/神々の黄昏」、「家族の肖像」などがある。76年にローマで死亡。

 

「ベニスに死す」(1971年)

911年、老作曲家(トーマス・マンの原作では作家)のアシェンバッハ(ダーク・ボガード)は静養のためイタリアのベニスに訪れた。宿泊先のホテルで美の化身のような少年・タージオ(ビョルン・アンドレセン)を見かけ、一瞬で心を奪われる。恋に落ちるわけだ。思いを抑えきれないアシェンバッハだったが、その頃ベニスに疫病が蔓延しており、自らも罹患してしまう。砂浜パラソルの下のテーブル席から、ビーチで遊ぶ少年を見守りながら、落命する。美しすぎるラストシーンだ。

f:id:tigerace1943:20220310171541p:plainルキノ・ヴィスコンティの作品の神髄は「滅びの美学」である。

大人たちに性的に消費された“世界一美しい少年”~『ベニスに死す ...

      ヴィスコンティ監督に見初められた世界一の美少年)

 

「ルードヴィヒ~神々の黄昏~」(1972年)

1864年、バイエルン国王となった18歳のルードヴィヒ(ヘルムド・バーガー)は、オーストリアの皇帝の妃・エリザベートロミー・シュナイダー)に惹かれ、逢い引きを重ね、決まっていた婚約も破棄してしまう。また、ルードヴィヒは作曲家、リヒャルト・ワグナーのパトロンとなり、散財して破滅的な人生を送ってしまう。

画像163枚】ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画をおすすめ順に ...

ワンシーン、ワンシーンが濃厚な油絵のように荘厳で重い。

女優ロミー・シュナイダーが、ため息が出るほど、美しい。

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オリジナルは上映時間が4時間を超える。映画を観ても「謎」だけが残る。

本編の中でもルードヴィヒは自分自身が「謎」でありたい、というセリフがよく出てくる。

 

「家族の肖像」(1974年)

ローマ市の豪邸に住む教授(バート・ランカスター)は、「家族の肖像」と呼ばれる絵画のコレクションに囲まれて孤独だが、平穏に暮らしていた。ある時、コネを使ってビアンカが現れ、自分の娘や情婦たちと豪邸の2階に棲みついてしまう。この家族によって、平穏な教授の生活はかき乱されていく。

ヴィスコンティ自身を投影した作品とされている。

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いつしか、本当の家族のようになっていくが・・・。

映画「家族の肖像」--1970年代の耽美な貴族的階級社会の退廃と ...

結局のところ、教授は孤独に息を引き取る。

家族の肖像 - 映画情報 - ファッションプレス

ルキノ・ヴィスコンティは、ぼくが最も愛している映画監督である。

映画こそ「芸術」だと教えてくれる(これは、好みの問題だ)。

映画の制作年から、ぼくがヴィスコンティの映画と出会ったのは、リバイバル上映か、どこかの名画館だろうと思う。

映画は「娯楽」であって充分なのだが、ヴィスコンティの作品を観て「最高の芸術だよ、最上級文学だよ」って、ぼくの命のど真ん中に、突き刺さり、留まり続けた。今なおである。

3作しか紹介できなかったが、地獄に堕ちた勇者どもも大好きな作品。「ベニスに死す」「ルードヴィヒ~神々の黄昏~」と合わせてドイツ三部作と呼ばれている。

何とも舌っ足らずの解説や感想で申し訳なく思うが、ヴィスコンティの映画の前では、どんなに褒めちぎった言葉も、陳腐に見える。

ご自身の肌で感じていただきたい。

機会があれば、鑑賞していただきたい。

まあ、恋人同士で観る映画にしては、重すぎるけどね。相方の好みにもよるけどね。

 



クリップアート>春のイラスト素材(ひなまつり・ホワイトデー ...

気がつけば、早、弥生。

ロシアの、いや、プーチンウクライナ軍事侵攻のTVニュースに怒りながら、栄養ドリンクを飲んでいる自分が哀しい。

アメリカもEU諸国も、国連も無力だ。国連の安保理なんて、もっと無力だ。未だに第2次世界大戦の戦勝5大国で構成されていて、拒否権がある。バカじゃないのか。

新型コロナウィルスも、なんだか、ぼやけてきたなあ。3回目のワクチン接種はあしただけど。

 

       春のはじまりの日に

 

キスをしたんだ

春のはじまりの日に

 

ぼくは

まったくの

はじめてだったけれど

きみは たぶん

何度目かの

経験で

 

でも

その時

日差しは とても

やわらかで

風は ほんと

さわやかで

 

 

 

今では、赤面したくなるような稚拙な詩。

穴があったら、入りたい。

なければ、掘ってでも、入りたい。

もう、ほんとうに、詩を書き始めた頃の、幼い日の詩、といえば詩である。

でも、なんだかとても、好評で、その頃は、恋愛詩ばかり書いていた。

だが、少女漫画やシルエットロマンスのような恋愛は書かなかった。

たとえば、ぼくよりも、きみの方が背が高いとか、ぼくは、町工場で勤めて彼女は女子大生とか、「ぼく」にちょっとした「社会的な弱みや格差」を持たせた。

もちろん、実際には「弱みや格差」などではない。あくまで、一般論である。

それが、人気の秘密だと言ってくれたファンの人もいた。

今は、作品の中に社会、不条理、病、死生観を取り入れたものが多く、ご支持いただいているけれど、書き始めてから、忘れていないもの。

それは「抒情」の旗を振り続けること。

これは、故・やなせたかし氏との大切な約束だ。

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今朝も寒い。悪夢で、何度、目を醒ましたことだろう。依頼されている詩が、なかなか進まない。テレビをつけるとモーニングショーは例によって、オミクロン株の感染拡大を報じている。ぼくは、すこし、不快になる。

窓の外に目をやると、ちらほら雪が舞っている。

「♪雪ひとひらの冷たさに きみの手のひら思い出す 冷たいねっていうときみは こころが熱いからって笑ってた おんなの二十歳前後の移ろいは ぼくなどついて行けないほどのスピード きみがきれいになればなるほど ぼくは何だか寒かった 別れのベルを聴いていた♪・・・・・・・」(『雪ひとひらに』』作詞・中里綴:作曲・西岡たかし)。

ギターを手に取って、アルペジオで、弾き語る。まだまだ練習が必要だなあと反省することしきり。雪はやんでいた。

      request:3

 

         文鳥のコロスケ

 

                   コロスケが

                  死んだよ

 

               ピッピッと

                苦しそうに

                  二度鳴いて

              ちいさく

                はばたいて

 

            わたしが

             小学五年になった

          まだ 寒かった

                 春の一日に

 

            コロスケが

               死んじゃったよ

 

                かみさまが

            いねむりしている

              そのあいだに

 

 

          冬の星座

 

           ほら あれが

              オリオンでしょ

               左上に

           ベテルギウス

            そして シリウス

               プロキオン

 

        冬の星座を数える

              君の横顔が

            とても美しい

 

           ねえ君

         いつか僕が

           星になる日がきても

          凍える夜空に

           この僕を見つけてね

 

          君の好きな

           オリオンよりも

         きっと 早く

 

 

      米原あたりで

 

           夜になって

             大雪が降って

         米原あたりで

              列車は停まり

 

          背中をまるめて

               タバコを吸って

           君を想えば

            車窓のむこうで

 

          風と

              雪は

 

          星のように

           光のように

          愛のように

            かなしみのように

 

 

          あやふやな季節

 

            一生に一度の

             あやふやな季節

 

                   不安定に

                 心揺れる

            若さだけの季節

 

              ぼくは とある

                 恋愛事件の重大な

               容疑者でもあり

             被害者でもあったから

 

          青春の日の

                逮捕状に追われ

           同時に告訴状も

          握り締めている

 

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年末寒波の第一陣が列島に襲来した12月26日、大阪フェスティバルホール南こうせつのコンサートが開催された。また、オミクロン株の急速な感染拡大が報道されていたので、開催されるのか心配だったけれど、大阪は経済も回しながら、というwithコロナに舵を切っていたから、しっかりとした感染対策を取って開催された。

大阪フェスティバルホールは、やはり広い、大きい。1階は満席だが、2階、3階はかなりの空席。これも、65%の入場制限のせい。

いつもなら、開演のかなり前から、こうせつコールがはじまるが、手拍子だけでは物足りない。開演のベルが鳴って、こうせつの登場すると、パアーッと空気が明るくなる。

こうせつの周りには、いつも歌があり、ひとが集まってる。

歌は盛り上がるし、MCは笑わせる。優しい雰囲気が漂っている。こころが温まる。

「ぼくが、この歳まで、ステージに上がり続けていられるのは、この歌のおかげ」と言って神田川を、しっとりと歌う。

そして、この歌を作詞した喜多条忠(きたじょう・まこと)の突然の他界に触れ、彼との出会いを語り始めた。

喜多条はラジオ作家で、おおくの番組の台本を書いていた。デビューしたてのこうせつは彼の仕事ぶりを見て「書くの早いですね」と言って「ぼくにも何か一曲書いてくださいよ」と依頼したらしい。しかし喜多条は「ぼくは、自由詩は書いたことがあるが、作詞はしたことがないんだ」と断ったらしい。しかし、こうせつは諦めなかった。とにかく、ファーストアルバムを出すので一曲だけお願いしますと頭を下げ続けた。そして、送られてきた原稿が『マキシーのために』。かぐや姫ファンならだれもが知ってる人気曲だ。

喜多条の才能を見抜いていたこうせつはサードアルバムかぐや姫さあど」の中の1曲として、作詞を依頼した。喜多条「で、〆切りはいつ?」こうせつ「きょう」。

それでも、喜多条はこうせつの熱意に負けて、作詞して、電話で内容を伝えた。こうせつから30分後に電話が帰ってきた。電話の向こうでこうせつがギターでさっき、自分が書いた詞を弾き語っている。自分の作詞ながら、涙が出るほど、せつないメロディがついた。アルバム収録曲ながら、こうせつのラジオ番組でこの歌のリクエストが相次いぎ、ついにシングルカットされて、世に知られるところとなった。

それが神田川

その後も、このコンビで赤ちょうちん『妹』など、大ヒットを連発する

南こうせつ、70歳を大いに楽しむ ライブで「クイーン」 - 産経 ...

 

            セットリスト

1.緑の旅人

2.風に吹かれて

3.雪が降る日に

4.恋はるか

5.神田川

6.野原の上の雨になるまで

7.うちのお父さん

8.好きだった人

9.プライベートソングⅡ

10.夢一夜

11.歌うたいのブルース

12.マキシーのために

13.夜明けの風

            アンコール

14.妹

15.元気でね

南こうせつさんがコンサート - 宮古新報ニュースコム

『夢一夜』は、資生堂のCMソングにも使われた。「素肌美人」のキャッチコピー。

モデルは小林麻美

こうせつは、大きく腕を組んで、いちいち頷きながら、阿木燿子が作詞した文脈を説いていく。まあ、道ならぬ恋の歌に他ならないが、こうせつは「ああ、人間とは困ったもんだ」と深くため息をついて、観客を笑わせた。

『雪が降る日に』これも資生堂のCMソング。

ぼくが、中学の時、クラスコンサートでグループを組んで歌った。

勉強できる、スポーツできるクラスの人気者グループの『落陽』に完敗したけどね。

2022年。淀みがまだ続いている。新型コロナいい加減にしろよ!

いくら、オミクロン株が驚異的な感染力を示しても、人間は、また、立ち上がる!

こうせつの歌った『夜明けの風』が吹くことを信じて。

 

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12月7日、大阪は朝から土砂降りの雨に見舞われていた。その日は、松山千春の2年ぶりのコンサート。しかし、この雨では、最寄りの地下鉄の駅まで歩くのも難儀を要するような状況。で、めったにないことだが、愛車のN-BOXで会場に向かった。

大きな駐車場のある会場で良かった。

グランキューブ大阪。副反応にやられた「モデルナの夏」(自衛隊:新型コロナワクチン大規模接種会場)を想起させたが、きょうは、千春に会える、歌が聴けると思えば、なんだか、胸がワクワクしてきた。

会場内は、ぽつんぽつんと空席が目立つ。千春の公演だったら満席が普通だ。

思えば、新型コロナ感染対策でコンサートなどのイベントはキャパの65%しか入れないのだ。

17時30分。すこし、早めの開演。

場内が真っ暗になって、ステージだけが輝きをみせている。

乗りのいいリズムとともに、千春が登場する。アルバム『男達の歌』の中から「DON DON」というテンポのいい曲で、のっけから盛り上がる。

千春が帰ってきた。歌唱力は健在だし、MCはむしろ、パワーアップしている。

千春のかたわらに一枝の真っ赤な薔薇。これは、STVラジオの武田健二ディレクターの分身。コンクールで下手なギターで「旅立ち」を歌った千春の才能を見出し、育てた人だ。武田は退職金を前借りしてでも、千春を育てたいと会社側を説得したという。「松山千春プロジェクト」がはじまる。しかし、千春のプロデビューが決まり、初コンサートの早朝に武田は36歳の若さで急逝している。それで、千春はどのコンサートでも、かたわらに、真っ赤な薔薇を一枝飾るようになった。

今回のコンサートは新型コロナ感染対策として「換気休憩」が入るため、二部構成になっている。

第一部は「銀の雨」「かざぐるま」「もう一度」「写真」などヒット曲を中心に。

第二部は「大空と大地の中で」から。

あとは、新しいアルバムの中からの曲や、まったく、知らない曲。ごめん!

だけど、MCは重かった。千春の言葉には力がある。

千春が貧困家庭に育ったこと、日銭を稼ぐのに必死だったことは、若き日のコンサートでも、自らが告白してきたことだ。5人家族で、家は狭く、隙間だらけで、雪が入ってうっすら積もることもあったという。

父親は、とかち新聞というローカル紙を3ヶ月に一度くらいの頻度で議会の報告や糾弾したりローカルニュースを載せて発行していた。もちろん、お金にはならなかったが、家族は、そんな父親を尊敬していたという。1995年他界。

は1998年43歳で舌癌のため他界。

母親は40代の前半で、リヤカーに千春を乗せて、町外れのゴミ捨て場にまだ使えそうな椅子とか電球とか、売れそうなものを探し回ったという。

若き日のコンサート「限りある命」では「俺の遊び場はゴミ捨て場だった」と告白している。とにかく、日銭が必要だった。玉子売りもしたという。玉子1個売って1円手に入るという。

母親認知症療養中に今年99歳で他界。

は北海道を嫌い、家族づきあいもなかったと言うが、母親が亡くなったとき東京にいて、千春に電話で「俺、通夜も葬式も、そちらには帰れんと思うわ」と力なく言ったという。

そのはこの9月61歳で全身癌のため他界。

千春はひとりになった

千春は「いくら貧乏でも、家が狭くても、5人が良かったんだ」「5人いれば、なんでも乗り越えられた」「5人が良かった」と繰り返し繰り返しMCで語った。

これは、いくらかの演出があったとしても、胸に深く刺さったなあ。

ぼくは、千春の楽曲の素晴らしさはキャニオンレコード、NEWSレコード時代、いわゆる起承転結の「起」「承」の時代に集約されていると思う。

ぼくは、むしろ「季節の中で」「長い夜」などの大ヒット曲よりも、千春の本質的な感性の素晴らしさはアルバムの中に、散りばめられていると思っている。

ぼくは、病気で精神が崩壊するかも知れないという恐怖と闘う日々、千春の歌に、ずいぶんと救われた。それは「がんばれ!」という励ましではなく、「共感、共鳴」だった。千春が歌う、静かな青春、命のはかなさは、ぼくの血となり精神を安定させた。

アンコールは「長い夜」「俺の人生(たび)」「車を止めて」そして「旅立ち」

この2,30年、千春にヒット曲がない。等身大の人生観をばかり、歌っているからではないかと、ぼくなどは思ってしまうのだが。本当のところはわからない。

でも、ぼくは、いつまでも松山千春のファンであることは、間違いない。

けっして。